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任期切れの言語学者、魔物の鳴き声を翻訳する配信を始めたら ~拾ったスライムが「下から来る」と言っています~  作者: ま
第二章 糸の長老

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14/22

第14話 AI翻訳《リンガ・ビースト》



 十八日目の朝、テレビのどの局も、同じ名前を流していた。


 翻訳AI《リンガ・ビースト》。

 開発は、音声認識の会社「ネオリンガ」。監修、東都大学・久我征一郎教授。



『魔物の声を、誰でも、その場で、スマホで訳せる。これが学問の成果というものですよ』



 画面の中で、久我先生が、スマホを掲げてみせる。

 スマホが犬の鳴き声を拾い、字幕を出す。【警戒】。スタジオから拍手が起きた。


 犬は魔物ではない、と思ったけれど、口には出さなかった。

 部屋には、私とズズしかいない。



「ことは。あれ、このまえの、いかくのやつか」


「はい。明日、協会で、実際に動かして見せるそうです」


「おれ、いかない」


「ズズは、留守番で大丈夫です」


「……やっぱり、いく。いかくじゃないって、いってやる」



 ズズの体が、少し濃い水色になっていた。

 むくれているのとも、少し違う。たぶん、怒っている。




◇




 その夜の配信は、いつもより荒れた。


  "AIが威嚇って言ってるんだから威嚇なんじゃないの"

  "東都大の教授監修だぞ"

  "いや、第三層の件見てから言え"

  "個人の耳 vs 一万時間のデータ、どっちを信じるかって話"


 私は、ズズと練習している途中の語を、いつもどおり一つずつ書き起こした。

 反論は、しなかった。


 言い返すことなら、できる。

 けれど、言い返すのは学問ではない。数えて、並べて、見せるのが、私にできることだ。



「今日は、ズズが『ちょうだい』と言うときの並びを、三十回録りました。三十回とも、ズズは、私の手の上の氷を見ています」



  "氷ちょうだいが威嚇だったら草"

  "三十回全部、氷見てるの笑う"

  "これ、AIに入れたら何て出るんだろ"


 最後のコメントに、私は、答えを持っていなかった。

 明日、分かる。




◇




 十九日目の午後、協会の会議室は、人でいっぱいだった。


 本部から来た背広の人たちが、前の列に五人。

 支部長。霧島さん。私と、犬飼さんと、膝の上の容器の中のズズ。

 壁際には、テレビ局のカメラまで並んでいた。


 正面に、久我先生と、ネオリンガの技術者が立っている。



「では、始めましょうか」



 先生は、私のほうを一度も見なかった。


 技術者が、大きな画面に、協会の記録映像を映す。

 第四層で、ゴブリンが喉を鳴らす。


 【威嚇】


 第六層の大ネズミ。チッ、チチッ。


 【威嚇】【威嚇】


 第一層のスライム。ぷちゅ、ぷ、ちゅい。


 【威嚇(弱)】



「ご覧のとおりです。魔物の声の九割以上は、威嚇なんですよ。人を見れば襲う、という常識は、学問的にも正しかったわけです」



 本部の人たちが、頷きながらメモを取っている。

 一人が手を挙げた。



「処理の速さは」


「一秒以内です。探索者がスマホを胸に付けておけば、魔物が鳴いた瞬間に、危険を知らせます」



 ざわめきが、感心の色に変わる。

 速い。誰でも使える。たしかに、それは、私には無いものだ。


 私は、手を挙げた。



「一つ、伺ってもいいですか」


「どうぞ」



 答えたのは技術者だった。

 先生は、腕を組んだまま、窓のほうを見ている。



「このAIは、どの録音で学んだんでしょうか」


「探索者の皆さんの、ヘルメットカメラの映像です。戦闘の場面を中心に、一万時間分」


「戦闘の場面、ですか」


「はい。魔物の声が一番多く入っているので」



 やっぱり、と思った。

 私は、膝の上の容器に、そっと手を置いた。



「人に追われているときの声だけを集めれば、どの声も、威嚇に聞こえると思います」



 会議室が、静かになった。



「人が剣を向けたとき、魔物が出す声は、たしかに『来るな』や『逃げろ』かもしれません。でも、それは、その場面の声です。巣で子どもを呼ぶ声も、道を教える声も、その録音には、ほとんど入っていないはずです」


「君ねえ」



 久我先生が、初めて私のほうを向いた。



「一万時間ですよ。君の、二週間ほどの配信の録音と比べて、どちらが学問的か。身の程というものが――」


「量の問題では、ありません。何を録ったかの問題です」



 自分の声が、少しだけ震えていた。

 怒っているのだと、言ってから気づいた。



「それは翻訳ではなく、作文です」




◇




 霧島さんが、静かに立ち上がった。



「一つ、試させてもらう」



 霧島さんが技術者に渡したのは、九日目の第三層の録音だった。

 ズズが叫んだ、あの声。みち、こっちだぞ。


 画面に、字幕が出る。


 【威嚇(強)】



「この声のあと、魔物は百匹以上、人の横を通り過ぎた。一人も襲われていない」


「それは、ですね。威嚇によって、群れを統率して――」


「ふざけんなっす!」



 犬飼さんが、椅子を蹴って立ち上がっていた。



「あの日、俺、あそこにいたっす! あれが威嚇なら、なんで誰も噛まれてないんすか!? ズズは、道を教えてたんすよ!!」


「犬飼」



 霧島さんの声で、犬飼さんは拳を握ったまま、黙った。

 けれど、座らなかった。


 容器の中で、ズズが、ぷちゅ、ぷ、ちゅい、と鳴いた。

 私にだけ聞こえる訳で、言う。


 いかく、してないぞ。


 画面の字幕が、その声を拾った。


 【威嚇】




◇




 実演のあと、廊下で、久我先生とすれ違った。


 先生は足を止めずに、私の横で、声だけを落とした。



「鳴瀬君。共同研究の話は、まだ間に合いますよ。君の録音に、私の名前と、このAIが付けば、誰も文句は言わない」


「お断りします」


「強情ですねえ。若い人は」



 先生は、笑いながら行ってしまった。

 その背中を見送りながら、私は、十日目の電話のときと同じことを思った。


 この人は、一度も、ズズの声を聞いていない。




◇




 二十日目の夕方、本部の決定が、霧島さんから伝えられた。



「《リンガ・ビースト》は、試験的に採用する。中級以上の探索者に、希望者から配る」



 調査課の部屋の窓の外は、もう暗くなりかけていた。



「……そうですか」


「速くて、誰でも使える。上の判断としては、筋が通っている」



 霧島さんは、机の上に、もう一枚の書類を置いた。



「同時に、比べるために、調査班の仕事も続ける。許可は第十層までに広げた。同行者付きだ」


「比べる、ですか」


「どちらの訳が正しいかは、下で起きることが決める」



 霧島さんの声は、いつもどおり短かった。

 けれど、その言い方が、私には、少しだけ悔しそうに聞こえた。



「二日後、第八層へ下りる。長老は、次に来たときに話すと言ったな」


「はい」


「聞きに行く」



 帰り道、自転車のかごの容器の中で、ズズは、ずっと黙っていた。


 府中のアパートに着いて、洗面器に移したとき、ようやく、小さく鳴いた。



「ことは。ばばのうたの、さいごの、ことば。ききに、いくのか」


「はい」



 ズズの体の色が、すうっと、灰色に寄っていった。



「……おれも、いく。かたりべの、こ、だから」



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― 新着の感想 ―
9割以上が威嚇として処理されるの使う奴いるのか?
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