第7話 5歳:銀髪の少女・リアとの出会い
五歳を迎えた俺の身体は、ようやく一人前の「端末」として思い通りに動作するようになっていた。
本日は、かねてより予告されていた上位貴族――シルフィード公爵家の一行を領主館へ迎え入れる日である。そのため、普段は動きやすさ重視の簡素な服で過ごしている俺も、この日に限っては母エレナの手によって厳重に身なりを整えられていた。
身につけていたのは、貴族の幼子としての品位と動きやすさを兼ね備えた仕立ての服だった。肌触りの良い白いリネンシャツの上に、深く落ち着いた紺色のウール製ベストを重ね、膝下までの上質な革製ズボンと、足首を柔らかく包む革靴を履いている。襟元や袖口に施された繊細な刺繍は、母エレナのこだわりだ。幼少期の不快なオムツ生活から解き放たれ、自分の意思で上質な服を纏い、自由に大地を歩ける快感は大きかった。
「カイト様、遠くへ行きすぎてはだめですよ」
メイドのマーサの声を後ろに聞きながら、俺はアデルハルト邸の広大な庭園の奥、古い石造りの噴水がある木立ちへと足を進めていた。ここはお気に入りの「ローカル開発環境」だ。誰の目にも触れず、体内の魔力回路の最適化と、微小な外部干渉のテストを行うのに最適な場所だった。
指先を滑らせ、空気中の熱量をほんのわずかだけ変換するコードを脳内で走らせる。
(うん、レイテンシ(遅延)はほぼゼロ。魔力ロスも前月比で15%削減できたな……)
自己満足の笑みを浮かべたその瞬間——突如として、肌を突き刺すような強烈な「不協和音」が外部から割り込ent込んできた。
(——なんだ!? 急激な熱量の低下……コールド・シャットダウンか!?)
周囲の温度が急速に奪われ、初夏の心地よい風が、一瞬にして凍てつく冬の冷気へと変貌する。噴水の水面がパリパリと音を立てて凍りつき、足元の芝生が白く粉を吹いたように凍りついていく。
異変の発生源は、木立ちの影にある小さな東屋のそばだった。
少し離れた場所から、少女の専属と思われる侍女が「リア様!」と青ざめた顔で駆け寄ろうとしているのが見えるが、猛烈な冷気の壁に阻まれて近付けずにいる。
俺が東屋へと駆け寄ると、そこに一人の少女がうずくまっていた。
息をのむほど美しい、雪の結晶を溶かし込んだような透明感のある白銀の髪。華奢な体にまとっているのは、細やかなレースとフリルで飾られた淡い青のハイエンドなドレスだ。だが、その美しいドレスの裾は霜で真っ白に凍りつき、彼女の小さな手からは、制御を失った絶対零度の冷気が怒涛のように溢れ出していた。
「あ……く、来ないで……っ。凍りついちゃう……!」
振り向いた少女の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んだ氷藍色だった。その瞳には、溢れ出る恐怖と孤独な絶望が滲んでいる。周囲の薔薇が冷気の波に飲み込まれて一瞬で凍結し、ガラス細工のように砕け散った。
(なんだこの魔力量は……桁が違いすぎる!)
少女を中心に広がる魔力の光景に、俺は思わず息を呑む。
とっさに視界を「デバッグモード」へ切り替えたが、映し出された内部構造は最悪だった。出力制御のループ処理が存在せず、冷気のエラーが無限ループを引き起こし、スタックオーバーフローを起こしかけている。
このままでは、彼女自身の魔力回路が焼き切れるか、周囲数百メートルを永久凍土に変える大爆発が起きる。
「く……っ、止まらないの……! 助けて、誰か……!」
ガタガタと激しく震え、自分を抱きしめる少女。
普通の人間なら逃げ出すか、騎士を呼んで排除しようとする場面だろう。だが、エンジニアとしての俺の性分が、目の前で発生している「重大なバグ」を放置することを絶対に許さなかった。
「おい、動くな」
「え……?」
俺は容赦なく足を踏み出し、冷気の嵐の中へと飛び込んだ。
足元から膝にかけて猛烈な冷気が襲いかかり、服の布地がバリバリと凍りついていく。痛いほどの寒さが皮膚を刺すが、前世の徹夜デバッグに比べれば大したことはない。
俺は少女の前に膝をつくと、冷気を撒き散らす彼女の小さく凍え切った両手を、自分の両手で上からしっかりと包み込んだ。
「ひっ……!? だめ、触っちゃ——」
「静かに。アクセス権を寄こせ」
「え……?」
驚愕に目を見開く少女の目の前で、俺は体内の精巧にチューニングされた青い魔力回路を全開で駆動させた。
彼女の手を通じて、俺の魔力を彼女の体内へとダイレクトに流し込む。
(ターゲット:高負荷冷却ルーチン。エラーログの取得完了……よし、例外処理をオーバーライド(上書き)する!)
俺の青い魔力が、彼女の暴走する白銀の魔力と交錯する。
スパゲティのように複雑に絡まり、暴走していた彼女の回路に、俺は自作の「制御パッチ」を猛スピードで当て込んでいった。無駄な無限ループを強制終了し、冷却のベクトルを内側から外側への緩やかな拡散へと書き換えていく。
バチバチッ! と、二人の手元で青と白の光の火花が弾けた。
「……あ……」
少女が小さな声を漏らす。
瞬く間に、周囲を支配していた凶悪な冷気が嘘のように引いていった。凍りついていた噴水の氷がさらさらと水に戻り、殺伐としていた空気に、再び初夏のあたたかな日差しが戻ってくる。
少し離れた場所で立ち尽くしていた侍女が、驚愕と安堵の入り混じった表情でこちらへ駆け寄ってくるのが視界の隅に映った。
「ふう……デバッグ完了。危ないところだったな」
俺は額の冷や汗を袖で拭い、小さく息を吐いた。
手を離すと、少女は呆然とした様子で自分の小さな手のひらを見つめ、それから信じられないものを見る目で俺を見上げた。
「……冷たく……ないの……? 私に触って、凍りつかなかったの……?」
「冷たかったさ。おかげで手足の感覚が麻痺しそうだった。けど、原因がただのコード……いや、魔力の制御漏れだって分かってたからな。ちゃんと整えてやれば、こんなのどうとでもなる」
さらりとそう告げると、少女の氷藍色の瞳から、ぽろりと大きな涙がこぼれ落ちた。
それは恐怖の涙ではなく、ずっと誰にも理解されず、化け物扱いされる恐怖に怯えていた少女が、初めて救われた瞬間の涙だった。
「私……私、ずっと……怖かったの……っ」
「もう大丈夫だ。君の魔法は壊れてなんていない。ただ、ちょっと出力が大きすぎて、制御回路が追いついてなかっただけだ」
俺はポケットからハンカチを取り出すと、しゃがみ込んで彼女の頬を伝う涙をそっと拭った。
泣きじゃくる彼女の銀髪が、木漏れ日を受けてキラキラと美しく輝いている。
そこへ、ようやく駆けつけた先ほどの侍女が息を切らせながら膝をつき、震える少女をそっと抱き締めた。
「リア様……っ! お怪我はございませんか……!」
「セレス……私、私ね……」
侍女の名前がセレスだと知り、互いを抱き締める主従の姿を見届けてから、俺は自分の名前を告げた。
「俺はカイト。カイト・フォン・アデルハルトだ。君の名前は?」
少女はしゃくりあげながら、強くハンカチを握りしめ、まっすぐに俺の目を見つめ返した。
「……リア。リア・フォン・シルフィード……」
シルフィード公爵家。王国の二大公爵家の一角であり、強大な氷魔法を継承する名門の令嬢。それが彼女の正体だった。
「そうか、リア。いい名前だな」
俺が微笑むと、リアは頬をぽっと赤く染め、小さく、けれど心からの笑顔를 浮かべた。
「うん……! ありがとう、カイト……!」
すぐ傍らでその様子を見守っていたセレスは、主である少女を救ってくれたカイトに対し、冷徹かつ複雑な眼差しを向けつつも、深く静かに一礼した。
これが、のちに「氷の聖女」と呼ばれ、世界を揺るがすことになる最強の魔導師と、あらゆる魔法を最適化する「デバッガー」である俺との、すべての始まりの瞬間だった。




