第38話 オプティカル・ミラージュと空間跳躍の萌芽
監視カメラの映像改ざん(偽装)が完全に可能になったことを確認したカイトは、その能力を足掛かりにして、さらなる「隠蔽」と「移動」の技術を獲得するための訓練へと移行した。
浴室から自室へと戻ったカイトは、ベッドの端に腰を下ろし、静かに目を閉じた。
壁越しの外部廊下に設置された監視カメラの映像は、すでにカイトの手によって完全に掌握・ループ処理されている。今、カメラの向こうに映し出されているのは、指定された時間にベッドの上で静かに眠る無害な少年の姿――しかし、それは過去の映像を精巧に合成した偽りのループに過ぎない。現実のカイトは、その死角となる空間で、より高度な術式の構築に没頭していた。
(監視の目を欺くための『映像改ざん』が形になった。なら、次は――物理的な肉体そのものの欺瞞だ)
カイトが意識を集中させると、心臓の傍に寄生する『黒曜神経核』が微かに熱を帯び、全身の神経回路を通じて「生体魔導フィールド」へと干渉の波長を送り込む。
生体魔導フィールドとは、人が無意識にまとっている魔力の膜であり、個人の生体シグナルや存在感を周囲に放つものだ。通常、これを意図的に歪めることは高度な術式を要するが、カイトはコアから引き出した高精細なハッキングパケットを自身のフィールドに直結させ、その出力波形を書き換え始めた。
――揺らぎ、屈折する光と魔力。
カイトの輪郭が、わずかに空気の陽炎のようにぼやける。
光学的・魔導的な屈折率を調整し、周囲の空間と同化させることで、肉体の存在感を希薄化させる。名付けるなら《光学的欺瞞》。
完璧な姿の消去にはまだ至らないが、廊下をすれ違う程度の監視や、生体センサーの表面的なスキャンであれば、別人の魔導波形や「何もない空間」として誤認させることが可能となった。
(ふん……これなら、もし一時的にこの療養房の抜け出す必要が出ても、警備の網をすり抜けて移動できる)
だが、カイトの野心はそれに留まらない。
肉体の偽装と隠蔽の次は、あの最高位教官ゼノン・フォン・グレイスから強奪した「空間歪曲魔導」の解析――すなわち、空間跳躍(転移)の修得である。
カイトはベッドの上で浅く呼吸を整え、脳内の演算領域を極限まで鋭敏にさせた。
日中の過酷な『負荷脈動』や精神世界での『境界領域パージ』の最中に刻み込んだ、ゼノンの魔力塊が空間の座標をこじ開けた瞬間の「目に見えない跳躍コード」のログを呼び起こす。
(質量や重力の支配を書き換え、座標を瞬時に再定義する……。理不尽なほどの空間圧縮パルスを、自らの生体魔導フィールドにごく小規模で同期させる)
カイトが指先を微かに動かした瞬間、指の周囲の空間がガラスが割れるような微小なノイズを立てて歪んだ。
「っ……!」
肉体の耐久限界を超えた負荷が脳髄を焼き焦がし、鼻腔からツーと一筋の鮮血が伝い落ちる。まだ五歳の小さな肉体で空間跳躍のコードを直接引き出そうとすること自体、致命的な自傷行為に等しかった。激痛にわずかに眉をひそめたが、カイトはその痛みを冷徹な意思でねじ伏せ、演算の糸を断ち切らない。
完全に空間を飛び去ることはまだできない。だが、ほんの一瞬、足元の重力をゼロに相殺し、局所的な空間の歪みを利用して物理的な速度の壁を無視した『超高速の踏み込み』の足がかりを掴むことに成功した。
(……基礎データは揃った。五歳の今の肉体ではまだ無理だと思うが、年齢が上がるにつれて神経回路の改造を馴染ませ、脳内演算領域の拡張を進めていけばいい。俺の成長に伴って、この要塞どころか、この世界(あるいは大陸)の空間そのものが、俺の自由な移動経路へと変わっていくはずだ)
ふき取った血を冷たく見据えながら、カイトはあどけない少年の顔立ちへと再び表情を調える。
外部の監視カメラには「おとなしく療養を続ける無害な少年」が映り続け、その裏で、神聖術式監査局の牙城を内側から食い破るための死神の牙は、着実に、そして確実に研ぎ澄まされていくのだった。




