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零からの魔法回路 〜世界システムをハックする反逆のSE〜  作者: ラレイラ
第二章:漆黒の檻と深層の侵蝕

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第53話 6歳:特区の裏口とステルス・レイヤー

夜の神聖術式監査局(アーク・コード)特区ドミトリー。

石造りの冷たい廊下には、青白い魔導ランプの光が等間隔に墓標のような影を落とし、肺を凍らせるような冷徹な静寂が満ちていた。


かつて無力な幼児としてこの施設に収容されたカイトも、過酷な特区での日々と果てしないコードの演算を重ねるうちに、いつの間にか六歳という年齢を迎えている。体格こそまだあどけないが、その胸の奥底で重く脈打つ《エクリプス・コア》の熱量と、氷のように冷え切った脳内演算領域は、もはや熟練の大人の魔導師すら遠く及ばない深淵に達していた。


微かに消毒薬の匂いが漂う薄暗い居室。

ベッドの上では、シーツの膨らみが規則正しい呼吸を繰り返し、温かな体温すら発している。だが、それはカイトが生体パルスデータと立体映像のループ投影によって完璧に稼働させた《生体パラメータ偽装体(ミラー・エージェント)》による「正常に眠る六歳の検体」の虚像に過ぎない。


もっとも、この術式だけは監査局の中枢ネットワークや監視端末へとバックドアを通じて直接フェイクデータを流し込むことで成立している。この管理システム特有の依存技術であり、規格が適合しない異国の環境では成立しない。だが、この閉塞された要塞の監視網を完璧に欺き切るには、これで十分だった。


当の本人は、冷たい石の床に足音一つ、影一つ落とすことなく、すでに部屋から姿を消していた。


(……監視端末のログは正常値ローパルスで固定中。これなら見回りの巡回班もエラーに気づかない)


廊下へ滑り出たカイトは、静かに脳内でコマンドを実行した。


(――エアギャップコード実行。隠密技能ライブラリ・《光学虚像膜(ステルス・レイヤー)》)


自身の生体発光や魔力波形を環境データのノイズへと完全に同化させる常駐プロセスだ。視覚的な光の屈折だけではない。監査局の緻密な生体センサーが放つ探査の波すらも、まるで「ただの冷たい夜気」であるかのようにすり抜けさせる。どれほど高感度な魔導感知網の真横を通り過ぎようと、アラートの微かな電子音すら鳴ることはない。


ひんやりとした空気を切り裂くように、通路の曲がり角の先から、硬質な軍靴の音が響いてきた。

警備室からの見回りだ。壁面の魔導燭台が放つ不気味な光が壁の影を揺らし、じりじりと距離を詰めてくる。息が詰まるような緊張感が廊下に張り詰めるが、カイトの漆黒の瞳は瞬き一つしなかった。

わざわざ正面からすれ違う必要はない。


カイトは脳内の超高速演算領域で空間の密度と座標データを一瞬で書き換え、一切の手振りも出さずにコマンドを送信した。


(――エアギャップコード実行。空間技能ライブラリ・《座標再定義転移《トランス・ロケーション》》)


世界が、一瞬だけフリーズしたかのような静寂――。


詠唱も予備動作も一切挟まず、脳内コンパイルのみで実行された転移術式。空気が一瞬だけ真空になったかのような感覚を置き去りにして、カイトの肉体は物理的な空間摩擦の係数「0」のまま、数メートル先の死角となる深い闇の底へと瞬時に再配置されていた。

ラグのない超高速移動。ゼノンの『短距離転移(リロケート)』を極限まで削ぎ落として最適化したこの転移コマンドを使えば、この難攻不落の要塞であっても、まるで勝手知ったる庭のようにすり抜けられる。


闇から闇へ。カイトが向かった先は、特区ドミトリーの最奥に位置する共有の休憩スペースだった。

そこには、むせ返るような湿気と、微かな鉄の匂いが淀んでいる。『物質崩壊(ディスアセンブラ)』のバグを抱えるレオン、『不死の肉体』を持つヴァルター、そして『精神共鳴』の異能を持つセレスティアたちが、それぞれに深い傷と痛みに苛まれながらも身を寄せ合い、監視の目を盗むように声を潜めて話し合っていた。


物陰に丸まったセレスティアが、痛みに耐えかねて小さな腕を震わせているのにカイトは気づいた。彼女の細い腕には、昼間の過酷な訓練で負った痛々しい熱を持つ傷跡と、魔力の暴走による組織壊死の黒いエラーが侵食している。

カイトは《光学虚像膜(ステルス・レイヤー)》を維持したまま、床に一切の摩擦音を立てず、彼女の背後へと夜霧のように滑り込んだ。


(……っ!? 誰……)


背後の異様な気配にセレスティアがびくりと肩を跳ねさせ、恐怖に息を呑んで振り返ろうとした――その瞬間。

カイトは彼女の焼けつくような傷口にそっと手をかざし、一切の発声を行わずに脳内で治癒コードの割り込み(インライントリガー)を実行した。


遠い過去にメイドのマーサが使っていた温かくも非効率な治癒魔法――その冗長な構造を脳内で瞬時に解体し、最小限のコマンドへ再構築する。細胞分裂を促す「核」のシグナルだけを切り出し、彼女の魔力回路へとダイレクトに流し込む。


(――エアギャップコード実行。治癒技能ライブラリ・《最適化版治癒(セル・リペア・パッチ)》)


瞬間、青白い光の漏洩すら一切起きず、最小限の魔力パケットのみが細胞の不具合(バグ)をダイレクトに上書き修正していく。

わずかコンマ数秒の静かなバックグラウンド処理。セレスティアの腕を蝕んでいた熱も、組織壊死のドス黒いエラーも、痛み一つ残さず、まるで幻だったかのように綺麗に消え去っていた。


(……え……? 痛みが……嘘みたいに、消えた……?)


セレスティアが自分の真白な腕を信じられないといった様子で見つめ、大きく見開いた瞳で周囲の闇を見回す。

だが、そこにはただ冷たい夜の空気が漂うばかりで、誰もいない。

カイトはすでに脳内処理で《座標再定義転移《トランス・ロケーション》》を再度呼び出し、数歩離れた位置へと無音で退避していた。暗闇に完全に溶け込んだまま、冷徹な漆黒の瞳を細めて彼女の反応を静かに観察している。


表向きは、痛みに喘ぐ孤立した特異点たちの巣窟。

しかしその分厚い静寂の裏側で、カイトは自らが確立した数々の術式と『黒曜神経核(エクリプス・コア)』の権限を駆使し、この腐った管理社会のシステムを根底から書き換えるための恐るべき布石を、着実に打ち込んでいくのだった。

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