第28話 石の音がすると、早く来る
五十三日目。市場は、五日前より、ずっと混んでいた。
ガラが市場を開いてから、下から上ってくる魔物は、みんなここで足を止めている。
見たことのない形のスライム。背中に苔を生やした大トカゲ。天井近くの岩棚には、小さな蜘蛛が何匹も糸を張っていた。
声が、多い。
ヘッドホンを外していても、耳の奥がじんとする。
私の辞書は、百六十語を超えた。
それでも、この空洞の声の、ほんの一部しか拾えていない。知らない魔物が、知らない節で鳴くたびに、ノートの頁が一つ増える。
通路の脇の、決めた通り道には、ゴブリンが一匹ずつ立っていた。
上へ行く者に、道を指さしている。人の前には、立たせない。紐の結び目二つは、まだ、ほどけていない。
◇
ガラは、岩の上で、紐の束を膝に広げていた。
束は、十六本に増えていた。
十四本目は、三。十五本目は、四。十六本目は、小さな結び目が、まだ二つ。
十五本目を、私は、何度も数え直した。
「……四」
「四だ」
ガラは、四本の指で、その紐を弾いた。
「十一本続けて、三だった。それが、四になった。……市場を開いた眠りの、次の眠りからだ」
十五本目の紐を結び始めたのは、四十七日目。
市場を開いたのは、四十八日目。そして、もだが第十五層を食べたのは、五十一日目。
三日では、なかった。
四日かかった。
「十六本目も、今日で、まだ二つですね」
「ああ。……遅くなってる。わけは、オレ様にも分からねえ」
◇
「三つ目の話を、聞かせてください」
私が言うと、ガラは、紐の束から、一本目を引き抜いた。
千八百二十六の眠り。五年かけて、一つの層。
その長い紐の中に、赤い結び目は、ほんの少ししか無い。
「赤は、石の音を聞いた眠りだ」
ガラの声が、低くなった。
「人間が、石を掘る。ずうん、と来る。その音を聞いた眠りは、赤い糸で結ぶ。……オレ様の親父の代から、そう決めてる」
「お父さんは」
聞いてから、聞くべきではなかったかもしれない、と思った。
ガラは、二本目の紐の、真ん中あたりを、指でつまんだ。
「ここで、結ぶのをやめた。……最後まで、下の層の音を聞きに行ってた。黙りかけの層の、すぐ手前までな」
ガラは、つまんだ結び目から、指を離した。
「そこから先は、オレ様が結んでる」
私は、ノートに表を書いた。
一本目。五年。赤は、ほとんど無い。
二本目。四年。赤が、少し増える。
三本目。一年足らず。赤が、何十も。
四本目から先。三日。三つの結び目の、ほとんどが赤。
表を書き終えたとき、手が止まった。
赤が多い紐ほど、短い。
「石の音がすると、早く来る」
ガラは、それだけ言った。
「オレ様たちは、ずっと、そう数えてきた。……人間が下を掘るほど、もだは、早く上がってくる。なぜかは知らねえ。だが、数は、そう言ってる」
ハヤテさんが、私の肩越しに、ノートをのぞきこんだ。
「……え、じゃあ、アマツの、あの掘削が」
「まだ、分かりません」
私は、すぐに言った。
自分にも、言い聞かせるために。
「ゴブリンが聞いた音が、全部アマツの掘削の音かどうか、分かりません。掘った日と、紐の日を、一日ずつ並べないと、言えないんです」
霧島さんが、うなずいた。
何も言わずに、手帳に、何かを書き足していた。
それから、霧島さんは、ガラに向き直った。
「伝えておくことがある。石を掘る会社が、第十層から、もう一本、縦に穴を掘ると言っている。お前たちの縄張りを、通らない道だ」
私が訳すと、ガラの目が細くなった。
喉が、長く、低く鳴った。
「……縄張りを通らなきゃ、取引は、ほどけねえ。人間は、そう言いてえんだろ」
「そうだ」
「数は、ほどけるぞ」
ガラは、膝の上の紐を、ぎゅっと握った。
霧島さんは、それ以上、何も言わなかった。言えることが、無かったのだと思う。
◇
その夜、第十層の中継所から、配信をした。
紐の赤い結び目の写真と、ノートの表を映した。
アマツの名前は、出さなかった。人が下を掘る音、とだけ言った。
それでも、視聴者には、十分だった。
"いや、これアマツじゃん"
"春から深く掘り始めたって会見で言ってたよな"
"証拠は? ゴブリンの耳?"
配信の途中で、ハヤテさんが、スマホの画面を私に見せた。
アマツ資源が、すぐに声明を出していた。
――ゴブリンが音を聞いたかどうかは、ゴブリンの主観です。相関は、因果ではありません。当社の掘削と、深層の現象とを結びつける科学的根拠は、ありません。
私は、その声明を、カメラの前で、そのまま読み上げた。
「……これは、正しいです」
"え"
"先生!?"
「相関は、因果ではありません。私も、そう思います。だから、並べます。掘った日と、紐の日を。一日ずつ。……並べるまで、私は、アマツが原因だとは、言いません」
"元自衛官です。並べるまで言わない。それが、いちばん強い言い方だと思います"
"名無しの音声学徒: 並べる材料、探しています"
小野寺さんの一行が、流れていった。
◇
配信を切ったあと、私は、もう一つの数字を見ていた。
十五本目。四。
石の音は、止まっていない。ガラは、昨日も、赤い結び目を結んだと言った。アマツの掘削場は、残った作業員で、機械を動かし続けている。
それなのに、もだは、遅くなった。
市場を開いた次の眠りから。
下から来る者たちが、ここで足を止めて、声が、増えた日から。
何が、もだを遅くしているのか。
私には、まだ、分からない。
膝の上で、ズズが、市場の方へ体を向けて、小さく揺れていた。
「……ズズ。市場は、今日も、あったかかったですか」
「うん。……このまえより、あったかかった。こえが、いっぱい、だったから」
声が、いっぱいだったから。
私は、その言葉を、ノートの、五日前の「あったかい」の隣に書いた。
寝袋の中で、ハヤテさんが、寝言で「盾っす」と言った。
小屋の扉が叩かれたのは、夜中だった。
あの若い使いが、息を切らして、戸口に立っていた。
喉が、短く、何度も鳴る。
私は、ズズより先に、聞き取れた言葉を口に出していた。
「……十四。……黙り、かけ」
使いは、うなずいた。
第十四層の、下の階段の口が、黙りかけている。まだ、層は食われていない。食われかけている。
ガラからの伝言が、続いた。ズズが訳した。
「……みに、くるか。みみの、でかい、おんな。……もだを」




