第4話 2歳:治癒魔法のソースコード解析とリファクタリング
※2026年9月1日、2歳の話を加筆いたしました!
二歳になった俺は、たどたどしいながらも自室や廊下を自由に歩き回れるようになっていた。行動範囲が広がるということは、検証実験の幅も広がるということだ。
現在の俺の最重要タスクは、一歳の時にマーサが見せてくれた『治癒魔法』の構造を解析し、自分用に最適化して実装することだった。
マーサの治癒魔法は、エンジニアの目から見れば「よくこれでエラーを吐かずに動いているな」と頭を抱えたくなるほどのスパゲティコードだった。
神への祈りという名の無駄な待機時間(スリープ処理)。
患部を淡く光らせるための、無意味な視覚効果(UIエフェクト)への魔力浪費。
そして何より、細胞の再生を促すコアロジックに到達するまでに、意味不明な条件分岐が複雑に絡み合っている。
(あんな無駄だらけの処理に魔力を注ぎ込んでいたら、すぐに術者がガス欠になる。俺が欲しいのは、純粋な『修復』の機能だけだ)
俺は脳内の《仮想実験環境》で、マーサの魔法から細胞分裂を加速させる「核」の処理だけを抽出した。そして、前世の知識である基礎的な生物学とプログラミングのロジックを掛け合わせ、全く新しい治癒のコードを組み上げていく。
不要な光のエフェクトは全カット。祈りの詠唱も省略し、魔力回路に直接命令を叩き込むことで、タイムラグなしでバックグラウンド実行されるように洗練させた。
問題は、テスト環境だ。
治癒魔法を検証するには、当然ながら「傷」が必要になる。
◇
ある秋の日の午後。ひんやりとした風が庭園の木々を揺らし、カサついた黄昏色の葉を一枚、また一枚と敷石の上へ舞い落としていた。
日向に佇むと、太陽の柔らかい温もりとともに、湿った黒土の臭気とどこか甘酸っぱい腐葉土の匂いが鼻腔をくすぐる。遠くの館の煙突からは、ナラ材の薪を焚べる芳ばしい煙の匂いが立ち上り、澄み切った秋空へ静かに吸い込まれていった。幼い俺の小さな足が落ち葉を踏みしめるたび、カサリ、コソリと乾いた心地よい音が響く。
(よし……絶好のテスト日和だ)
傍らでは、付き添いのマーサが「カイト様、遠くへ行っちゃダメですよ」と言いながら、庭のベンチで洗いたての麻布を丁寧に畳んでいる。日向に干された布からは、おひさまの匂いと微かな石鹸の香りが漂っていた。彼女の意識が作業に向いた隙を見計らい、俺は庭の隅に生い茂る野バラの藪へと静かに歩み寄った。
木漏れ日の中で赤く熟した果実を追う振りをして、小さな指先を硬い刺の先端へ押し当てる。
チクリ、と鋭い痛みが走り、二歳の小さく丸い手の甲に一滴の赤い血が滲んだ。赤ん坊の柔らかい皮膚は簡単に破れ、じんわりとした熱い痛みが神経を駆け上がる。だが、俺の心拍数は恐怖ではなく、未知の実証実験への興奮で跳ね上がっていた。
(コンパイル完了。最適化版・治癒ロジック、実行)
マーサが見せた仰々しい祈りも、無駄な緑色の発光エフェクトも一切存在しない。
俺は体内の微小回路を通じ、核となる細胞再生コマンドだけを極小の魔力パケットとして傷口へ直接叩き込んだ。
——スッ。
傷口を撫でる冷ややかな風とともに、皮膚の微細な裂け目がコンマ数秒で綺麗に収束していく。痒みや違和感すら残らない。出血は瞬時に止まり、傷跡ひとつない真新しく滑らかな肌だけがそこに残されていた。
(……エラー検知ゼロ。消費魔力、既存コードの1%以下)
傷口から立ち上っていたかすかな血の匂いが消え、再び秋の澄んだ空気と木々の匂いが戻ってくる。無駄な処理を削ぎ落とし、最小のコストで最大の結果を得る——エンジニアとしてこれほど脳汁が出る瞬間はない。
俺は誰にも気づかれないよう小さく拳を握りしめ、胸の奥で静かな勝利の余韻に浸った。




