第6話 3〜4歳:辺境領地(ローカルサーバー)の構造把握と、日常業務の自動化
三歳で自身の魔法回路を完璧に構築してからの約一年間。俺は次なるステップとして、自分が生きるこのアデルハルト領の「環境調査」と、日常の些細な「タスクの自動化」に着手していた。
三歳から四歳にかけての月日は、寒冷なアデルハルト領地に雪解けの泥の匂いと、芽吹く若草の青々しい香りを交互に運んできた。
質実剛健な石造りの館の裏庭。冷気を孕んだ春風が素肌を撫で、井戸端からは滑車が軋むキィキィという低い音が響いている。
「カイト様、まだ水が冷たいですから、お部屋に入っていてくださいね。お洋服も泥だらけになってしまいますよ」
付き添いのマーサが申し訳なさそうに微笑みながら、泥のついたカブに似た根菜を大きな手で擦り洗いしている。日向に干された麻布から漂う柔らかな石鹸の匂いと、掘り起こされたばかりの湿った黒土の力強い臭気が混ざり合っていた。
「ううん、まーさのおてつだいするの!」
俺は三歳の小さな体で屈み込み、木桶に溜められた刺すように冷たい井戸水へと両手を浸した。
三〜四歳の幼児の筋力では重労働だが、俺には完成したばかりの「最適化された魔法回路」がある。
(手首から指先にかけての筋力を微細にアシスト。さらに、水の表面張力を魔力でコントロールして、泥の粒子だけを弾き飛ばす……実行)
発動させるのは、意識の表層を一切占有しないバックグラウンド処理だ。
俺の指先から極小の魔力が静かに展開され、水中で野菜の表面に触れる瞬間、分子レベルの微振動を生み出して泥の粒子を綺麗に剥離していく。
シャリ、シャリ。
軽く撫でただけで、小さな手のひらの中で根菜が瞬く間に象牙色の美しい肌を露出させた。
「あら……あらまあ! カイト様、なんて手際が良いのでしょう! こんなに綺麗に洗ってくださるなんて、まるで魔法みたいですねぇ」
「えへへ」
驚きに目を丸くするマーサに、俺は子供らしく笑ってごまかす。
前世のSE思考が満足げに頷く。一度ビルド(構築)したインフラは、こうした日常の些細な手伝い(バッチ処理)で常時稼働テストを繰り返すのに最適だった。風の魔力で洗濯物の乾燥効率をこっそり30%向上させたり、父親の肩を叩くふりをして微弱な治癒魔力で乳酸を分解したりと、俺は領主館の日常業務を陰ながら最適化し続けていた。
午後になり、俺は淹れたての温かいハーブティーが入った木組みのマグカップを両手で持ち、父親の執務室へと足を運んだ。
無造作に積み上げられた羊皮紙や粗末な紙の山の向こうで、父・アルベルトが太い指で羽ペンを握り、苦しげに眉間を寄せている。部屋には、古い紙の埃っぽい匂いと、甘酸っぱい鉄インクの香りが満ちていた。
「お父様、おちゃ、もってきたよ」
「おお、カイトか……ありがとう」
父はマグカップを受け取り、カモミールに似た甘い蒸気を吸い込んで深く息を吐き出した。その顔には、領地を治める領主特有の疲労の色が濃く滲んでいる。
「お仕事、たいへん?」
「ああ、春の種まきに向けた予算の振り分けでな。我がアデルハルト領は、見ての通り豊かな土地ではないからな」
父は羽ペンを置き、窓の外へと視線を向けた。
執務室の窓からは、寒冷な風に晒された小高い丘と素朴な農村の風景が広がっている。遠くには雪を頂いた険しい灰色の山脈がそびえ、その手前には麦畑となる予定の広大な茶色い土が広がっていた。
「ここには金が採れる鉱山もないし、特産品と呼べるような魔獣の素材もない。冬は長く、土も決して肥沃とは言えん」
父の言葉を、俺は脳内で冷静に翻訳する。
(なるほど。このアデルハルト領は、特産品も鉱山もない、貧しくリソースの枯渇した『スペックの低いローカルサーバー』というわけだ)
「だがな、カイト」
父は大きく温かい手で、俺の頭をぽんぽんと撫でた。剣ダコで硬く、そしてどこまでも温かい手だ。
「この土地の民は皆、真面目で働き者だ。派手さはなくとも、互いに助け合い、冬の寒さを耐え抜く強さがある。擦れ切れた服を着ていても、皆で力強く畑を耕している。私はこのアデルハルトの土地と民を、誇りに思っているんだ」
誇らしげに語る父の横顔は、武骨な騎士でありながら、どこまでも領民を愛する優しい為政者のそれだった。
資源は少なくとも、システムの安定性(人々の繋がり)は極めて高い。それを守るために、この不器用な父親は日々、スパゲティコード(乱雑なプログラム)のような魔法で己の身を削り、深夜までデスクワークに追われているのだ。
(……悪くない環境だ。俺がここでシステム改修(テコ入れ)をすれば、この領地はもっと豊かになるかもしれないな)
ハーブティーの甘い香りが漂う執務室で、俺は父の大きな背中を見上げながら、密かにそんな野望を抱いていた。
平和で穏やかな、辺境領地での日々。
だが、この小さくも温かい世界が、間もなく訪れる『外部からのバグ(想定外のエラー)』によって大きく揺れ動くことになるとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。




