第21話 耳のでけえ女
ハヤテさんが、盾を構えたまま、扉を細く開けた。
外に立っていたのは、一匹のゴブリンだった。
背は、私の胸くらい。四日目に画面で見たものより、ひと回り小さい。若い個体なのかもしれない。
ゴブリンは、両手を開いて、前に出していた。
武器は持っていない。持っていないことを、見せている。
「……先生、どうするっすか」
「入ってもらってください。扉は、開けたままで」
ゴブリンは、敷居の上で止まった。
小屋の中までは、入ってこない。そこが境目だと、分かっているみたいに。
容器の中で、ズズが少しだけ縮んだ。
ズズは、ゴブリンが好きではない。四日目に、はっきりそう言っていた。
それでも、ズズは容器の縁から離れなかった。
「ズズ。お願いできますか」
「……やる。かたりべの、こ、だから」
喉が、ごろごろと鳴った。
ズズが体を傾けて聞き、泡で返す。それを、私が言葉にする。
「若頭のガラが、耳のでけえ女を、市場に呼んでる。……と、言っています」
「市場っすか?」
「ズズ、市場は、どこにありますか」
「とおの、した。……十一だぞ」
第十一層。
調査班の許可は、第十層までだ。
ゴブリンは、右手を上げた。
指を一本ずつ折って、何かを数えている。私は、その手から目が離せなくなった。
指が、四本しかない。
四本を全部折って、それから左手の指を、一本だけ立てた。
「いつつ、ねむったら、だって。とおの、したの、かいだんで、まつって」
「五つ、眠ったら」
私は、ノートに書いた。
ゴブリンは、日で数えない。眠りで数える。地下には、朝が来ないからだ。
片手に四本。
だから五は、片手全部と、もう一本になる。
「何のために呼ぶのか、聞いてもらえますか」
ズズが泡で聞くと、ゴブリンは少し考えて、短く鳴いた。
同じ音の組が、二度、続いた。
「……わかんない、ことば、だった。でも、こう、いってる。わかがしらは、ずっと、――してる、って」
扉の外で、足音がした。
霧島さんだ。ノックはしない。
「……ほう」
霧島さんは、戸口のゴブリンを見下ろした。
右手が、一瞬だけ刀の柄に触れて、離れた。
ゴブリンは、それで十分だと思ったのかもしれない。
一度だけ喉を鳴らして、通路の闇に消えていった。
霧島さんは、扉を閉めて、私のノートをのぞきこんだ。
私は、使いの言葉を一行ずつ読み上げた。
「群れの頭が、人を呼んだ記録は無い。十年で、一度も」
「長老が、言っていました。数えるのは、ほかの者。やがて来る、と」
「……来たな」
霧島さんは、それだけ言って、無線を取った。
ハヤテさんは、まだ盾を下ろしていなかった。
閉じた扉を、じっと見ている。
「……あいつ、指四本だったっすね。四日目に、俺の盾叩いてったのも、指四本だったのかな」
「見ていたんですか」
「見てないっす。盾の裏にいたんで。……でも、二回だけ叩いて、行っちゃったんすよ。あれ、ずっと気になってて」
私は、ノートの別の頁を開いた。
四日目の書き起こし。ゴブリンの声は、喉で鳴るので、探知機がなくても耳に届く。届くのに、私には、まだ一語も分からない。
ズズを通して訳すのは、二重の訳だ。
ズズの分かるところしか、私には届かない。
ゴブリンの言葉を、自分の耳で覚えたい。
そう書いて、私はペンを置いた。
◇
三十七日目の朝、私たちは、管理棟の三階にいた。
支部長室は、調査課の隣だ。
支部長は、眼鏡を外して、目頭を押さえていた。
「第十一層は、中級の範囲だ。調査班の許可を超える」
「承知しています。下りるたびに、特例を取ります」
霧島さんの声は、いつも通り平らだった。
「本部は、三十日目の聞き取りで、当面は調査班の記録を基準にすると決めました。その記録を、取りに行くだけです」
「相手は、ゴブリンの群れの頭だぞ」
「頭だから、話が通る。……第八層の長老と、同じです」
支部長は、長いあいだ黙っていた。
机の上の電話が一度鳴り、支部長はそれを取らずに切った。
「本部には、私から上げる。ただし、条件がある。刀は抜くな。抜かずに済まないと思ったら、その場で引き返せ」
「了解」
「それから、犬飼君は、初級だったな」
「はいっす! 三回落ちてからの初級っす!」
「……荷物持ちとして、登録しておく」
「荷物持ちっすか!?」
廊下に出ても、ハヤテさんはまだ、ぶつぶつ言っていた。
ズズが、保存容器の中で、ぷちゅちゅ、と笑った。
掲示板に、新しい貼り紙があった。
――アマツ資源株式会社。深層掘削作業員、募集。勤務地、多摩迷宮第十二層。中級以上。日給は、ハヤテさんが二度読み直す額だった。
「うわ、高っ……。第十二層って、何かあるんすか」
「東の端に、アマツの掘削場がある。そこから、下へ掘っている」
霧島さんは、貼り紙の前で一度だけ足を止めた。
何か言いかけて、やめて、また歩き出した。
◇
その夜、私はアパートから配信をつけた。
「こんばんは。鳴き声の文法です。今日は、お知らせがあります」
三日後、第十一層へ下りること。
ゴブリンの群れの頭に、呼ばれたこと。
コメント欄が、一気に流れた。
"ゴブリンの市場!?"
"十一層って中級じゃん"
"罠では"
元自衛官さんのコメントが、その下に一行だけ流れた。
"元自衛官です。武器を見せずに来た使者は、昔から、話をしに来た使者です"
"ハヤテは?"
"荷物持ちで草"
"犬飼ハヤテ: 荷物持ちじゃないっす! 盾っす!"
"本人来たw"
「ハヤテさんは、荷物も持ちます。盾も、持ちます。……両方です」
"先生のフォローが雑で好き"
"両方www"
画面の端で、ズズが、ぷちゅちゅ、と鳴った。
視聴者には、ただの泡の音に聞こえているはずだ。笑っているのは、私とズズだけが知っている。
私は、ノートの頁をカメラに向けた。
四本の指の絵と、「眠り」という字が書いてある。
「ゴブリンは、指が片手に四本です。そして、日ではなく、眠りで数えます。二日前に使いが言った『五つ眠ったら』は、たぶん、五日後のことです。……たぶん、です。まだ、確かめていません」
"指四本なの知らなかった"
"眠りで数えるの、エモい"
"名無しの音声学徒: 一日と一眠りが同じ長さかは、要検証ですね"
音声学徒さんは、こういうところを見逃さない。
私は、ノートの端に、検証、と書き足した。
それから、小屋で録った使いの声を、もう一度流した。
あの、分からなかった音の組を、ズズにだけ聞かせる。
ズズは、洗面器の縁で、長いあいだ黙っていた。
「……これ、むれの、うたにも、ある。ばばが、ゆびを、おりながら、うたうとこ」
「指を、折りながら」
「うん。……かぞえる、って、ことばだぞ」
ガラは、ずっと数えている。
何を、とは、使いは言わなかった。




