第13話 極上の鏡と辺境の朝 〜初めて知る顔立ちと「セーフモード」の理由〜
朝の冷気が残る食堂の入口付近。手には革張りの重厚な小箱を持ったリアが、ぴょこんと顔を覗かせるようにして近づいてきた。
「おはよう、カイト」
「ああ、おはよう……って、なんだその大層な箱は」
俺が問いかけると、リアは誇らしげに胸を張り、その箱の蓋を慎重に開けた。中から現れたのは、白銀の装飾が施された、磨き上げられた銀製のフレームを持つ手鏡だった。
「王都から持ってきていたの。カイトに見せたいものがあって」
「見せたいもの?」
「うん。……ほら、覗いてみて」
言われるがまま、俺は差し出された鏡を覗き込んだ。
――瞬間。
(お……?)
そこに映し出されていたのは、ぼやけた輪郭ではなく、驚くほど鮮明でくっきりとした少年の姿だった。
整った黒髪に、少し大人びた落ち着いた双眸。前世の面影を微かに残しつつも、整ったパーツで構成された、紛れもなく見目麗しい顔立ちの子供がそこにいた。
(これが、転生した原生の顔か……いや、俺の顔か!)
我が家――アーク=ルミナス神聖王国の最果てにあるアデルハルト伯爵領の館にあるのは、使い古されてすっかり曇った粗末な鉄鏡ばかりだ。
自分の顔の細部を正確に映し出すような代物はなかったため、俺は今日に至るまで、自分の顔を詳細に認識していなかったのだ。まさかこんな整った顔立ちに割り当てられていたとは。
内心で小さく驚きながら、俺は当分このような極上の鏡を見る機会がないことを踏まえ、今のうちにそのビジュアルを心にしっかりと焼き付けておく。
(よし、これで自分の顔立ちの把握は完了だ)
心の中でそう小さく頷いていると、リアがくすくすとおかしそうに笑った。
「ふふっ、そんなに自分の顔をじっと見つめて……。ね、すごく綺麗な顔立ちでしょう?」
「まあ、悪くはない……かな。ありがとう、自分の顔がどんなか、ようやくはっきりわかったよ」
俺が少し照れくさそうに笑いながらそう返すと、リアは満足そうに微笑んだ。
それから俺たちは、並んで食堂のテーブルへと腰を下ろした。
上座では、我が父である領主と母が、同じく質素な朝食を囲みながら静かに会話を交わしていた。父は険しい顔で領内の収穫や防衛に関する書類に目を通し、母はそんな夫に温かいスープをそっと勧めつつ、向かいに座るリアへ慈しむような笑みを向けている。
テーブルの上には、我が家の温かな味を支えるメイドのマーサと、リアの護衛侍女であるセレスが用意してくれた、質素ながらも温かな朝食が並んでいる。
凛とした佇まいのセレスがリアの側控え、マーサはカイトたちの様子を見守りながら、手際よく温かいお茶の入ったティーカップを配っていく。
香ばしく焼き上げられた硬めの黒パンに、細かく刻んだ根菜と干し肉をコトコトと煮込んだスープ。
スプーンを沈めれば、ふわりと立ち上る湯気と共に、大地の滋味深い甘みと肉の旨味が溶け合った素朴で芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
王都の豪華絢爛な料理とは比ぶべくもない。
だが、凍てつくような朝の空気の中で食べるそれは、体の芯からじわりと温めてくれる優しい味がした。
スープの湯気の向こうで、隣で美味しそうにスプーンを動かすリアの横顔をチラリと盗み見る。彼女は今、セレスに見守られながら温かい食事を口にして、心から安心したように目を細めている。あの絶望に満ちていた氷藍色の瞳には、今は確かな温もりが宿っていた。
(――それにしても、だ)
スプーンを動かしながら、俺はふうっと息を吐き、これまでの事情を頭の中で整理していた。
王都の二大公爵家の一角であるシルフィード家の令嬢が、なぜこんな辺境の、鉱山も特産品もない寒村のような土地にいるのか。表面上は「療養」とされているが、少し考えればその裏にある政治的な理由が見えてくる。
王都という魔力密度が極めて高く、数多の貴族や魔術が複雑に絡み合う中心地において、リアの制御不能な莫大な魔力は、一歩間違えば都市全体を機能停止させるほどの致命的な脅威になり得る。
中央の人間たちは、彼女を「制御できない危険な存在」として恐れ、表立って処罰することもできぬまま、人目につかないこの辺境の地に追いやるようにして放り投げたのだ。
いわば、このアデルハルト伯爵領は、中心地全体を守るために彼女という強大な力を切り離して隔離する「安全圏」の領域。
(誰も助けてくれない。誰にも本当の姿を見せてもらえない。だから彼女はずっと、あの凍てついた庭園で一人きりで……)
父と母が穏やかに見守る中、スープの優しさにほころぶ彼女の横顔を見つめながら、俺は心の中で静かに結論づけた。
(……まあ、いいさ。王都の連中がどういう意図でここへ送り込もうと、今ここで穏やかに続いている日常を乱す奴がいれば、俺が容赦なく排除してやるけどな)
俺は静かに黒パンをちぎってスープに浸し、穏やかな朝のひとときへと戻っていった。




