↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
任期切れの言語学者、魔物の鳴き声を翻訳する配信を始めたら ~拾ったスライムが「下から来る」と言っています~  作者: ま
第一章 スライムは、下から来ると言った

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/18

第10話 言っちゃいけない言葉



 ズズは、朝になっても洗面器の底から上がってこなかった。


 体の色は、灰色から薄い水色に戻りかけている。

 けれど私が近づくと、ぷちゅ、と小さく鳴いて、底のほうへ平たくなる。



「昨日は、ごめんなさい。もう、あの声は流しません」



 返事は無い。

 私は冷たい水を足して、ちゃぶ台の前に座った。


 島で録音をしていたころ、一度だけ、おばあさんに叱られたことがある。

 海で亡くなった人の名前を、録音のために、もう一度言ってほしいと頼んだときだ。


 死んだ人の名前は、口に出すと呼んでしまう。

 だから言わない。おばあさんは、それだけ言って、その日はもう録音させてくれなかった。


 言ってはいけない言葉は、どの言葉にもある。

 そして、そういう言葉ほど、その言葉を話す人たちにとって大事な意味を持っている。



「ズズ。言わなくても、いいです」



 水面が、少しだけ揺れた。



「でも、もし、言っても大丈夫だと思えたら、教えてください。私は、ズズの群れの歌を、知りたいんです」




◇




 昼前、私は協会の会議室にいた。


 長机の向こうに、支部長と、知らない顔の職員が四人。

 こちら側に、霧島さんと、私と、なぜか犬飼さん。



「本日付で、探索者協会多摩支部に、魔物言語調査班を置きます」



 支部長が、書類を読み上げる。



「班長、調査課係長、霧島透。調査員、鳴瀬ことは。護衛、犬飼ハヤテ。協力者、ズズ」



 協力者の欄に、本当にズズの名前が書いてあった。

 種別のところには「魔物(スライム)」とある。



「うおおおっ!! 正式っすか!! 俺、正式に護衛っすか!!」



 犬飼さんが、椅子を倒して立ち上がった。

 支部長が、ゆっくりと眼鏡を押し上げる。その隣で、霧島さんが口を開いた。



「犬飼」


「はいっす!!」


「声を落とせ」



 霧島さんの声で、犬飼さんは椅子を起こして座った。

 声は、落ちなかった。


 職員の一人が、手を挙げた。眼鏡をかけた、年配の男の人だ。



「一つだけ確認させてください。スライムの鳴き声の解釈に、協会が予算をつける。外からどう見えるか、考えましたか」


「考えた」



 霧島さんは、手元の紙を一枚めくった。



「第三層の件で、死者が出ていれば、少なくとも十人。人が詰まった出口の前に、大トカゲが三体いた。協会の報告書には、そう書く」



 年配の職員は、しばらく黙っていた。

 それから、手を下ろした。



「……ズズさんの日当は、どう計上しますか」


「冷たい水で頼む」



 会議室の何人かが、こらえきれずに笑った。

 霧島さんは、笑っていなかった。たぶん、本気だった。


 会議が終わったあと、私は霧島さんに、昨日の夜のことを話した。

 第四層の下から聞こえた、二音の低い声。ズズが「言っちゃいけないことば」と言ったこと。



「二音、というのは珍しいのか」


「スライムの語は、いままで全部、三音でした。二音の語は、一つもありません」



 私は、ノートの頁を見せた。



「人間の言葉でも、いちばん古い言葉は短いことが多いんです。昔からずっと使われてきた言葉は、使われるうちに削れて、短くなる。もしこの二音の言葉が、すべての魔物に共通の、いちばん古い言葉だとしたら」


「……底から、ずっと伝わってきた言葉、か」



 霧島さんは、窓の外を見た。

 管理棟の下には、ダンジョンが三十層ぶん、地図に載っている。その下は、まだ誰も知らない。




◇




 夜、アパートに帰ると、ズズが洗面器の縁にのっていた。



「ことは」



 久しぶりに、名前を呼ばれた気がした。



「おかえり、と言っていいですか」


「いいぞ。……ことは、すわれ」



 言われたとおりに、ちゃぶ台の前に座る。

 ズズは、しばらく体を揺らしていた。何かを決めかねているときの揺れ方だ。



「おれ、むれで、いちばんちいさかった。だから、うたを、いちばんたくさん、きいた」


「群れの歌、ですね」


「うたのさいごに、いつも、そのことばがでてくる。でも、ぜったい、こえにだしちゃだめって。だすと、くるって」



 死んだ人の名前と同じだ、と思った。

 口に出すと、呼んでしまう。



「ことはは、きくだけだぞ。ながすなよ。かくだけだぞ」


「はい。書くだけにします」



 私は、録音機のスイッチを切った。

 探知機だけをつけて、ヘッドホンをかける。


 ズズの体が、きゅっと縮んだ。

 そして、今まででいちばん小さな、低い泡の音が、二つだけ鳴った。


 ぷ……ちゅ。


 探知機の中で、その二音は、ほとんど高さを動かさずに、ゆっくりと沈んでいった。

 おととい、第四層の下から聞こえた声と、同じ形だった。


 頭の中で、音が言葉に変わる。

 日本語の、どの言葉にも当てはまらない。だから私は、音をそのまま、仮名で書き取った。



「……もだ」



 ズズは、それ以上、何も言わなかった。

 洗面器の底に沈んで、朝まで、上がってこなかった。


 ノートの四十二語めの次に、私は一行だけ書き足した。

 もだ。意味、不明。口に出してはいけない言葉。




◇




 次の日の夕方、霧島さんから電話が来た。



『鳴瀬さん。第八層の無人機が、妙な音を録ってきた。来られるか』



 調査課の部屋で、霧島さんはノートPCの音声を再生した。


 ぶうん、ぶうん、と低い唸りが、規則正しく繰り返される。

 声ではない。何かが細かく震えている音だ。



「第八層の大蜘蛛の巣だ。無人機が近づいたら、巣全体がこの音を出し始めた。三時間、止まらなかった」



 私はヘッドホンをつけ、声紋を開いた。

 唸りの中に、高さの並びがある。三つずつのまとまり。スライムやゴブリンとは違うけれど、形の作り方が、どこか似ている。


 ズズの容器の蓋を開ける。



「ズズ。これは、分かりますか」



 ズズは、しばらく黙って聞いていた。

 それから、ゆっくりと体を伸ばした。



「くものだ。くもの、としよりのだ。むずかしいけど、すこし、わかる」


「何と言っていますか」



 ズズが泡で訳し、私が言葉にする。



「こえを、ひろう、むすめ。……おりてこい」



 霧島さんが、私を見た。



「蜘蛛の糸は、層をまたいで張られていると聞いたことがあります。第三層の騒ぎが、糸を伝わって、下まで届いたのかもしれません」


「蜘蛛が、あなたを呼んでいるということか」


「たぶん。それと、もう一つ」



 唸りの最後に、低い二音が、何度も混じっていた。

 ほとんど高さの動かない、ゆっくりと沈む二音。


 もだ。


 私がノートを指さすと、霧島さんは、しばらくその頁を見ていた。

 それから、壁の断面図の第八層に、赤いピンを一本刺した。



「第八層は、初級の探索者証では入れない。私が同行して、特例を取る」


「いつ、行けますか」


「準備に三日かかる」



 霧島さんは、カレンダーに丸をつけた。



「三日後だ。第八層へ下りる」




↓第1章の番外編「十本目の音」(霧島視点。ことはを試した十本の音と、引き出しの中の一枚)

https://note.com/wise_turtle184/n/n09fa9386db11

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。