第86話 竜鱗の脈動ログ
『腐蝕の深沼』の湿り気から一転、楓の案内に導かれて到達したのは、世界の亀裂から覗く熱気が襲い来る死の地帯――『竜鱗の峡谷』だった。
足元の岩盤からは鼓膜を震わせる低い地鳴りが絶え間なく響き、鼻腔を突く強烈な硫黄臭と焦熱の風が皮膚を焼き焦がすように吹き荒れる。大地の亀裂からはドロリとした粘性を帯びた赤黒いマグマが覗き、立ち上る炎熱によって視界全体がぐにゃりと歪んでいた。吐く息すら熱気で喉を灼くその空間は、立っているだけで体力を削り取る天然の狂熱炉だった。
「……ここが最後の目的地、『竜鱗の峡谷』です。周囲の熱気と高濃度の竜気により、通常の魔導具は即座に熱暴走を起こす危険領域となっております」
楓が『漆黒の符』を掲げ、熱波を防ぐ影の帳を展開しながら説明する。
「目当ての素材【ドラゴン・バイタル】は、この地に棲まう古竜の痕跡――マグマの底に沈む脈動核に蓄積されているはずですが……」
「なるほど、高熱による処理熱の飽和と、竜気によるシステム干渉か。サーマル・プロテクトのパラメータを放熱優先にシフトする」
カイトは浮遊する透明コンソールの冷却設定を調整し、キーを打ち込む。
――ズズズ……ゴオォォォオオオン……ッ!
峡谷の深部から、大気を激しく震わせる重厚な竜鳴が轟いた。
マグマの池が津波のごとく大きく跳ね上がり、そこから姿を現したのは、山と見紛うほどの巨躯を誇る【地底の竜鱗王】だった。
重層的に重なり合った岩鱗は、激熱のマグマを弾き返し、それ自体が焦熱の光を放っている。巨竜が息を吐き出すたびに、灼熱の熱波が爆風となって叩きつけられ、空気がバチバチと放電を起こすような高濃度の「竜気」で満たされていく。全身から発せられる圧倒的な生体圧は、見る者の肉体を恐怖で硬直させ、魂の根底を圧迫するような物理的な威圧感を放っていた。
「カイト様、来ます! 地竜のブレスは熱量だけでなく、周囲の魔力コードそのものを焼き切る指向性破壊です!」
「OK、正面から受け止める必要はない。楓さん、ヒット・アンド・アウェイで竜気を散らしてくれ。俺はその間に血液データの波形をキャプチャする」
「御意!」
楓が印を結び、息を吐き出す。
「久遠流忍術――『影身跳躍・漆黒斬』!」
楓の身体が影となって弾け、一瞬で地竜の足元へと肉薄。漆黒の刃による超高速の連打と、符から展開された『久遠流・術式散波(破魔の符)』を零距離で叩き込み、地竜の竜気を力ずくで霧散させていく。地竜が苛立ちとともに旋回し、広域の火炎ブレスを爆破のごとく撒き散らした。
その激しい戦闘のさなか、カイトは冷静にログを解析していた。
(――ターゲットの血流コード、および魔力循環波形(脈動データ)のセンシング完了)
(――熱伝導率とエネルギー保持効率のパラメータを取得。システムへの統合準備完了)
「楓さん、離れて! クレンジングと同時に抽出に入る!」
「了解いたしました!」
楓が影跳びで瞬時に間合いを取ると同時に、カイトの指先が高速でコンソールを叩いた。
(――エアギャップコード実行。環境技能ライブラリ・《構造分離分解》)
青白い光のコードが地竜の周囲に巡る高濃度熱量回路を叩く。地竜が纏っていた激しい竜気の炎が一瞬で無力化され、その体表から血清のごとき極上の赤い液体が幾重もの帯となって分離した。
「グオォォオ……!?」
地竜が弱体化し、マグマの奥へと逃れるように撤退していく。カイトはその分離された純度100%のエネルギー体――【竜の脈動血】へ手をかざした。
(――エアギャップコード実行。空間技能ライブラリ・《完全隔離空間》)
幾何学的な立方体のバリアが展開され、ドクドクと自律的な脈動を打つ【竜の脈動血】が完璧に隔離・格納された。
「……よし! 三つ目の素材【ドラゴン・バイタル】の回収、無事完了だ」
タスクリストの全てのチェックボックスが青く点灯し、コンソール上にひとつの大きなログが表示される。
[Project: Living Proxy v2.0 - All Material Requirements Met]
「お見事です、カイト様……! ついにすべての素材が揃いましたね」
楓が感嘆の息を漏らし、カイトの元へ駆け寄る。
「ああ。【高純度霊核結晶】(空間・触媒)、【深淵の黒粘土】(有機構造)、【竜の脈動血】(循環・エネルギー源)……これで最高のパーツが全部揃った」
カイトは手元で青く輝くコンソールを閉じ、満足げに不敵な笑みを浮かべた。
「さあ、ボリスの待つ工房へ戻ろう。いよいよ『生体プロキシ - Living Proxy v2.0』の組み上げ(ビルド)開始だ」
二人は灼熱の峡谷を後にし、次なる開発フェーズへ向けて歩みを進めるのだった。




