第5話 【魔物語】スライムと話す元学者を語るスレ【翻訳】
犬飼さんの配信の翌朝。
チャンネル登録者の数字を見て、私は布団の中でスマホを取り落とした。
一昨日の配信のあとで、八百人だった。
いまは、三万四千人いる。
「ことは、うるさいぞ。まだ、ねてる」
洗面器から、ズズが抗議の泡を鳴らした。
私は何も言っていない。たぶん、心臓の音がうるさかったのだと思う。
コメント欄で教えてもらった掲示板を、おそるおそる開く。
自分のことが書かれているスレッドを読むのは、生まれて初めてだった。
【多摩迷宮】スライムと話す元学者を語るスレ Part1【魔物語】
1 名前:名無しの探索者
昨日の犬飼ハヤテの第四層配信で、ゴブリンの奇襲を三秒前に当てた人について語るスレ
配信名は「鳴き声の文法」。洗面器にスライム(ズズ)がいる
このあいだの第一層崩落で、スライムの声を聞いて見学客を側道から逃がした人でもある
2 名前:名無しの探索者
乙
同一人物だったのかよ
3 名前:名無しの探索者
ゴブリンの「三つ数えたら左」、切り抜き見たけど本当に三回目で飛び出してきてて草も生えない
4 名前:名無しの探索者
仕込みだろ
ハヤテとグルで台本
5 名前:名無しの探索者
>>4
ハヤテが盾を左に向けたの、コメ欄見て首かしげながらだぞ
あれが演技ならハヤテは俳優になれる
6 名前:名無しの探索者
ハヤテに演技は無理
あいつ声のでかさで生きてる
7 名前:名無しの探索者
>>6
ひどいけど分かる
8 名前:元自衛官
昨日コメントした者だけど、一言だけ
ゴブリンの鳴き声が攻撃の前に変わるのは、現場の人間なら経験で知ってる
ただ、それを「三つ数えたら左」って中身まで言った人は初めて見た
9 名前:名無しの音声学徒
声紋を全部保存してあるので、気になる人向けにまとめます
スライムの語は三音で一まとまり、高さの並びで意味が変わる。命令の並び(上がる・下がる・上がる)が昨日のゴブリンの声にも出ている
ちゃんと手順を踏んで解読しようとしてる配信です。演出ならもっと雑になる
10 名前:名無しの探索者
>>9
ガチ勢おる
11 名前:名無しの探索者
てか、スライムとゴブリンの鳴き声に同じ形が出てくるってやばくない?
種類違うのに
12 名前:名無しの探索者
方言みたいなもん?
13 名前:名無しの探索者
>>12
スライム語とゴブリン語は方言の関係、とか言い出したら学会がひっくり返るぞ
14 名前:名無しの探索者
今朝のワイドショーに東都大の久我って教授が出て、この件にコメントしてた
いわく「魔物の鳴き声に言語の構造を見出すのは、典型的な疑似科学です」
さらに「元研究員が注目を集めるためにやっているなら、大変残念ですね」だってさ
15 名前:名無しの探索者
元研究員って言ってる時点で知り合いじゃん
16 名前:名無しの探索者
>>14
大学の先生にそう言われたら、さすがに怪しく見えてくるな
17 名前:スライム愛好会会長
疑似科学かどうかは知りませんが、ズズちゃんが冷たい水で喜んでいるのは本当です
うちの子も冷たい水が好きです
18 名前:名無しの探索者
>>17
会長ブレない
19 名前:名無しの探索者
てか一番気になるのは、スライムもゴブリンも「下から来る、逃げろ」って言ってるって話な
第一層の崩落と関係ある?
20 名前:名無しの探索者
>>19
協会は「地盤沈下、原因調査中」しか言ってない
21 名前:名無しの探索者
下から何が来るんだよ……
22 名前:名無しの探索者
鳴瀬ことはで論文検索したら、島の言葉の文法の論文が何本も出てきた
離島の言葉を録音して記録する人らしい
少なくとも、注目を集めたくて適当言う経歴ではない
23 名前:名無しの探索者
>>22
疑似科学どころか本職じゃん
24 名前:名無しの探索者
本職の言語学者が「スライムに命令形がある」って言ってるのか
それはそれで怖いな
25 名前:名無しの探索者
協会は動かんの?
本当に魔物が何か言ってるなら、探索者の安全に直結する話だろ
26 名前:名無しの探索者
>>25
協会がスライムの話を真面目に聞くとは思えん
27 名前:名無しの探索者
ズズちゃんが洗面器のふちで寝てる切り抜きで今日も生きる
スマホを伏せて、天井を見る。
疑似科学。注目を集めるため。
久我先生の言い方は、研究室で聞いていたのと同じ温度だった。
それより気になったのは、九番の書き込みだ。
スライムとゴブリンの声に同じ形が出ている、とまとめた人。名前は、名無しの音声学徒。
私が気づいていたのと、同じことに気づいている。
◇
お昼過ぎ、私は多摩迷宮の管理棟の前にいた。
昨日の配信のあとで、犬飼さんから正式なメッセージが届いたのだ。
お礼を直接言いたい。人の多い場所で、十分だけでいい。丁寧すぎるくらいの文章で、語尾が全部「っす」だった。
「せんせええええっ!!」
管理棟の前の広場で、背の高い人が、両手を振りながら走ってきた。
まわりの探索者たちが、いっせいにこちらを見る。
「犬飼ハヤテっす! 昨日は、本当に、ありがとうございましたっす!」
九十度に腰を折る。声が、広場の端まで響いた。
「あの……声を、少しだけ」
「すいませんっす!!」
小さくならなかった。
鞄の中で、ズズがぷちゅっと鳴いた。外に連れ出すのは初めてなので、水を入れた保存容器に入ってもらっている。
「でかいの、うるさいぞ」
「ズズちゃんっすか! なんて言ってるんすか!」
「……よろしく、と言っています」
嘘をついた。
訳者は、ときどき嘘をつく。
犬飼さんは昨日のことを、身振りを交えて三回話した。
盾を左に向けた瞬間に、短剣が来たこと。弓の仲間に叱られたこと。帰ってから、私の配信を最初から全部見たこと。
「で、先生。ダンジョンの中で、魔物の声、録りたいっすよね」
「……録りたいです。でも、私の入場券は第一層までで、その第一層も閉鎖されています」
「だから、俺が護衛するっす! 初級の探索者証、取るの手伝うっす! カメラも持つっす! 弟子なんで!」
弟子にした覚えはない。
けれど、断る言葉を探しているうちに、別の声がした。
「鳴瀬ことはさん、だな」
低い声だった。
振り返ると、灰色のスーツの男の人が立っていた。四十代の半ばくらい。背筋がまっすぐで、腕に古い傷跡がある。
犬飼さんが、さっきまでの声が嘘のように、ぴんと背を伸ばした。
「き、霧島さん……」
男の人は、胸の身分証を見せた。
探索者協会多摩支部、調査課係長、霧島透。
「第一層の崩落の日、職員に『スライムがそう言っていた』と話したのは、あなただな」
「……はい」
霧島さんは、少しも笑わなかった。
「明日、支部に来てくれ。あなたの耳を、確かめたい」




