第25話 深淵の要塞と冷徹な宣告
地表の繁栄から完全に切り離された、荒涼とした断崖の底。そこに鎮座するのは、漆黒の鉱石で組み上げられた異形にして威容を誇る巨大要塞――『神聖術式監査局』。太陽の光を拒絶するように威圧的にそびえるその外観は、外壁を這い回る禍々しい魔導回路の発光だけが不気味に暗闇を刻む、まさに王国の深淵そのものだった。
空間歪曲の暗雲が突如として晴れ、耳を劈くような耳鳴りと共に、カイトは冷たい金属の床へと投げ出された。
(――っ、空間跳躍の急激な位相変化か……!)
あまりに突発的な空間移動の余波に、カイトの未熟な三半規管と脳髄が激しく揺さぶられる。平衡感覚を失った頭の奥で、猛烈なめまいと吐き気が一気に込み上げてきた。
光の届かない施設内。壁面には脈打つルーン文字が怪しく明滅している。カイトは黒髪を静かに揺らし、込み上げる眩暈を奥歯を噛み締めてねじ伏せると、よろめきながらもゆっくりと起き上がった。そして、震える自らの小さな手を一瞥する。まだ五歳、身長にして100〜110cmほどの幼い身体。
空間歪曲という常軌を逸した移動手法に対する圧倒的な生理的恐怖と、肉体の限界を突きつけられた焦燥が胸中を駆け巡る。しかし、その漆黒の瞳の奥では、生存のための演算回路が凄まじい速度で回転していた。前世の記憶と熟達した精神を持つ彼にとって、ここでパニックに陥り、恐怖に飲まれることは生存確率をゼロにするだけの愚策でしかない。
「感情の乱れすら見せないか。……不気味なガキだ」
絶対零度を思わせる冷徹な声が頭上から降り注ぐ。
カイトが息を整えながらゆっくりと視線を上げると、そこには漆黒のロングコートを翻す長身の男が立っていた。
銀灰色の髪を冷たい空調の風に揺らし、感情を完全に削ぎ落とした瞳で幼い少年を見下ろしている。185cmに達するその圧倒的な高身長は、空間跳躍の余波でまだ足元の覚束ない小さなカイトに、逃れようのない巨大な影を落としていた。
男がゆっくりと歩み寄ると、微かな駆動音と魔力の共鳴音が響く。コートの袖口から覗くのは、魔導演算用のルーンがびっしりと刻み込まれた金属の義手だ。その冷たく無骨な指先が、カイトの小さな顎を捉え、視線を強制的に合わせさせた。
「今日からここがお前の世界の全てだ。親の温もりも、子供としての甘えも、ここでは一切の価値を持たない。
――俺は、神聖術式監査局の最高位教官ゼノン・フォン・グレイス。お前の神経回路に直接、王国の絶対秩序を書き込む者だ」
空間跳躍の恐怖を胃の腑に押し込め、顎を掴まれた状態であっても、カイトは眉一つ動かさなかった。その漆黒の瞳で目の前の男の冷徹な目を見返し、平然とした声音で応じる。
「……把握しました。取り乱したところで、この空間の歪みも、あなたの意思も変わらないでしょうから」
五歳児の口から出たとは思えない冷静で客観的な言葉に、ゼノンの薄い唇がわずかに吊り上がった。
「ほう……状況を正しくハックできているわけか。面白い。なら、初日の訓練で壊れるなよ」
血と魔力に塗れた過酷な日々が、静かに幕を開けようとしていた――。




