第25話 三日で一層
四十四日目の朝、第十層の中継所の扉が、外から叩かれた。
あの若い使いだった。
四本の指を三本だけ折って、それから、手のひらを閉じる仕草をした。
ズズが訳す前に、私は、覚えたばかりの音で聞き返した。
「……グル?」
使いは、目を丸くした。
それから、喉を短く鳴らして、うなずいた。
三。
ハヤテさんが、寝袋から半分だけ体を出したまま、固まっていた。
十三本目の紐が、三つ目の結び目で、閉じた。
もだが、また一つ、層を食べた。
私たちは、その日のうちに地上へ戻った。
◇
四十五日目の朝、私は、支部の調査課の机に、紐の数を書いた紙を広げた。
ノートPCの画面には、小野寺さんの顔が映っている。
大学の調査委員会の聞き取りの合間に、時間を作ってくれた。
『鳴瀬さん。まず、一眠りの長さを確かめましょう。そこがずれたら、全部ずれます』
「はい。ガラに、一本目の最初の結び目を、いつ結んだか聞きました。……上に、光が見えた眠り、だそうです」
『光』
「道が、地上に抜けた日です。人の世界の明かりが、下から見えた日」
霧島さんが、協会の記録を一枚、机に置いた。
多摩迷宮が現れた日の、最初の通報の記録だ。
「その日から、昨日、四十四日目の朝までの日数を出した。三千六百五十二日だ」
私は、紐の数を足した。
千八百二十六。千四百六十一。三百三十五。
三が九本で、二十七。十三本目が、三。
三千六百五十二。
『……一致、しました』
小野寺さんの声が、少しかすれた。
一眠りは、一日。
ゴブリンたちは、地下の、朝の来ない場所で、十年間、一日も数え落とさなかった。
◇
あとは、暦に直すだけだった。
一本目。千八百二十六日。およそ、五年。
第三十層から第二十九層まで、もだは五年かけて上った。
二本目。千四百六十一日。ちょうど、四年。
第二十八層に届いたのは、去年の春だ。霧島さんが故障として処理した報告は、去年からだった。
三本目。三百三十五日。一年に、少し足りない。
第二十七層に届いたのは、十四日目ごろ。私が、ズズと出会ってから、二週間たったころだ。
そして、四本目から先は、全部、三日。
「……三日で、一層」
口に出すと、調査課の部屋が、静かになった。
十年で、十三層。
第三十層から、第十七層まで。
そのうち十層は、この一か月あまりで食べられている。
『三本目と四本目のあいだで、急に速くなっています。百倍以上です』
小野寺さんが、画面を切り替えた。
横に日付、縦に層。点を結ぶと、線は、十年近く、ほとんど平らに這っている。
それが、最後の一か月で、壁のように立ち上がっていた。
『グラフにすると、崖です』
「何が、あったんでしょう」
『分かりません。……でも、何かが、あったはずです』
小野寺さんは、画面の向こうで、自分のノートに大きく丸を書いた。
私も、同じところに丸をつけた。
霧島さんが、紙の上に、指で数字を書いた。
「第十七層から、第一層まで、十六層。三日ずつで、四十八日。……四十四日目から数えて、九十二日目」
今日は、四十五日目だ。
あと、四十七日。
霧島さんは、それだけ言って、受話器を取った。
支部長室への内線だった。
◇
その日の午後、探索者協会は、非常体制に入った。
本部から、全国の支部に通知が出た。
多摩迷宮の第十五層から下への立ち入りを、当面、禁止する。深層での魔素計の異常は、故障ではなく、すべて記録として報告すること。
霧島さんの判で、故障として処理されてきたものが、全部、記録に戻る。
支部の廊下を、職員が走っていく。
掲示板では、アマツ資源の求人の貼り紙の上に、立ち入り禁止の通知が重ねて貼られた。
第十二層は、禁止の範囲に入っていない。
求人の貼り紙の端は、通知の下から、まだ少しのぞいていた。
霧島さんは、その通知を、自分の机で、長いあいだ読んでいた。
私は、声をかけなかった。
夕方、ハヤテさんから短いメッセージが届いた。
『探索者の仲間、みんなざわついてるっす。十五層から下で稼いでた人たち、明日から仕事ないって。……でも、俺、先生の数字、信じてるっす』
信じてもらうための数字ではない。
でも、その一行は、ノートに挟んでおいた。
◇
夜、私は、アパートから配信をつけた。
「こんばんは。鳴き声の文法です。……今日は、数字の話をします」
私は、紐の写真と、数の表を、順番に映した。
ゴブリンの数え方。結び目の読み方。一眠りが、一日だったこと。
それから、最後の一行。
三日で、一層。
「もだは、今、第十七層にいます。このままなら、四十七日後に、第一層まで上ってきます」
コメント欄が、止まった。
ほんの一瞬だけ、何も流れなかった。
それから、あふれた。
"は?"
"四十七日って、六月の終わり?"
"第一層って、売店のとこだろ"
"地上はどうなるの"
"ソースは? ゴブリンの紐?"
"元自衛官です。協会が非常体制に入ったのは確認しました。数字の根拠は、今、配信で全部出ています"
"名無しの音声学徒: 計算、こちらでも確かめました。合っています"
音声学徒さんが、小野寺さんだということを、今は視聴者も知っている。
それでも、名前は変えないのだと、小野寺さんは言っていた。
"たま屋のおばちゃんの孫です。おばちゃんが、売店どうなるのって言ってます"
"おばちゃんw いや笑えない"
「このままなら、です」
私は、カメラを見た。
「まだ、何も決まっていません。速くなった理由も、分かっていません。……だから、数えます。毎日、数えます。数え続ければ、変わったときに、分かります」
島のおばあさんの記録も、そうだった。
話す人が一人ずつ減っていくのを、私は、数えることしかできなかった。
今度は、数えるだけで、終わらせない。
それから、もう一つだけ、言っておくことがあった。
「もだの前には、逃げてくる魔物がいます。第十一層の市場には、もう、下から来た者たちが集まっています。……これから、上へ来る魔物は、増えます。前に、立たないでください。道を、空けてください」
"前に訳してた、長老の話か"
"逃げてきた、ってやつ"
"犬飼ハヤテ: 盾は、どかすためにも使えるっす"
配信を切ったあと、洗面器の中で、ズズが、じっと私を見ていた。
「……ことは」
「はい」
「ことはの、へやも、だまるのか」
私は、答えられなかった。




