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任期切れの言語学者、魔物の鳴き声を翻訳する配信を始めたら ~拾ったスライムが「下から来る」と言っています~  作者: ま
第二章 糸の長老

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12/20

第12話 長老は、ゆっくり話す



 大きな蜘蛛は、通路の真ん中の太い糸に、八本の脚をかけて止まった。


 また、一本の脚が糸を弾く。

 低く、長く、短く。少し間を置いて、もう一度。


 接触マイクの音を、ヘッドホンで聞く。

 弾く強さで、音の高さが変わっている。三つで一組。高さの並びは、上がって、下がって、上がる。



「霧島さん。この並び、スライムの命令の形と同じです」


「蜘蛛も、か」


「はい。それと、この最初の組。ズズ、分かりますか」



 ズズは容器の縁から半分体を出して、糸の震えにじっと耳を……耳は無いけれど、体を傾けていた。



「きけ、だ。きけ、って、いってる。むかしの、ことばだぞ」


「――聞け、と言っています」



 蜘蛛は、私がそれを口にするのを待ってから、次の組を弾いた。

 ゆっくりと。一組ごとに、間を空けて。


 まるで、こちらが一語ずつ書き取るのを、知っているみたいに。


  "え、待って、会話になってる?"

  "蜘蛛が、ことはさんのペースに合わせてる"

  "教える側の弾き方だ、これ"



「こえを、ひろう、むすめ。……わしは、ながく、いきておる。うえの、ものの、ことばも、すこしは、わかる」



 ズズが一語ずつ訳し、私が言葉にする。

 その間に、私は糸の音をノートに書き取っていく。


 時刻。並び。強さ。ズズの訳。



「糸を繰る者らは、わしを、長と呼ぶ。……と、言っています」


「長老、ということか」



 霧島さんの言葉に、蜘蛛が、脚を一本だけ持ち上げた。

 肯定の仕草なのかどうかは分からない。けれど、私はノートに「長老」と書いた。




◇




 どうやって、私の声を知ったのか。

 ズズを通して、私はまず、それを尋ねた。


 長老の答えは、長かった。

 途中で何度も、ズズが「むずかしい」と言い、長老はそのたびに、同じ組を弾き直した。



「糸は、うえへも、したへも、はってある。……うえの、おおきな、さわぎ。スライムの、こが、みちと、さけび、ひとの、むすめが、それを、ひとの、ことばで、いいなおした。……ぜんぶ、わしの、あしに、とどいた」



 私は、ノートから顔を上げた。


 十二日目に、調査課の部屋で考えたことだ。

 蜘蛛の糸は層をまたいで張られているから、第三層の騒ぎが下まで届いたのかもしれない、と。


 当たっていた。

 六日前、第三層で私が訳し続けた声は、糸を伝わって、この巣まで下りてきていた。



「うえへ、いった、ものたちが、ひとに、きられずに、とおれた。……じゅうねんで、はじめてじゃ。だから、よんだ」


「私に、何を」



 長老は、すぐには答えなかった。

 糸が一本、細く鳴って、すぐに止んだ。



「せくな。ことばは、ひとつずつじゃ」



 ズズが訳した、その言い方に、私は少しだけ笑ってしまった。

 島のおばあさんも、録音を急ぐ私に、よく同じことを言った。


  "長老いいキャラ"

  "急くな、で草"

  "先生、今ちょっと笑った?"


 途中で、犬飼さんが、そっと手を挙げた。



「あの、先生。俺も、挨拶とかしたほうがいいっすかね」


「挨拶、ですか」


「犬飼ハヤテっす! 先生の護衛っす! よろしくお願いしまーすっ!!」



 通路じゅうの糸が、一斉に、びりびりと震えた。

 天井の蜘蛛たちが、脚を縮める。


 霧島さんが、無言で犬飼さんの頭を押さえた。



「……でかいの。いまの、けんかを、うるときの、こえの、おおきさだぞ」


「マジっすか!?」



 長老の糸が、一度だけ、短く鳴った。

 ズズが、少し考えてから訳した。



「げんきな、たてじゃ、と、いってる」


「盾って、俺のことっすか!? 褒められたっすか!?」


「たぶん、半分くらいは」



  "半分で草"

  "ハヤテ、蜘蛛にまで盾扱いされてる"

  "声量で喧嘩売るのやめろ"


 長老が話せるのは、一度に少しずつだった。

 一組弾いて、待つ。私が繰り返す。ズズが直す。もう一度弾く。


 夕方までに、ノートには蜘蛛の語が十一並んだ。


 ズズは、途中から訳すたびに体が薄くなって、最後は容器の底でくたりと伸びていた。

 その容器のまわりに、いつの間にか、手のひらほどの小さな蜘蛛が何匹も集まっていた。


 子どもだ、と思う。

 容器の縁を、細い脚で、こつ、こつ、と叩いている。



「やめろー。おれは、たべものじゃないぞー」



 声に力が無い。

 子蜘蛛たちは、それを面白がるように、もう一度こつこつと叩いてから、糸の上へ散っていった。


 分かったことがある。

 蜘蛛の言葉の高さの並びは、スライムの言葉と、言い方の形が同じだ。命令も、問いも、警告も。

 違うのは音の出し方だけ。スライムは泡で、蜘蛛は糸で、同じ形の文を話している。


 その頁を配信のカメラに映したとき、一つのコメントが流れた。


  "最小対、取れてます"


 名無しの音声学徒さんだった。

 糸の強さだけが違う二つの組を、私が並べて書いた頁だ。正しい。たしかに、取れている。


 ただ、その言い方が、少しだけ引っかかった。


 最小対が「取れてます」。

 研究室のゼミで、院生が先生に報告するときの、決まった言い方だ。

 一般の人は、たぶん、そうは言わない。


 気のせいかもしれない。

 私はコメントに軽く頭を下げて、次の組を書き取った。




◇




 第八層の階段の脇に、協会の中継所がある。

 コンクリートの小さな小屋で、寝袋が四つと、湯を沸かす道具が置いてあった。


 今夜は、ここに泊まる。

 霧島さんが、そう決めた。帰りに三時間、また来るのに三時間かけるより、安全だという判断だった。



「見張りは私がする。犬飼、お前は寝ろ」


「いや、俺、護衛なんで! 霧島さんこそ寝てくださいっす!」


「明日、お前が眠そうな顔で盾を持つほうが危ない」


「……うっす」



 湯を沸かして、三人で保存食を食べた。

 霧島さんは、食べながら、スマホの画面を一度だけ見た。



「本部から連絡があった。久我教授の翻訳AIを、四日後に、支部で実演させるそうだ」


「……そうですか」


「AIは、人の耳より速い。上は、速いものを好む」



 私は、湯の入った紙コップを両手で持った。



「速いのは、いいことだと思います。ただ」


「ただ」


「聞いていない言葉は、訳せません。どれだけ速くても」



 霧島さんは、それ以上、何も言わなかった。

 小さく頷いて、刀を膝の上に置き直しただけだった。


 犬飼さんは、寝袋に入って三分で、いびきをかき始めた。

 ズズは、容器の水の中で、平たくなって眠っている。


 私は、ヘッドホンをつけたまま、小屋の壁に背中を預けていた。

 接触マイクは、小屋の外の糸に、貼ったままだ。


 夜の巣は、昼より静かだった。

 ときどき、遠くの糸が、短く鳴るだけ。


 その静けさの中で、一本だけ、低い糸が鳴った。

 長老の弾き方だ。


 私は、ノートの今日の頁をめくりながら、一組ずつ照らし合わせた。

 まだ十一語しか知らない。けれど、その十一語で、だいたいの形は取れた。


 あした。

 スライムの、こ。

 つれてこい。

 そのこの、むれの、こと。


 最後の組だけは、どの語とも合わなかった。

 私は、ズズを起こさないように、そっとヘッドホンを外した。


 話さねばならん、と言っているように、聞こえた。



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