↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
任期切れの言語学者、魔物の鳴き声を翻訳する配信を始めたら ~拾ったスライムが「下から来る」と言っています~  作者: ま
第三章 数える言葉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/50

第29話 静けさを見る



 五十五日目。特例が下りるまでに、二日かかった。


 第十四層は、立ち入り禁止の一つ上だ。

 本部は、条件を一つ足した。もだに、近づきすぎないこと。何をもって近すぎるとするかは、現場の判断に任せる、と。


 霧島さんは、その紙を読んで、短く言った。



「……現場の判断は、私がする」



 刀は、今日も、第十層の中継所に置いてきた。

 第十一層から第十三層までは、ガラの縄張りだ。第十四層だけ刀を持つために、途中で取りに戻ることはしない、と霧島さんは言った。


 代わりに、ハヤテさんが、盾の持ち手に、新しい革を巻いてきていた。




◇




 市場から、ガラと使いが先に立った。


 第十二層を抜けるとき、東の方から、機械の音がした。

 低く、途切れずに唸っている。床に手をつくと、指先が、かすかに震えた。


 ガラは、そちらを一度も見なかった。

 ただ、首の紐の束を、片手で押さえていた。



「……あれが、アマツの掘削場っすか」


「そうだ。縦坑は、まだ掘り始めていない。あれは、春から下へ掘っている穴の音だ」



 霧島さんは、それだけ答えて、歩く速さを変えなかった。


 第十三層。

 通り道を、上へ向かう魔物とすれ違った。ゴブリンの家族。大ネズミの群れ。私たちを見ても、誰も足を止めない。前に立たない。ただ、上へ。


 第十四層に下りると、空気が変わった。



「……静か、っすね」



 ハヤテさんが、声をひそめた。


 静かすぎた。

 市場の、あの声の重なりを聞いたあとだと、耳がおかしくなったのかと思う。


 霧島さんが、胸の魔素計を指で叩いた。

 針は、いつもより、少し左に寄っていた。




◇




 通路は、まっすぐ下へ続いていた。


 壁の光る苔が、少しずつ、暗くなっていく。

 一歩進むたびに、ほんのわずかずつ。


 魔素計の針が、左へ、左へ、と下がっていく。


 百歩ほど進んだところで、霧島さんが、腕を横に出した。



「ここまでだ」



 その先に、線があった。


 目に見える線ではない。

 でも、分かった。光る苔が、そこから先で、ふつりと消えている。壁も、床も、天井も、ただの黒い岩になっている。


 闇とは、違った。

 ハヤテさんのライトの光は、ちゃんと向こうの壁に届いている。照らされた岩は、見える。


 見えるのに、何も、無い。


 私は、この感じを、知っていた。


 去年の冬、島のおばあさんが亡くなった日。

 録音機を回したまま、私は、あの家の座敷に座っていた。誰も、あの言葉で話さなくなった部屋。音はある。風も、時計も鳴っている。でも、言葉の聞こえる場所は、もう、どこにも無かった。


 話す相手のいない言葉は、黙っている。

 おばあさんは、そう言っていた。線の向こうは、あの座敷に、似ていた。


 私は、録音機を胸の前に掲げた。

 霧島さんが、その手首を、そっと押さえた。



「機械を、あの向こうに入れるな。戻ってこなかったら、記録ごと消える」


「……はい」



 私は、録音機を、線の手前で止めた。

 ヘッドホンの中で、通路の小さな音が、線に近いほど細くなっていくのが分かる。




◇




「おーい!」



 ハヤテさんが、線に向かって、大声を出した。

 霧島さんが止める前だった。


 声は、通路を転がっていった。

 そして、線のところで、消えた。


 こだまが、返ってこない。

 向こうの壁に当たって跳ね返るはずの声が、どこにも、無い。


 ハヤテさんの顔から、色が引いた。



「……今の、吸われたっすか」


「吸われたのではない」



 霧島さんの声は、いつもより、さらに低かった。



「向こうには、声を返すものが、何も無い」



 ガラが、隣で、喉を鳴らさずに立っていた。

 首の紐を握りしめている。父親が、最後に聞きに行った音。黙りかけの層の、すぐ手前。


 ここが、そうなのだ。


 ガラが、一歩だけ、前に出た。

 線に向かって、喉を、一度だけ鳴らした。短く、低い音。


 私の知らない語だった。

 ズズも、訳さなかった。私も、聞かなかった。


 その音も、線のところで、消えた。




◇




 そのとき、手元で、容器の蓋が跳ねた。


 ズズが、容器から飛び出していた。

 ぷちゅ、ぷちゅ、と鳴きながら、線の方へ、まっすぐ這っていく。



「ズズ!」


「……きこえる! したから、なにか、きこえる!」



 速い。

 スライムが、あんなに速く動くのを、初めて見た。


 ハヤテさんが、盾を放り出して、飛びこんだ。


 床を滑って、腕を伸ばす。

 伸ばした腕と、肩と、頭が、線を越えた。ズズの体を、手のひらで掬いあげる。


 ハヤテさんの体が、一瞬、止まった。


 それから、転がるように、こちらへ戻ってきた。

 胸に、ズズを抱えたまま。



「……っ、はあ、はあ……っ」


「ハヤテさん!」


「だい、じょぶ、っす……腕、ある、っす……」



 ハヤテさんは、自分の右腕を、何度も握った。



「向こう、何も、聞こえなかったっす。……自分の、心臓の音も」



 その腕の中で、ズズが、震えていた。

 泡を鳴らそうとしている。体の表面が、ぷく、ぷく、と動く。


 でも、音が、しない。



「ズズ」



 私は、膝をついて、ズズに顔を寄せた。

 ヘッドホンを、強く押さえる。探知機の笛も、鳴らない。


 一秒。二秒。

 十秒。


 ぷちゅ。


 小さな、かすれた泡の音が、一つだけ、鳴った。

 それから、ぷちゅ、ちゅい、と、いつもの高さが戻ってきた。



「……ことは。……こわかった、ぞ」



 私は、ズズを、両手で包んだ。

 手が、自分でも分かるくらい、震えていた。




◇




 霧島さんは、線から十歩手前の壁に、白い塗料で印をつけた。

 手帳に、第十四層、階段から九十歩、線の十歩手前、と書く。魔素計の針は、線の手前で、ゼロを指していた。


 ガラは、その印を見て、首の紐の束から、十六本目を取った。

 端を、きつく結ぶ。それから、新しい紐を一本、引き抜いた。



「十六本目も、四だ」



 新しい紐の端を、ガラは、四本の指に巻きつけた。

 十七本目の最初の結び目は、次の眠りのあとに結ばれる。


 帰り道、誰も、しばらく口をきかなかった。


 第十三層の階段の手前で、ズズが、私の手の中で、小さく言った。



「……ことは。さっき、きこえたの、ばばじゃ、なかった」


「何が、聞こえたんですか」


「せんの、むこうの、もっと、した。ずっと、ずっと、した。……おおきいのが、ないてた」



 前を歩いていたガラの足が、止まった。


 振り返らずに、ガラは、首の紐の束を、強く握った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
泣いてたのか鳴いてたなのか・・・
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。