第29.1話 ハードウェア・インプラント:エクリプス・コア
無機質な金属と消毒液の匂いが満ちる空間に、電子機器の規則的なアラーム音と、魔導冷却ファンの低い駆動音だけが響いていた。
神聖術式監査局の『メンテナンス・ベイ』。そこはさながら、人間の肉体を部品のように規格化・管理するための工業プラントのような無機質さに満ちていた。監査局が「王国の端末」として訓練生たちを管理するため、その身に強制的に埋め込む標準規格の禁忌の心臓――『黒曜神経核』。その適合手術を受けるため、今日はカイト一人が冷たい手術台の上へと通されていた。
「――麻酔導入、完了。筋弛緩剤および魔力阻害薬の投与により、被検体の意識および末梢神経からの痛覚伝達は完全に遮断されています」
白衣を纏った助手が、淡々とした口調で術野のモニターに向かって告げる。手術台の中央に無防備に投げ出されているのは、まだ五歳の幼い少年――カイトだ。
彼の両脇では、冷酷なまでに手際の良い助手たちが医師を補佐している。他の訓練生たちがこの標準規格のコアを植え付けられた際、その暴力的で膨大なデータ量と強制同期のプレッシャーに耐え切れず、脳の処理限界を超えて精神を崩壊させるか、あるいはただの従順な人形へと成り下がるのが常だった。
しかし、カイトには他の者たちとは決定的な違いがあった。
それは、彼の肉体に宿る魔法回路が、常人とは比較にならないほど美しく、無駄のない形へと高度に最適化されていたことだ。
「――ふふ、綺麗な回路ね。他の検体とはロジックの密度が桁違いだわ」
白衣の隙間から妖艶な笑みを覗かせた若い女性医師が、冷たく光る魔導コードの束を手にオペ台へと歩み寄る。彼女が施す手術自体は、監査局が訓練生に対して行ういつもの「標準的なオーバーホール」の一つに過ぎない。
ズズ、と肉の奥深くに標準規格の『黒曜神経核』が埋め込まれ、胸の奥で禍々しい魔導回路が脈動を始めた。『神聖術式監査局』のネットワークへデータを送受信するための絶対統御のマスターチップが、神経網の最深部へと深く焼き付けられていく。
完全な麻酔下で意識が断絶している間も、カイトの肉体に刻まれた最適化された回路は、事前に想定していたリスクに対する「自動防衛の常駐プログラム」を静かに実行し続けていた。
「オペ終了。縫合フェーズへ移行します。バイタル安定、同期率正常」
女性医師の満足げな指示のもと、助手たちが迅速に術後の処置を進めていく。
◇ ◇ ◇
やがて、点滴からの麻酔薬の投与が停止され、カイトの意識がドロドロとした深い眠りの底から引きずり上げられていく。
(っ……、重い……)
全身が鉛のように気だるく、まぶたの裏にこびりついた眠気はなかなか抜け切らない。視界に映る冷たく無機質な天井はひどくぼやけ、焦点が定まらない。喉の奥には人工呼吸チューブの残り香のような乾きと不快感が張り付き、指先ひとつ動かすことすら億劫なほどの麻酔の残響が肉体を支配していた。
だが、肉体がどれほど昏い気だるさに沈んでいようと、その深層で稼働するカイトの脳内バスは別の次元で冷徹なシステムチェックを起動させていた。
(――ふむ。これが、『アーク・コード』の端末に共通する標準プロトコルか)
朦朧とする意識の霧の向こう側で、胸の奥に埋め込まれたばかりの『黒曜神経核』が禍々しいマスターパルスを放つ。本来であれば、その絶対統御の強制波は、麻酔が明けたばかりの脆弱な脳を焼き払い、自我を屈服させるはずのものだった。
しかし、カイトの最適化された魔法回路は、覚醒の瞬間のノイズさえも計算に入れていた。
朦朧とした肉体の不自由さを無視し、回路はあらかじめ常駐させていた自動防衛プログラムを全開で稼働させる。押し寄せる強制同期のパルスを綺麗に整流し、コアの最深部へとバイパスを接続――自分専用の隠しルートを、静かに、そして完璧に構築し終えていた。
標準規格の枷を嵌められ、まだ麻酔の抜けないぐったりとした体温を晒しながらも、その内側でシステムを書き換えた少年は、微かに呼吸を整えながら「従順な検体」を演じるための仮面を静かに被り直した。




