第6話 探索者協会調査課
「先生、俺も一緒に行くっす! 護衛なんで!」
次の日の朝、管理棟の入口で、犬飼さんが待っていた。
約束はしていない。
「試験を受けるのは私なので、犬飼さんは」
「外で待ってるっす! 何時間でも待ってるっす!」
声が大きいので、断ると目立つ。
私は諦めて、鞄の中のズズの容器を抱え直した。
「でかいの、ついてくるのか」
「……そうみたいです」
「うるさいけど、まあ、いいぞ」
ズズの判定は、昨日より少し甘くなっていた。
◇
探索者協会多摩支部は、管理棟の三階にある。
調査課の部屋は細長く、壁一面にダンジョンの断面図が貼られていた。第一層から第三十層まで、層ごとに色分けされた地図。
霧島さんは、窓際の机で待っていた。
机の上に、ノートPCとスピーカーが一台。
「座ってくれ。犬飼は外だ」
「えっ、俺も」
「外だ」
犬飼さんは、廊下の長椅子に戻っていった。肩が落ちていた。
「回りくどいのは苦手なので、先に言う」
霧島さんは、ノートPCの画面をこちらへ向けた。
番号の振られた音声ファイルが、十個並んでいる。
「協会の無人機が、第二層から第五層で録った魔物の声だ。どれも、録った直後に何かが起きている。何が起きたかは、こちらで分かっている」
「私が、その声から、何が起きたかを当てればいいんですね」
「そうだ。当てられなければ、それでいい。あなたの配信を止める権限は、協会には無い」
当てられれば、どうなるのか。
霧島さんは、それを言わなかった。
ヘッドホンをつけ、ズズの容器の蓋を少しだけ開ける。
一つ目のファイルを再生する。
ぷちゅ、ちゅい、ぷ。
「スライムです。『そこ、つめたい』……水たまりがある、くらいの意味です。たぶん、そのあと誰かが滑ったか、水に足を入れたと思います」
霧島さんは、手元の紙に何かを書いた。表情は変わらない。
二つ目、三つ目も、スライムの声だった。
『上へ』『人、来る』。どちらも、ノートに書いてある語だ。
四つ目から、ゴブリンになった。
ギッ、ギ、ギィ。ズズが泡で訳し、私が言葉にする。
「『止まれ。待て』。何かを待ち伏せしています。人ではなくて、別の群れを待っているような言い方です」
五つ目、『ここ、おれたちの』。縄張りの主張。
六つ目、『ひとつ、たおれた』。仲間が倒れた報せ。
七つ目と八つ目は、またスライムだった。
九つ目のファイルで、私は手を止めた。
チッ、チチッ、チッ。今まで聞いたことのない、硬い歯を鳴らすような音。
「ズズ。これは」
「ネズミのだ。……わかんない。ネズミのは、はやくて、わかんない」
私はヘッドホンを外して、正直に言った。
「九番は、分かりません。大ネズミの声だと思いますが、私にもズズにも、まだ訳せません」
霧島さんのペンが、初めて止まった。
「分からない、と言うんだな」
「分からないものを分かると言ったら、翻訳ではなくて作文になります」
霧島さんは、少しのあいだ黙っていた。
それから、十番を再生するように、顎で示した。
十番は、またゴブリンだった。
「『下から来る。逃げろ』」
訳した瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった。
◇
霧島さんは、十枚の紙を机に並べた。
無人機の記録。録音の時刻と、そのあとに起きたこと。
一番、録音の十秒後、探索者が水たまりで転倒。
四番、ゴブリンの群れが別のゴブリンの群れを襲撃。
六番、群れの一体が罠にかかって死亡。
十番、ゴブリンの群れが上の層へ移動。
訳した九つは、全部、記録と合っていた。
「……そうか」
霧島さんは、それだけ言った。
驚いた顔は、しなかった。たぶん、そういう顔をしない人なのだと思う。
「鳴瀬さん。協会がなぜあなたを呼んだか、話しておく」
霧島さんは立ち上がり、壁の断面図の前に立った。
第二層から第五層のあたりに、赤い印がびっしりと付いている。
「この一か月で、第二層から第五層の魔物の数が三倍になった。増えたのではない。下の層から、上がってきている。無人機で数える限り、下りていく群れは一つも無い」
「全部、上向き……」
「第一層の崩落も、その流れの中で起きた。原因は分からない。分かっているのは、魔物が何かから離れようとしているらしい、ということだけだ」
スライムの言葉が、頭の中で響く。
下から、来る。
「もう一つ、気づいたことがあります」
私はノートを開いた。
「スライムとゴブリンは、まったく違う声の出し方をします。泡の音と、喉の音です。なのに、『下』と『来る』と『逃げる』だけは、高さの並びが同じなんです。九番のネズミの声にも、『下』と同じ並びが一度だけ出てきました」
霧島さんが、振り返る。
「それは、何を意味する」
「人間の言葉なら、違う言語なのに基本的な単語だけが似ているとき、もとは一つの言葉だったと考えます。同じ祖先の言葉から、分かれた」
霧島さんは、壁の断面図をもう一度見上げた。
第三十層の、さらに下。地図が途切れて、白いままの場所。
「……ほう」
短い声だった。でも、さっきの「そうか」とは違う温度だった。
「霧島さんは、どうして、スライムの話を信じてくださったんですか」
聞いてから、失礼だったかもしれないと思った。
霧島さんは、自分の腕の古い傷跡に、一瞬だけ目を落とした。
「信じたわけではない。確かめただけだ」
それから、少し間を置いて続けた。
「昔、上級の探索者だった。第十九層で、仲間を一人なくした。あのとき、まわりの魔物がずっと何かを鳴いていた。……ただの鳴き声だと思っていた」
それ以上は、言わなかった。
霧島さんは机に戻り、引き出しから一枚のカードを出した。
「探索者協会の臨時調査員証だ。同行者が付けば、第五層まで入れる。報酬は日当で出す。魔物の声を録り、訳し、協会に報告してくれ」
カードには、もう私の名前が印字されていた。
試験の結果がどうであれ、最初から用意していたのだろうか。それとも、ここまで当てると思っていたのだろうか。
「同行者は、協会で用意する」
「はいはいはいっ!! 俺がやるっす!!」
ドアが勢いよく開いた。犬飼さんだった。
「……聞いていたのか」
「声が聞こえたんで! 俺、初級っす! 第五層まで行けるっす!」
霧島さんは、長いため息をついた。
「犬飼。お前は護衛だ。前に出すぎるな。それと、声を落とせ」
「了解っす!!」
落ちなかった。
◇
管理棟を出たところで、犬飼さんのスマホが鳴った。
画面を見た犬飼さんの顔から、笑いが消える。
「先生。これ、見てくださいっす」
大手クラン「ブレイズ」の告知だった。同時接続数万を集める、多摩迷宮でいちばん有名な配信者のクラン。
派手な赤い文字が、画面いっぱいに躍っている。
三日後、第三層。スライム百匹討伐、生配信!
鞄の中で、ズズが、ぴたりと鳴きやんだ。




