第24話 ゴブリンは指で数える
四十三日目。私たちは、また第十一層へ下りた。
四十一日目の夜は、一度、地上へ戻った。
ズズの水を替えて、紐の写真を、夜中までノートPCで拡大して眺めた。
四十二日目の夜の配信で、その写真を一枚だけ見せた。
ガラに断ってから撮ったものだ。
"結び目で数を記録する文化、地上にもあったよね"
"インカのキープ!"
"名無しの音声学徒: 結び目の大きさが三種類なら、位取りかもしれません"
位取り。私も、同じことを考えていた。
結び目には、大きさが三つあった。
小さいもの、中くらいのもの、大きいもの。それに、二重に結んだものが、ときどき。
でも、それが何を表すのかは、写真を眺めているだけでは分からない。
数を読むには、まず、数の言葉が要る。
◇
市場の隅に、平たい石を囲んで、小さなゴブリンたちが座っていた。
真ん中にいるのは、年を取ったゴブリンだった。
背中が丸く、声がかすれている。その声に合わせて、子どもたちが指を折っていく。
私は、少し離れたところに腰を下ろして、録音機を向けた。
「……ズズ。今日は、訳さなくて、いいです」
「いいのか?」
「自分の耳で、聞いてみたいんです。分からなかったら、助けてください」
ズズは、容器の縁にもたれて、ぷちゅ、と短く鳴った。
いい、の音だった。
年寄りのゴブリンが、喉を鳴らす。
ゴ。
子どもたちが、指を一本折る。
ガ。
二本。
グル。
三本。
ドゥ。
四本。片手が、握りこぶしになる。
「先生、あれ……歌っすか?」
「数え歌です。……たぶん」
私は、ヘッドホンを強く押さえた。
ドゥ・ゴ。
子どもたちは、もう片方の手の指を、一本折った。
ドゥ・ガ。ドゥ・グル。
手と、一。手と、二。手と、三。
そして、両手が握りこぶしになったところで、年寄りが、喉を大きく鳴らした。
ゴッ。
子どもたちが、こぶしを二つ、打ち合わせた。
それから、一番前の子が、首の紐に、中くらいの結び目を一つ作った。
「……っ」
声が出そうになって、口を押さえた。
一から四までは、それぞれ別の語。
五から七は、「手」に一、二、三を足して作る。八は、「こぶし」。
八で、一つ繰り上がる。
四十日目に見たとおりだ。でも、今は、その数え方を、音で聞いている。
「ハヤテさん。島の言葉にも、似た数え方がありました。五を『手』と言うんです。……数の言葉は、体から始まるんです」
「先生、また早口っす」
「すみません。でも、今のは、早口になっていいところです」
霧島さんが、横で、少しだけ口の端を上げた。
数え歌が終わると、子どもたちが、こちらを振り返った。
一番前の子が、私の手を指さして、喉を鳴らす。ズズが、ぷちゅちゅ、と笑ってから訳した。
「……ゆびが、おおすぎるって」
私の指は、片手に五本ある。
ゴブリンの子には、ずいぶん数えにくい手に見えるのだろう。
◇
昼すぎ、私はガラの岩の前に立った。
ゴブリンの言葉で、数を言う。
ゴ、ガ、グル、ドゥ。ドゥ・ゴ、ドゥ・ガ、ドゥ・グル。ゴッ。
私の喉では、ゴブリンのように低くは鳴らない。
それでも、ガラの目が、少し細くなった。
「……ひでえ声だ。だが、数は合ってる」
ガラは、指を三本立て、それからもう片方の手で四本を立てた。
喉が鳴る。今度は、問いの形だった。
グルと、ドゥ。足すと。
「……ドゥ・グル」
手と、三。七だ。
ガラは、ふん、と鼻を鳴らして、指を下ろした。
ズズの訳を聞く前に、意味が分かった。
初めてだった。
「紐を、読ませてください」
ガラは、首の束を外して、石の上に並べた。
十三本。四十一日目と同じだ。
年寄りのゴブリンが、隣に来て、結び目を一つずつ指さしてくれた。
小さな結び目は、一。
中くらいの結び目は、こぶし一つ、つまり八。
大きな結び目は、こぶしのこぶし。八が八つで、六十四。二重の結び目は、その八倍。
私は、ノートに、八で繰り上がる表を書いた。
一本ずつ、結び目を数えて、私たちの数に直していく。
ハヤテさんが、ライトで手元を照らしてくれた。
霧島さんは、自分の手帳を出して、私が読み上げる数を、同じように書き取っていく。調査課の記録として残すのだと言った。
一本目。千八百二十六。
二本目。千四百六十一。
三本目。三百三十五。
四本目から、急に、結び目が少なくなった。
四本目。三。
五本目。三。
六本目。三。
ペンが、止まりかけた。
七本目、八本目、九本目、十本目、十一本目、十二本目。
全部、三だった。
十三本目は、端がほどけたままで、小さな結び目が二つ。
赤い糸の結び目は、数に入れていいのか分からなかった。
一本目と二本目には、ほとんど無い。三本目に、いくつか。四本目から先には、どの紐にも混じっている。
「この赤い結び目は、何ですか」
「それは、三つ目の話だ。……まだ、早え」
「……何を、数えているんですか」
私が聞くと、ガラは、紐の端を指で弾いた。
「結び目は、眠りだ。一つ眠るたびに、一つ結ぶ。八つたまったら、ほどいて、こぶしを一つ結ぶ」
「では、一本の紐は」
「層だ」
ガラの声が、低くなった。
市場の喧騒の中で、そこだけ、音が沈んだみたいだった。
「もだが、層を一つ食う。下の層が、黙る。……そのたびに、紐を閉じて、次の紐を結び始める」
十三本の紐。
十二本は閉じていて、一本は、まだ結んでいる途中。
もだが、十年で食べた層の数。
そのあいだに眠った、ゴブリンたちの眠りの数。
「オレ様の一族は、十年、数えてきた。上へ逃げながら、ずっとだ。……誰に見せるためでもねえ。忘れねえためだ」
霧島さんの手帳の上で、ペンが止まっていた。
「閉じた紐が、十二本。第三十層から、十二層上……第十八層か」
「長老の糸の地図では、三十五日目に、第二十層でした」
「……合う」
霧島さんは、それきり黙った。
手帳の数字を、指で一つずつ押さえている。何かを、数え直しているみたいに。
ハヤテさんが、私と霧島さんの顔を、代わる代わる見た。
「え、待ってくださいっす。第十八層って……ここ、第十一層っすよね。もう、すぐ下じゃないっすか」
誰も、答えなかった。
島のおばあさんの言葉が、頭をよぎった。
忘れないために、言わない。ガラの一族は、忘れないために、結んできた。
私は、もう一度、紐を見た。
最初の一本は、千八百を超える眠り。
次の一本は、千四百。その次は、三百あまり。
そこから先の九本は、全部、三。
そして、十三本目の結び目は、二つ。
ガラは、今夜もう一度眠って、明日の朝、三つ目を結ぶ。




