第64話 誓いの静寂(しじま)と、秘められた氷華
正面の回廊に足を踏み入れれば、磨き抜かれた白亜の大理石が光を返し、高い天井のステンドグラスから眩しい七色の光が差し込む。庭園から吹き抜ける風は咲き誇る白薔薇の香りを運び、魔導ヒーターで温められた空気は、まるで一年中が春であるかのように心地よい。重厚な扉が開くたび、聖堂のような美しい残響が響き渡る。
そこはまさに地上にそびえる宮殿――アーク=ルミナス神聖王国が誇る二大公爵家の一翼、シルフィード公爵邸だった。
――だが、その華やかな本館を抜け、長い渡り廊下をいくつも越えた北側の奥深く。
分厚い外壁の影に埋もれ、太陽の光が一度も届かない暗がりが存在する。庭園の温かい風は途絶え、代わりに古い石造りの隙間から、埃っぽく冷たい隙間風が足元を撫でていく。
陽光からも温もりからも見捨てられた、寂れた西別邸。
本館の煌びやかさから完全に切り離されたその部屋こそが、現在のリアに与えられた居場所だった。
元々、リアがアデルハルト領へ送られていたのは「魔力暴走を起こす危険な存在」として隔離するためだった。だが、カイトから贈られた『石の護符』を手にして以来、あれほど暴れていた魔力は嘘のように沈静化。発作が完全に収まったという報告を受けた公爵家は、彼女を王都の屋敷へと呼び戻したのだ。
しかし、戻されたからといって歓迎されたわけではない。「いつ再発するかわからない出来損ない」として本館から切り離された暗い部屋へ押し込められ、公爵家内での扱いは冷遇そのものだった。
卓上に置かれた昼食は油が白く固まり、冷めきっている。廊下からは「公爵様もあのお方の扱いには困っておられる」「いずれ修道院にでも送られるのでは」という使用人たちの心ない噂話がかすかに響いていた。
だが、リアは冷えたスープには目もくれず、ドレスの内側に隠した無骨な『石の護符』を取り出すと、両手で包み込むように大切に抱きしめた。
指先で撫でる、不揃いで小さな石の感触。目を閉じれば、あの日、不器用な笑顔でこの石を差し出してくれたカイトの手の温もりが、今も鮮明に蘇ってくる。リアにとってこの無骨な石は、単なる魔力安定の道具などではない。今ここにいないカイトそのものであり、二人の絆を結ぶ唯一の命綱だった。
「……カイト。私、絶対に諦めませんから……」
胸に石を強く押し当て、彼の存在を確かめるように深く息を吸い込む。
昼間、リアは父である公爵の元へ向かい、直訴していた。失踪したカイトの捜索に、公爵家の情報網を貸してほしいと必死に頭を下げたのだ。しかし、父の返答は見るに耐えないほど冷徹だった。
『シルフィードの力は国家の均衡を保つためのものだ。たかが一伯爵家の子供一人に割く余分な手足など我が家にはない。生死すら不確かな者に執着し、これ以上私を失望させるな』
貴族としての合理性だけで切り捨てられた冷酷な一言。思い出される父の冷ややかな眼光に対し、リアの胸を満たしたのは失意の涙ではなく、愛しいカイトを絶対に諦めないという苛烈な情熱だった。
「……セレス。公爵家が動かないのであれば、結構です。私自身の手で探します」
「リア様……」
「金がなければ作り、権力がなければこの家で誰よりも高みに登り詰めて手に入れます。どんな手を使ってでも、世界中をひっくり返してでも……私は絶対、絶対にカイトを見つけ出してみせます」
リアはゆっくりと立ち上がり、手に包んだ石へ愛おしそうに静かに頬を寄せた。その声には柔らかさと丁寧な品格を宿しながらも、揺るぎない絶対の意志がこもっていた。
「私は絶対に諦めません。カイトが世界のどこに囚われていようと、地の果てまで追って……私が絶対に、あなたを連れ戻します」
セレスは、その背中に宿る凄まじい熱量と覚悟に息をのんだ。
リアは石をそっとドレスの内にしまい、愛おしい温もりを胸に抱いたまま息を整える。この石が魔力を抑え込んでいる事実と、カイトの持つ規格外の才能を公爵家に知られてはならない。もし知られれば、あの大人たちはカイトを見つけ出した後、救い出すどころか公爵家の「便利な道具」として一生縛り付けてしまう。
「セレス。この石のことも、カイトの本当の才能も、絶対に秘密です。あの者たちにカイトを利用させたりはさせない……カイトを救い出すのは、私なのですから」
「……御意のままに」
セレスは大人として、一人の騎士として、幼くも気高き主人の前に深く膝をついた。
「このセレスの剣と命、すべてリア様がカイト様を取り戻すその日のために捧げます。どこまでも、お供いたします」
陽も風も届かぬ暗い西別邸の一室で、主従は「カイトを絶対に捜し出す」という絶対の誓いを立てたのだった。




