第63話 時が止まった部屋と、消えぬ灯火
カイトが失踪してから二度目の冬が、アデルハルト領に深い雪をもたらしていた。
伯爵邸の二階最奥にあるカイトの部屋は、あの日から一寸の狂いもなく当時のまま保たれていた。
埃ひとつ落ちていないデスク、几帳面に揃えられた羊皮紙、整えられたベッド。だが、そこにはどこか現実味を欠いた、ガラスケースの中のような異様な静寂が満ちていた。
カイトのベッドの傍らに置かれた小さなゆりかごでは、一歳を過ぎた妹のミレイが、すやすやと温かな寝息を立てて眠っている。
その愛らしい寝顔を優しく見つめながら、母・エレナは膝に小さな針箱を置き、カイトが残していった小さな上着を手にとっていた。
「……もう、この服じゃ小さすぎて着られないわね」
ポツリと漏らした声に、卓上で温かいハーブティーを注いでいたマーサの手が一瞬止まる。
男の子の成長は早い。二年も経てば背も伸び、手足も大きくなっているはずだ。
エレナはその「目に見えない成長」を頭の中で必死に思い描きながら、ひと回り大きな生地を裁ち、夜な夜なカイトのための新しい服を縫い続けていた。すくすく育つミレイの姿に長男の面影を重ね合わせ、会えない息子の背丈を祈るように想像しながら針を進めるその指先には、痛々しいほどの執念と母の愛が宿っていた。
「奥様。今夜も門頭のランプにしっかりと油を注いでおきました。どれほど深い吹雪になろうと、坊ちゃまが遠くからでも屋敷を見つけられるように」
マーサの静かな言葉に、エレナは深く息を吐き、かすかな微笑みを返した。
「ありがとう、マーサ。……あの子、暗いところが苦手だったから。きっとあかりを目指して帰ってくるわ」
マーサもまた、自分なりの戦いを続けていた。
アルベルトが私財を削って捜索を続ける中、限界に近い屋敷の生活費を巧みにやり繰りし、幼いミレイの身の回りのお世話もしながら、領民に動揺を与えないよう「変わらぬアデルハルト家」の威厳を静かに支えていたのはマーサだった。厨房で一人になると、カイトに小さな手で不器用な治癒魔法を見せてもらった日のことを思い出しては胸を痛めていたが、エレナの前では絶対に気丈な態度を崩さなかった。
「……アルベルトが戻ったら、今夜は温かいシチューを出しましょう。あの子がいつ扉を開けてもいいように、お部屋も暖炉も、いつでも温めておかないとね」
「はい、奥様。とびきり温かいものをご用意いたします」
外では冷たい雪嵐が吹き荒れ、国家の壁と私財の枯渇という容赦ない現実が伯爵家に押し寄せていた。だが、この小さな屋敷の奥で、母とメイドが灯し続ける小さな明かりと、幼い妹の静かな息遣いだけは、どのような暗闇であっても消し去ることはできなかった。




