第70話 影の誓約と、届いた手札
シルフィード公爵家西別邸の書斎。九歳となったリアは、卓上に広げられた調達官カトラからの密書を静かに見つめていた。
そこに記されていたのは、隣国(大国)が誇る国家最高峰の極秘情報機関――第0特務室(セクション・ゼロ / Sec.0)の『影(Shade / シェイド)』の協力を取り付けたという報告だった。
「……リア様。この『影』という者、隣国最高峰の機関が誇る者です。年齢や性別すら不詳、血統技法《久遠律》・『鏡面剥離術』の使い手で素顔すら偽装する最高幹部……。出身国や生い立ちすら完全に秘匿された危険人物ですし、いくら潤沢な資金と公爵家の情報網があるとはいえ、他国の公的機関のトップ手札を介入させるのはあまりに危険では……」
案じる護衛侍女セレスの言葉に、リアは穏やかに、けれど冷徹なまでの決意を宿した眼差しを向けて深く頷いた。
「ええ、セレス。彼らがどれほど危険で強力な存在か分かっているわ。だけど、我が国の公式な騎士団や機関が捜索を諦め、王国の暗部が介入しているかもしれない以上、この国の常識が通じない『外の大国の真の手札』に頼るしかないの」
リアはドレスの胸元にそっと手を当て、固い『石の護符』の感触を優しく確かめた。
「それに、公爵家の名で直接この者を動かすわけにはいかないわ。カイトを探す本当の主役は、今も必死の思いで彼を追い続けているご家族ですもの。私の我儘で、アデルハルト伯爵家の誇りや決意を置き去りにするような真似は絶対にできない。私はただ、影からこの『手札』をお渡しするだけよ」
リアはすぐさまペンを取り、アデルハルト伯爵アルベルトへ宛てた密書を認め始めた。
公爵家の名を決して出さず、調達官カトラの経由で手配できる信頼に足る圧倒的な追跡者の存在を知らせ、その力を借りるための「正式な依頼の許可」を請う、どこまでも丁寧で誠実な文面であった。
◇ ◇ ◇
数日後。アデルハルト伯爵邸、領主執務室。
連日の捜索と私財の枯渇により、幾重もの疲労が深く刻まれた父アルベルトは、西別邸から届いた一通の書簡を震える手で読み進めていた。
『……アデルハルト伯爵様。表の手だてが途絶えかけた今、貴家の切なる祈りを果たすため、隣国の公的最高機関たる特務の力を借りる手筈を整えました。もしお許しいただけるのであれば、その者を専属の捜索員としてお雇いください……』
幼きリアからの、あまりにも思慮深く、アデルハルト家の誇りを傷つけまいとする細やかな配慮。
「……リア様……。これほどまでに……我ら家族を立て、想ってくださるか……っ」
アルベルトの目から熱い涙が零れ落ち、羊皮紙の上に小さな染みを作った。絶望の淵にいた父親の胸に、消えかけていた燃えるような希望の火が再び灯る。アルベルトは即座に強い同意と感謝の返書を認め、アデルハルト伯爵家の全権と捜索資金を託す正式な依頼状をカトラへと託した。
父親の愛と幼馴染の絆が紡いだ確かな祈りは、王国の国境を越え、未だ見ぬ「外の大国」へと静かに託されることとなる。
遠く引き裂かれた運命の歯車が、いま再び、確実な音を立てて噛み合い始めていた。




