第52話 オールド・コードの解析と、新たなプロトコル
神聖術式監査局の最深部に隠された、古びた特務研究室。
青白いルーンの光が壁面を這う無機質な空間で、長身の最高幹部ゼノン・フォン・グレイスと、五歳の少年カイトは向き合っていた。表向きは「危険な特異点の監視・尋問」という名目だが、その実態は、この世界の根幹を揺るがす共同研究――すなわち、世界を規定する『古い基盤』の解析セッションである。
机の上に投影された立体的な魔導ディスプレイには、幾重もの幾何学模様と、読む者を拒絶するような難解な呪文の羅列が流れていた。
一般の魔導師が見れば発狂しかねないその膨大なデータ群を、カイトは冷徹な漆黒の瞳で見据え、脳内の超高速演算領域で次々とスライスしていく。
(――これが、この世界の根幹を縛る『オールド・コード』の仕様書か)
カイトの隣で、ゼノンが魔導演算義手を鳴らしながら低い声音で告げた。
「感心だな、カイト。お前が先日の訓練で俺の『コード・シフト』をハックしたことで、この世界の『オールド・コード』が抱える『エラーの蓄積箇所』が明確になった。……お前は、この記述をどう書き換える?」
ゼノンが指し示したのは、空間の物理法則や存在判定を司る根幹のスクリプトだった。カイトはあどけない少年の顔のまま、心臓の裏側で脈打つ《エクリプス・コア》の出力を微調整し、脳内で新たなパッチを構築していく。
「構造が古すぎる。あらゆる判定に無駄なループ処理が挟まっているから、少しでも干渉すると全体がクラッシュするんだ。……見てろ、教官。俺がこの世界の制約を綺麗にバイパスしてやろう」
カイトは一切の詠唱や予備動作を挟まず、脳内でコマンドをコンパイルし、ダイレクトに実行した。
(――エアギャップコード|実行。隠密技能ライブラリ・《光学虚像膜》)
①隠密技能:《光学虚像膜》
カイトの体が、ゆらりと輪郭をぼかした。
通常の「透明化」魔法は、周囲の光を乱反射させるだけで、熱源や魔力反応まで完全に消すことはできない。だが、カイトの《ステルス・レイヤー》は、周囲の環境データをリアルタイムでサンプリングし、自身の生体発光や魔力波形そのものを「背景のノイズ」へと巧妙に擬態(パッチ当て)させる。
「……なっ!? 詠唱どころか、コードの呼出ラグすらゼロだと……!? 魔力反応が完全に環境データに溶け込んだ……視覚だけでなく、監査局の生体センサーすらも欺くか」
ゼノンが感嘆の息を漏らす間もなく、カイトは畳みかけるように次のコードを直接叩き込む。
(――エアギャップコード実行。空間技能ライブラリ・《座標再定義転移》)
② 空間技能:《座標再定義転移》
次の瞬間、カイトの姿は音も振動もなく、ただ幻のようにその場から掻き消えていた。
ゼノンが放った『短距離転移』のアルゴリズムを極限まで削ぎ落とし、タイムラグや空間摩擦、余計な音響係数までもすべて「0」にデバッグした究極の転移術式である。物理的な空間を完全に無視してゼノンの背後へと静寂のまま再配置されたカイトが、冷ややかな笑みを浮かべたまま告げた。
「ラグはゼロだ。あんたの『リロケート』よりも、さらに低負荷で最適化してある」
「完全無詠唱による即時転移……! 術式の構築手順を丸ごとスキップし、システムの中枢へダイレクトにコードを送り込んでいるというのか……!」
ゼノンが息をのむ中、カイトは元の位置へ戻ると同時に、最後の隠密プロトコルを展開した。
(――エアギャップコード実行。隠密技能ライブラリ・《生体パラメータ偽装体》)
③ 隠密技能:《生体パラメータ偽装体》
数メートル離れた場所に「カイトがベッドで眠っている状態の立体映像および生体パルスデータの偽装体」が投影された。
監査局の監視端末に送り続けられる「正常な五歳児の検体」のログを完璧にループさせ、どれだけ厳重な監視網であっても、裏で本人が自由に動き回っていることに気づかせないための強力なフェイク機能だ。
「――どうだ? 俺が構築したこの三つのコードは」
カイトが問いかけると、ゼノンは琥珀色の瞳を大きく見開いた後、抑えきれない狂気的かつ歓喜に満ちた笑みをその顔に浮かべた。
「素晴らしい……! 無詠唱によるプロトコルの直接実行、そして無駄を限界まで削ぎ落とした異常なまでの処理速度……! まだ五歳に満たない子供が、この世界の理をここまで美しくハックし、自らの手足のように使いこなすとはな……!」
ゼノンは確信していた。
目の前の少年は、ただの「バグ」などではない。この腐った世界のプロトコルを根底から書き換え、新たな世界を創り出すための「唯一無二のマスターキー」であると。
二人の天才の間で、世界の理を書き換えるための共同研究は、もはや単なる実験を超え、王国全土を巻き込む最も危険な反逆のプロトコルへと移行しようとしていた――。




