↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
零からの魔法回路 〜世界システムをハックする反逆のSE〜  作者: ラレイラ
第三章:交錯する影と盤上の手札

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/102

第65話 静かな脈動と、深秘の手記

地下の測定場には、ただ低い魔導器の駆動音だけが響いていた。


大袈裟な陣が描かれているわけではない。これまで何度も繰り返されてきた、リアの魔力状態を確かめるための定期検査だ。石造りの部屋の中央で、六歳のリアは静かに佇んでいた。


足元を撫でる測定光が、穏やかな青い輝きを保っている。

カイトの『石の護符』が体内の過剰な魔力を完璧に循環・抑制しているため、かつてのように周囲を凍らせるような暴走の兆候は微塵もない。


「……公爵閣下。報告通り、魔力の暴走は完全に沈静化しております」


羊皮紙の記録を確認していた技師長が、安堵の息とともにヴァルデマーへ向き直った。


「それどころか、計測された潜在魔力量は公爵家の歴史を見ても類を見ない規模です。暴走の危険が去った今であれば、公爵家の最高峰の魔導教育を施すに十分な資質と言えます」


技師長の言葉が、地下の静寂に落ちた。


部屋を見下ろす位置に立っていたのは、シルフィード公爵家当主、ヴァルデマー・フォン・シルフィード。

アーク=ルミナス神聖王国の均衡を一身に背負う二大公爵家の一翼であり、王国屈指の氷華魔導師として内外にその冷徹さを恐れられる男だ。公爵当主としての鉄の仮面と、神聖術式監査局(アーク・コード)をはじめとする国家の暗闘から家を守り抜く苛烈な政治力を持つ彼だったが、その胸の奥には誰にも明ませぬ深い傷痕があった。


娘・リアの暴走が発覚して以来の数年間、彼は絶望の底にいた。我が子の命が過剰な魔力に苛まれ、やがて自壊していく悲惨な未来を、ただ苦痛とともに受け入れるしかなかったからだ。


——だからこそ、技師長が口にした言葉の意味を、ヴァルデマーの脳はすぐには処理できなかった。


沈黙が落ちた。

一拍、二拍……地下室の冷えた空気が静止したかのような、重く長い間。


腕を組んだまま立っていたヴァルデマーは微動だにせず、ただ眼下のリアを凝視していた。

『危険が去った』『十分な資質』——耳から入った単語が反芻され、長年凍りついていた思考の奥底へとゆっくり、じわじわと染み込んでいく。


(……危険が……去った……?)


諦めかけていた奇跡。二度と訪れることはないと自分に言い聞かせていた現実。

それが今、目の前で現実として突きつけられているのだと理解した瞬間、ヴァルデマーの喉が、引きつるようにかすかに動いた。


(……生きられる。この子は……壊れずに、生きられるのだな……!)


あまりにも遅れて込み上げてきたのは、胸をかきむしるほどの歓喜と、膝から崩れ落ちそうなほどの安堵だった。

ヴァルデマーはマントの下で、爪が皮膚に食い込むほど拳を固く握りしめた。射抜くような氷藍色(アイスブルー)の瞳の奥で、長年保ち続けていた冷徹な影が激しく揺らぐ。だが、溢れ出そうになる感情を死に物狂いで押し殺し、周囲の技師たちには決して悟らせない。


技師たちの目には、当主がただ静かに、深く一回の息を吐き出したようにしか見えなかった。


「……そうか」


長すぎる静寂ののち、落とされたヴァルデマーの声は、努めて冷ややかに保たれていた。だが、技師たちに背を向けて歩き出したその背中は、背負い続けていた絶望の重圧からようやく解放された男の静かな安堵を纏っていた。


「シルフィード公爵家の血を引く者として、立ち振る舞いや社交上の最低限の嗜みは叩き込んであって当然のこと。いずれ公の場に出る以上、公爵家の人間としての基本教養に不備など許されん。

……問題は保留にしていた魔導教育だ。暴走の懸念が消えたのであれば、直ちに我が家に相応しい英才教育を開始する。一流の家庭教師を手配し、高度魔導理論と氷華術式の神髄を叩き込め。

ただし——神聖術式監査局(アーク・コード)などの余計な目が向かぬよう、拠点は変わらず西別邸とし、外部への情報露出は最小限に留めよ」


「……御意にございます」


それだけ命じると、ヴァルデマーは一度もリアと目を合わせることなく、漆黒のマントを翻して地下室を後にした。


取り残された部屋の中央で、リアはそっとドレスの胸元に手を当てた。


(……父上。今、すごく長い間があった……。)


リアの優れた観察眼は、父が報告を受けてから沈黙していたあの『間』と、必死に隠そうとした微小な揺らぎを逃さなかった。冷徹な命令の裏にある、狂おしいほどの安堵の気配を。


◇ ◇ ◇


西別邸の自室に戻ったリアは、明日から始まる高度な勉強に備え、部屋の隅に置かれた古びた黒檀のデスクを片付けていた。かつて父ヴァルデマーが若かりし頃に使っていた調度品だ。


物置から運び出されたばかりの古いデスクは、長年の埃と湿気で奥の引き出しが引っかかり、スムーズに開かない。


「……あ」


無理に引っ張ると壊れてしまいそうだと思ったリアは、引き出しを一度優しく奥へ押し込み、奥の隙間に引っかかっているものがないか、小さな手をそっと差し入れた。

指先に触れたのは、奥の背板と引き出しの間に挟まれていた、小さく不自然な段差だった。長年の振動で、二重底の薄い板がわずかにずれていたのだ。


そのずれた隙間から、古びた革の角がのぞいている。


「……これ、なに……?」


リアがその板をそっと持ち上げると、奥の底から埃をかぶった一冊の革装丁の手記があらわれた。

何気なく手に取り、めくった最初のページ。そこに躍っていたのは——間違いなく、父ヴァルデマーの厳格な筆跡だった。


『○月○日。銀髪の美しい娘が生まれた。私と同じ氷藍色(アイスブルー)の瞳をしている。妻の面影を感じさせる柔らかな寝顔をしていて、今日初めて私の指を握って小さく微笑んだ。シルフィードの宝となるだろう』


「……え……?」


手記をめくるリアの小さな指が、ピタリと止まった。


息が詰まる。いつも冷たい眼差しで自分を見下ろし、一度として情を見せたことのない厳格な父。その人が書いたとは到底信じられないほど、溢れんばかりの温かな情愛がそこには刻まれていた。


(これ……父上の……? 私が、生まれた日の……?)


自分は不気味な出来損ないとして嫌われているのではなかったのか。思いもよらない言葉に胸が小さく跳ね、動揺と困惑に包まれながら、リアは吸い寄せられるように次のページをめくった。


だが、リアが三歳を迎えたあたりのページから、筆致は焦燥に満ちて激しく乱れ始めていた。


『○月○日。なぜだ。リアの魔力が異常な高まりを見せている。部屋の温度が下がり、侍女が凍傷を負った。予言省と神聖術式監査局(アーク・コード)の影が屋敷の周囲をつきまとっている』


『○月○日。監査局の調査官が接触してきた。あやつらはリアを危険検体として連れ去ろうとしている。渡すわけにはいかない』


『○月○日。今日、また暴走が起きた。もう隠しきれない。……あえて「欠陥品」として西別邸に隔離するしかない。監査局の目から遠ざけるために。すまない、リア。すまない……』


そして——


『もう、この手記を書くことはないだろう。愛しいリア。どうか、私を恨んでくれ』


悲観と絶望の末に途絶えた手記。そのまま物置のデスクの奥底に眠っていた、「途絶えた愛の記録」だった。


「……っ……あ……」


手記を抱きしめた瞬間、リアの胸の奥で何かが弾けた。


ずっと、寂しい西別邸で自分一人だと思っていた。自分は気味悪がられ、父に見捨てられた「いらない子」なのだと、幼い心で言い聞かせて冷たさに耐えていた。

だが、違ったのだ。最初のページに書かれていた溢れるような喜びも、その後の冷たい態度も、西別邸への隔離も。そのすべては、自分を『神聖術式監査局(アーク・コード)』の毒牙から命がけで隠し、守り抜くための父の悲痛な演技だったのだ。


(……私は……愛されていたんだ……っ。最初から……ずっと……っ)


堰を切ったように熱い涙がポロポロと溢れ出し、手記のページに染みを作っていく。

ずっと冷え切っていた世界が一瞬で温かな光に包まれていくような、胸が引きちぎれそうなほどの歓喜と救い。リアは手記を両手で強く抱きしめ、年相応の子供のように声を殺して泣きじゃくった。


「……父上……っ、私……私……っ」


胸元で、カイトの『石の護符』が静かに、優しく温もりを返している。

呪われた暴走から自分を救い、生きる希望をくれたカイト。そして、絶望の中で血を吐く思いで自分を隠し守り続けてくれた父。

自分は決して一人ではなかった。世界で一番優しい二人の愛に、自分は確かに守られていたのだと。


涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、リアは必死にドレスの袖で拭った。涙の拭われたその瞳には、かつてないほどの温もりと、眩いばかりの光が宿っていた。


「……セレス……っ」


「……はい、リア様」


「……私ね……父上に……すごく、愛されてた……っ。捨てられたんじゃ……なかったの……っ」


セレスもまた、主人の溢れる涙と喜びの声に目頭を熱くし、静かに膝をついた。


「はい……はい、リア様……」


「……あたたかいよ、セレス……。私、すっごく……嬉しいの……っ」


リアは手記を大切に抱きしめ、しゃくりあげながらも、心からの溢れる笑顔を見せた。

そして、その二重底の奥へ手記をそっと戻すと、父の秘められた想いごと大切に引き出しを閉めた。その手つきには、もう孤独の怯えなど微塵もなかった。


「父上が命がけで守ってくれたこの命だもの……父上が与えてくれるものを、全部、大切に受け取ってみせるわ」


リアはゆっくりと立ち上がり、胸元の『石の護符』を強く握りしめた。瞳に涙の痕を残しながらも、その表情には静かで揺るぎない誓いが充ち満ちていた。


「父上に心配をかけないくらい、誰よりも強い自分になるの。そして……私を救ってくれたこの力で、今度は私が、絶対にカイトを連れ戻してみせるから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。