第57話 メンテナンス・ベイの決裂、異端者たちの拒絶
メンテナンス・ベイの冷えた待機ドックの一角。エリカが姿を消したあとも、青白い魔導管の明滅と微小な機械音だけが、静まり返った空間に反響していた。
足音もなく忍び寄ってきたヴァルター・クロイツが、躊躇いもなくカイトの華奢な肩へずっしりと重い腕を回し込み、粗暴に引き寄せた。
「おい、新入り」
耳元に吹き付けられる湿った吐息と、鼻をつく新しい傷の生臭い血の匂い。ヴァルターは首を捻り、カイトの顔と数センチの距離まで顔を近づけると、威圧するように口角を歪めた。
「エリカの奴が目を皿のようにして探してる『異常値』ってのは、お前のことらしいな。……なぁ、カイト・フォン・アデルハルト。俺たちに隠していい思いをしようなんて考えるなよ?」
だが、至近距離で脅しつけられようとも、カイトの漆黒の双眸に微塵の揺らぎもなかった。至近距離からの不快な接触に対し、ただ冷めきった低音で短く吐き捨てる。
「……気安く触るな。不快だ」
言い切ると同時に、カイトは無駄のない動作で自身の肩に乗せられたヴァルターの腕を容赦なく跳ねのけた。
「……あ?」
予想外の拒絶にヴァルターの顔から笑みが消え、即座に二人で左右から挟み込むようにしてカイトの逃げ場を塞いだ。カイトの冷ややかな視線と反抗的な態度にレオンの理性が弾け、力任せにカイトの胸ぐらを掴み上げると、ヴァルターと共に圧力をかけながら、後ろの厚い鋼鉄壁へと激しく叩きつけた。
ガンッ! と激しい金属音が空間に炸裂する。
「白々しい顔をしてるんじゃねえ! お前が医療局のシステムで何をしてようと知ったことか。だが俺たちの身体を縛るこの不快な処置を解除する術があるなら話は別だ。大人しく俺たちの体を取り戻す手伝いをしろ。……拒否すれば、今ここでその細い首をへし折る」
特製の拘束手袋越しに伝わる暴力の重みと、至近距離から浴びせられる露骨な殺意。足が床から浮くほどの圧力をかけられながらも、カイトの表情には苦痛も恐れもなく、ただゴミを見るような冷淡な瞳でレオンを見返した。
(浅浅薄で、感情的で、力に頼るしか能のない欠陥品か。……不快だな)
「力で脅せば従うとでも思っていたのか? ……自分の立ち位置すら理解できない欠陥品が」
「貴様……ッ! 今すぐ殺して――」
カイトの指先が虚空でかすかに跳ねた瞬間、レオンの体内の魔力回路へ不可視のハッキングがダイレクトに穿たれた。
「ガ、ッ……!? あ、ぁぁアッ……!」
レオンの全身に激痛が走り、掴んでいたカイトの胸ぐらから力が抜けて膝から崩れ落ちた。拘束手袋の隙間から漏れかけた黒銀の破砕魔力が、自身の体内の神経網へ強制的に逆流し、脈動を内側から押し潰していく。
「おい、レオン!?」
至近距離で手を出そうとしていたヴァルターも、何が起きたのか理解できず絶句して数歩後退した。カイトは胸元の乱れを静かに指先で整え、床に伏して激痛に悶絶するレオンを見下ろす。
「次に俺にへ触れてみろ。お前のその歪んだ魔力回路を暴走させて、自分自身を砂に変えてやる」
絶対的な格の違いを見せつける、絶対零度の宣告。己の命すら一瞬で握り潰された屈辱と恐怖に、レオンは床に擦り付けた拳を血が出るほど強く握りしめ、消えぬ殺意と呪詛を込めてカイトを睨みつけた。
「覚えておけ、カイト……! 俺は絶対に貴様を許さない……! いつか必ず、この『物質崩壊』で跡形もなく消し去って殺してやる……!」
「……見苦しいな。せいぜい処分されない程度に生き延びることだ」
カイトは一瞬たりとも二人を振り返ることもなく、冷ややかに暗がりへと立ち去っていった。
要塞の振動センサーを警戒し、最小限の動作で微細な足音を殺して廊下を歩みながら、カイトの並列演算領域では、先ほどの物理接触によって得られたデータが淡々と解析・保存されていた。
(ゼロ距離で接触したヴァルターの細胞再生波形、そしてレオンが感情に任せて放出した『ディスアセンブラ』の魔力パターン……スキャンデータはこれで完全に揃った)
身の程知らずの欠陥品ども、と心の中で切り捨てつつも、カイトの思考はすでにその先を捉えている。レオンの持つ分子破砕の異能波形は、今後の計画において極めて有用な『鍵』となるかもしれない。
背後に残されたのは、二人の絶望的な激昂と、修復不能な強い断絶だけであった。




