第49.2話 エア・サブスペース(位相亜空間)――絶対透過コードのコンパイル
深夜、特区ドミトリーの個室。
静寂が支配する部屋の中で、カイトはベッドの上に胡坐をかき、深く呼吸を整えていた。
《生体パラメータ偽装体》を常時バックグラウンドで走らせ、監視サーバーへは「正常な睡眠状態」のダミーデータを送信しつつ、胸の奥で脈打つ『黒曜神経核』の出力を最小限の動作に固定する。全開で回せば五歳の肉体に物理的な過熱が起き、部屋の環境センサーに微少な熱上昇を察知されるリスクがあるためだ。
二重の安全対策を敷いた上で、カイトの意識は脳内に構築された――《完全隔離空間》の深層へと没入していく。外部の監視サーバーからも、胸のコアの検知機能からも完全に遮断されたその仮想空間に、昼間の演習でキャプチャした膨大な戦闘パケットが展開された。
目の前に浮かび上がるのは、カーネル・クラス『優先度01』ルカが放った高次元コードの生データだ。
(……よし、ソースコードレベルまで逆アセンブルする)
カイトの思考スレッドが超高速で回転を始める。
提示されたシステム化魔法のコードは、無駄な暗号化ヘッダや重すぎるプロトコルで塗り固められた「バグだらけの重い既成品」
カイトは《完全隔離空間》の中で、奪い取った既成コードの欠陥や無駄な処理を徹底的に削ぎ落とし、自身の持つ『デバッガー』のロジックで最適化を施していく。
(安全装置の監視シグナルを全カット。魔力消費のアルゴリズムを極限まで軽量化……よし。巨大な質量を仕込む大容量ストレージなんて無駄な機能はいらない。俺が求めるのは――【絶対的な隠密】と【超高速の攻撃透過】だ)
《完全隔離空間》上で、最適化された新たなコードが組み上げられていく。
己の皮膚表面コンマ数ミリの領域において、空気抵抗、音波、そして相手の攻撃座標の計算式をバグらせる「局所的な位相バッファ 」。
(《エアギャップ》が監視を欺く【OS】だとすれば、このコードは現実空間の位相をずらし、存在を滑り込ませる【拡張アプリ】だ。……俺専用の独自仕様――名付けて、《位相亜空間》だな)
(……完璧だ。相手の物理・魔術攻撃が届く直前、座標の『当たり判定』を亜空間へずらしてすり抜けさせる。さらに余計なヘッダを削ったことで、監視システムのログに一切の魔力痕跡を残さず動作する)
アイテムボックスのような大容量を捨て、【超高速キャッシュ・絶対回避】に特化させたからこそ到達した極限の合理性。
(昼間、ルカたちが使っていた『コード呼出』ってインターフェース……無駄に仰々しいと思ってたが、脳内スレッドから実行ファイルを叩くトリガーとしては案外使えるアイデアだな。……そういえばゼノンはシステム化魔法を無詠唱で使っていたかもしれないな。……よし、あのフォーマットは参考にさせてもらうとしよう)
暗闇の中、カイトは不敵に口角を上げた。
声に出す詠唱も、システム的な音声コード呼び出しすら不要。脳内の拡張スレッド上で、完成したカスタムコマンドを直接叩き込む。
(――エアギャップコード実行。空間技能ライブラリ・《位相亜空間》)
思考の完了と同時に、指先から放たれた微弱な魔力が空間を歪めた。ダミーオブジェクトが音もなく亜空間の隙間へと滑り込んで消える。
既製品の呼び出し(コール)ではなく、自分仕様への無詠唱ダイレクト書き換え。
国家が誇る最新魔法は、少年の頭脳によってより凶悪で洗練された『反逆の無敵コード』としてリビルドされたのだ。
(ルカの構造はこれで完全に把握した。……だが、この要塞の最深部に君臨するゼノン……あの男の『空間歪曲魔導』を崩すには、もう一段階上のシステム干渉が必要になる)
カイトは《位相亜空間》を閉じ、漆黒の瞳を開いた。
壁面に埋め込まれた青白いルーンが、無機質に明滅している。朝になれば、いよいよあの最高位教官ゼノン・フォン・グレイスとの特務訓練が待っていた。
自身の中に組み上げられた凶悪なカスタムコードの感触を確かめながら、少年は静かに口角を上げた。。




