第39話 深層監査網の裏側:明かされた「フォン」の真実
神聖術式監査局の『特別療養房』。その冷たく閉ざされた部屋で、カイトは外見上あどけない「怯えた保護観察対象の少年」を完璧に演じながら、意識の焦点を自身の内側へと深く沈めていた。
厳重な防衛網を誇るこの要塞において、給排水や換気といったライフライン系の制御系統は、閉塞空間の維持という絶対命題ゆえに、他の主要な区画と比べて外部との境界がわずかに緩んでいる。カイトはその微細な隙間――誰にも気づかれない裏口の魔導回線を伝い、監査局の中枢ネットワークへと静かに侵入を果たしていた。
(――よし、見張りや監視盤の巡回記録は正常に偽装されている。誰にも気付かれていない)
物理的な移動を伴うことなく、監査局の深部へと思念を這わせるカイト。今回の目的は二つあった。
一つは、先日その身に受けた監査局の最高幹部――ゼノン・フォン・グレイスが操る『空間歪曲魔導』のさらなる構造解析だ。
空間の密度を書き換え、座標を再定義して自他の位置を跳躍させるその圧倒的な術式。通常の魔導師であれば「神業」や「才能」で片付けるそれを、カイトは精緻な魔導の組み立て式として冷徹に分解していく。
ゼノンの義手に刻まれた演算補佐のルーン、魔力の周波数、座標を固定する変数――。それらの無駄な詠唱や誤差を削ぎ落とし、自身の血肉として最適化していくことで、空間跳躍の理化学的な全貌が脳内の記憶へと焼き付けられていった。
そして、その解析の副産物として、カイトの意識は監査局が厳重に秘匿する「血統・戸籍の全アーカイブ」の領域へと触れることになった。
そこに並んでいたのは、王国内のかつての特権階級――総じて「フォン」の称号を冠する旧家たちのリストだった。
表向きは高貴な血筋や名誉を示すステータスであるその冠詞は、監査局の管理システムの中では全く異なる意味を持っていた。彼らにとって「フォン」の血筋を持つ者たちは名誉ある支配者などではなく、国家の理を揺るがしかねない「強力な魔導モジュール」であり、常に監視し、制御すべき例外データに他ならなかったのだ。
さらに検索の網を広げた時、カイトの意識の演算がピタリと停止する。
そこに記されていたのは、二大公爵家の一角――シルフィード家の項だった。
『――該当個体、規格外の魔導出力を検知。王都の高度な魔導環境においては都市機能に致命的な破綻を誘発する恐れあり。よって、――公爵家側の全面的な恭順および処分支持を取り次ぎ、危険因子の隔離および都市防衛の観点より、該当者を縁故ある辺境の低負荷領域へ例外配置とする』
文字の群れが、冷酷な現実を突きつけていた。
王都の人間たちにとって、リア・フォン・シルフィードという少女は、血肉を持った人間ではなく、「制御不能な暴走リスクを抱えたエラー品」にすぎなかったのだ。だからこそ、政治的な思惑や安全確保という名のシステム維持のため、彼女は誰からも顧みられない凍てついた辺境へと放り投げられた――隔離という名の、強制的なセーフモードへ。
(……そういうことかよ)
中央の管理者たちにとって、リアは世界を脅かもしれない危険な異物でしかなく、数値上の安全さえ確認できれば、その人生がどうなろうと関知しないという無関心の産物だった。
カイトは冷ややかに息を吐き、ネットワークから意識の接続を切断した。現実の肉体へと戻った彼の漆黒の瞳の奥に、かすかな冷気が宿る。
扉の向こうから、看護師の足音が近づいてくる。
――だが、もう迷いはなかった。
「……勝手な理屈で、あいつの日常を例外処理しようとする連中がいるなら」
誰にも聞こえない声で呟きながら、カイトは素早く意識を切り替え、再びベッドの上で無害な「保護観察対象の少年」としての表情を形作る。
近づいてくる足音に合わせてあどけない笑みを貼り直しながら、カイトは静かに次の反撃の時を待っていた。




