第11話 就寝前のログ解析 〜社長令嬢とタメ口のエラー〜
リアの銀髪を乾かし終え、「おやすみ」と彼女を見送った後。
自室に戻った俺は、日向の匂いが残る質素な麻布のベッドにゴロリと寝転がった。
静寂に包まれた石造りの部屋。窓の外からは、初夏の夜風に揺れる木々の葉擦れと、遠くで鳴く虫の音が微かに聞こえてくる。
(ふう……今日も無事に終わったな)
就寝前のルーチンとして、今日一日の出来事を脳内で振り返り、記憶の整理をしていた時のことだ。
ふと、先ほどの廊下でのやり取りが再生される。
『ちゃんと髪を乾かさないと、湯冷めするぞ』
『わかったから。そんなに揺れたら乾かしにくい。そこに座ってろ』
…………ん?
『座ってろ』?
俺はベッドの中で、ガバッと勢いよく上半身を起こした。
背筋にツーッと冷たい汗が伝い落ちる。つい数分前まで感じていた湯上がりのポカポカとした温もりなど、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。
(ま、待てよ……。リアは『シルフィード公爵家』の令嬢だぞ!?)
王国の二大公爵家の一角。つまり、王族に次ぐトップオブトップの貴族だ。
対して俺は、辺境の貧乏領主の息子。身分で言えば、天と地ほどの差がある。前世の会社組織に例えるなら、末端の平社員(俺)が、大企業の社長令嬢に向かって
「そこに座ってろ」と完全にタメ口を叩いていたようなものではないか。
(うわあああ……完全に権限の設定を間違えてる! 社交プロトコルの重大な違反じゃないか!)
俺は頭を抱え、ベッドの上で小さく悶絶した。
前世の精神年齢が成人男性であるため、外見は同じ五歳児でも、無意識のうちに彼女を「手のかかる小さな子供」や「新人」のように扱ってしまっていたのだ。
彼女が怒らなかったのは、ひとえに暴走を止めてやった恩義と、彼女自身が王都で孤独な境遇にあったからだろう。だが、もしあの会話を公爵家の護衛騎士や、礼儀作法に厳しい人間が聞いていたらどうなっていたか。想像するだけで胃の腑がヒュッと冷え込んだ。不敬罪でアカウントBAN(処刑)されても文句は言えない。
(今更だが、明日から即座に言葉遣いを修正(パッチ当て)して、敬語モードに切り替えるべきか……?)
だが、そこでふと、リアの顔が脳裏をよぎった。
俺のぶっきらぼうな物言いに、彼女は花が咲いたように嬉しそうに笑っていた。一人きりで冷たい世界に閉じこもっていた彼女にとって、身分や立場を一切気にしないただの「カイト」としての乱暴な温かさが、何よりの救いになっていたのもまた事実だ。
「……社会的リスク(バグ)の回避か、彼女の精神的な安定(最適化)か。……ひどく難しい要件定義だな」
ポツリと呟いた俺の声は、夜の闇に吸い込まれて消えた。
結局、明確な解決策が出ないまま、俺は冷や汗で少し湿ったシーツに包まり、なかなか寝付けない辺境の夜を過ごす羽目になったのだった。




