第31話 深層同行許可
六十日目の朝、調査課の机の上に、紙が一枚だけ置いてあった。
深層同行許可。
探索者協会本部の判が、右下に二つ押してある。
霧島さんは、窓際の机で、その紙を指で叩いた。
「三日前の録音を、本部の音響の班が調べた。地震の波形ではない。……形がある、と書いてきた」
「形、ですか」
「低い三音。並びが、二度とも同じだ。地鳴りは、同じ形を二度は作らない」
私は、紙の文字を、もう一度読んだ。
鳴瀬ことは。犬飼ハヤテ。霧島透。
それから、名前の欄ではない余白に、手書きで、スライム一体。
ズズが、保存容器の中で、ぷちゅ、と鳴った。
「おれのなまえ、かいてないぞ」
「書いてありますよ。スライム一体、と」
「それ、なまえじゃないぞ!」
ハヤテさんが、後ろで、声を殺して笑った。
◇
許可には、条件が三つあった。
上級パーティーが護衛に付くこと。
判断は、すべて霧島さんがすること。
もだの線を、ズズに越えさせないこと。
「三つ目は、私が足した」
霧島さんは、それだけ言って、壁の断面図の前に立った。
第十三層のところに、赤い磁石が一つ、増えていた。
「昨日、ガラの使いが第十層の中継所に来た。十七本目が閉じた。結び目は、四つ」
五十五日目に、第十四層。
四眠りで、一層。
もだは、第十三層まで上ってきた。
「第十三層は、ゴブリンの縄張りの、いちばん下です」
「ああ。ガラは、第十三層の群れを、市場へ上げている。……市場は、満杯に近い」
磁石の下には、白いままの断面図が続いている。
第三十層の、さらに下。
竜は、そこのどこかで、鳴いた。
低く、もっと低く、少しだけ上がる。
二日目の夜、洗面器の前で、私がズズに名乗ったときの高さの形。
三日たっても、その形は、耳の奥から消えなかった。
夜中に目が覚めると、冷蔵庫のうなりにさえ、あの三音を探してしまう。
◇
十時ちょうどに、調査課の扉が叩かれた。
入ってきたのは、四人だった。
灰色の防護服に、銀色の線が一本。先頭の女の人が、霧島さんの前で、短く頭を下げる。
「上級パーティー『白銀』、真鍋です。護衛を、承りました」
「……久しぶりだな」
「新人のころ以来です。霧島さんが、まだ、前に立っていたころ」
真鍋さんは、三十代の終わりくらいに見えた。
髪を短く刈っていて、胸の魔素計の針を、一度だけ見た。
それから、私を見た。
「配信、見ました。……第十四層の線も」
「はい」
「去年、あの線より下で、上級の三組が、計器の故障を報告しました。そのうちの一組が、私たちです」
霧島さんの背中が、少しだけ固くなった。
去年、魔素計の針がゼロに落ちた場所。
故障として処理された報告。霧島さんも、判を押した報告だ。
「……あれは、故障ではなかった」
「分かっています。だから、来ました」
真鍋さんは、それ以上は言わなかった。
◇
昼すぎ、もう一人、扉を叩いた人がいた。
大きな登山用の背負い袋。
金色に染めた髪は、根元が黒く伸びている。
「よっ。スライムのお姉さん」
獅堂さんだった。
ハヤテさんが、椅子を鳴らして立ち上がった。
「……なんで、ここにいるんすか」
「荷物持ち、空いてんだろ? そいつの配信で言ってたじゃん。次は荷物持ちじゃなくて盾っす、って」
獅堂さんは、背負い袋を、床にどさりと下ろした。
「ブレイズ、抜けた。三日前。……オレ、中級だし。体力だけは、あるし」
「ふざけんなっす! あんた、第三層で、出口塞いだんすよ!?」
「知ってるよ」
獅堂さんの声が、急に、小さくなった。
「切り抜き、百回は見た。……オレが塞いでるとこ。お姉さんが、道を空けてくださいって、ずっと言ってるとこ」
腕を、軽く上げる。
袖の下に、七針縫った痕が、白く残っていた。
「竜とか、ウケるって、最初は思ったよ。でも、あの声、オレの部屋でも、スマホから鳴ったんだよ。……だろ? 自分の目で、見ねえと、分かんねえじゃん」
ズズが、容器の中で、低く泡を鳴らした。
「……うるさいのだぞ。こいつ」
「何て言ってんの、そのスライム」
「うるさい、と言っています」
「ウケる」
霧島さんが、獅堂さんの探索者証を受け取って、裏を見た。
「荷物は、重いぞ」
「録音機の電池が、四十本あります」
私が言うと、獅堂さんは、口の端だけで笑った。
「上等」
霧島さんは、黙って、許可の紙の余白に、もう一行書き足した。
荷物持ち、獅堂レオ。
それから、ハヤテさんの名前の横の「荷物持ち」に、線を一本引いた。
「犬飼。盾で、登録しなおす」
「……っ。盾、っすか」
「三日前に、自分で言っただろう」
ハヤテさんは、何か言いかけて、やめた。
代わりに、盾の持ち手の、新しい革を、強く握った。
五十七日目に、私は、答えられなかった。
だから、今、答える。
「ハヤテさん。……盾を、お願いします」
「はいっす!!」
声が大きすぎて、廊下の向こうで、誰かが咳払いをした。
◇
夕方、霧島さんの電話が鳴った。
第十層の中継所からだった。
霧島さんは、短く相づちを打って、電話を切った。
「ガラの使いだ。……伝言を、そのまま言う」
霧島さんは、手帳を開いた。
「『道を作った方の道は、耳のでけえ女が壁を見た、あの横道の先だ。誰も入らねえ。十年、誰も。……二日後に、案内する』」
市場の脇の、いちばん古い横道。
壁の掘り跡が、全部、下から上を向いていた道。
あの道は、まだ、下へ続いていた。
◇
その夜、ちゃぶ台の上に、道具を全部並べた。
ステッカーだらけの録音機。予備が二台。
コウモリ探知機。島で太鼓の皮を録った接触マイク。単三の電池が、四十本。
ノートは、新しいのを一冊おろした。
古い方の最後のページには、五十七日目に書いた「竜」の一字がある。一画目は、やっぱり、少し歪んでいた。
左の手首には、ガラが結んだ紐。
結び目は、二つ。人の約束と、ゴブリンの約束。
洗面器の縁に、ズズが、ぺたりと張りついた。
「……ばばの、うたの、はじまりに、いくのか」
「はい」
「そこ、おれ、きいただけだぞ。いったこと、ないぞ」
「私も、行ったことがありません」
ズズは、しばらく黙っていた。
それから、小さく、上がって、上がって、下がった。
問いかけの形だった。
「……ことは。そこにも、こえ、あるのか」
答えを、私は、まだ持っていなかった。




