第18話 泥の回路と、小さな笑顔
カイトは、前日までにリアの魔力がわずかに揺らいでいる兆候を検知していた。
――王都から派遣された護衛騎士たちが送る魔力測定の定期報告。その数値が少しでも基準値を超えれば、中央から容赦ない査察官が派遣されるか、最悪の場合、リアは「危険因子」として隔離されかねないらしい。
だからこそ、王都の冷徹な監視の目を欺くためには、表面上の数値を整えるだけではなく、根本的なエラーの原因であるリア自身の魔力暴走リスクを現場レベルで最小化し続けなければならないのだ。
庭園の端、木立に囲まれた人目のつかない一角。
冷たい風が吹き抜ける中、カイトは膝をつき、足元の湿った土を指先ですくい上げた。
「……ねえ、カイト。何をしているの?」
白銀の髪を揺らしながら、リアが不思議そうに小首をかしげる。その瞳には、ほんのりと不安定な氷藍色の光が揺らめいていた。彼女の内部では、制御しきれない冷気がわずかなノイズとなって循環し始めていた。
「少し、実験。手を出して」
「こう……?」
リアが差し出した白く冷たい手のひらに、カイトは自分が握りしめていた泥をそっと乗せた。
「冷たい……」
「そうだよね。でも、この泥には魔力を受け止めるアースの性質がある。ただの泥じゃない。微細な鉱物粒子が混じった、いわゆる『回路の接地』だよ」
カイトは自身の小さな手でリアの指先を包み込み、彼女の魔力回路へと意識を同調させた。
カイトが「デバッグ」の要領でリアの魔力の流れを最適化しつつ、その余剰な熱や暴走しかけた冷気を、手元の泥へと流し込んでいく。
チュルル……と、微かな放電音のような響きと共に、リアの指先から溢れかけていた冷気が泥に吸い込まれていく。
「あ……」
リアが小さく息を呑む。
体内で暴れ回り、胸を締め付けていた冷たい圧迫感がスッと引き、代わりにどこか温かい安心感が巡っていくのが分かった。
「ほら、冷気が地面に逃げた。これでエラーは解消」
「本当だ……胸のチリチリするの、消えた……」
緊張が解けたリアは、安心した拍子に自分の服の裾や頬に、泥がわずかに付着していることに気づいた。しかし、恐怖や冷気の暴走による震えはなく、彼女の顔には今日初めての柔らかい笑みが浮かぶ。
「あ、汚れちゃった……」
「大丈夫、あとでマーサに怒られたら僕が一緒に謝るから」
カイトが少しおどけて見せると、リアはくすっと小さな声を立てて笑った。
王都の厳重な管理室が恐れるような「世界を凍らせる災厄の魔力」の片鱗は、今の彼女には微塵もない。ただの、泥んこになって遊ぶ無邪気な五歳の少女の姿がそこにあった。
カイトが足元の泥を使ってリアの魔力を安全に大地還元させた直後、庭園の隅にある小さな温室の陰から、ひょっこりと顔を出す人影があった。
亜麻色の髪をふんわりと揺らしながら、マーサが苦笑いを浮かべながら歩み寄ってくる。その手には、寒さ対策のための厚手の布きれが抱えられていた。
近くで見れば、カイトの服の袖にも、リアの頬にも、しっかりと湿った泥がこびりついている。
「またそんなところで泥遊びをして……。カイト様、リア様、お風邪を召してしまいますよ」
マーサはそう言いながらも、叱るような口調には微塵も怒気はなく、むしろ愛おしそうに二人の顔についた汚れをハンカチで拭い取っていく。
「マーサ……ごめんなさい」
リアが少しシュンとした様子で耳を伏せるが、マーサは「ううん、怒ってないわよ」と優しく頭をなでた。
「それよりも、お昼のスープがもうすぐ出来上がる頃です。冷えた体を温めに戻りましょうね」
マーサの言葉に、カイトは小さく頷く。
王都の監視や危険な魔力の暴走というシビアな現実を抱えながらも、この辺境の館には、こうして温かな大人の手によって守られた日常が確実に存在しているのだった。




