もやし農家のお仕事 前編
長靴を履き、ひやりとした作業場に入る。
電灯のスイッチを入れれば、天井の蛍光灯が健気な光を放ち、コンクリート造りの空間を照らし出した。
「はぁー!
見学させてもらった時も思ったけど、すっごいプールだね!」
予備の長靴を履いた金梨が、目を丸くしながらつぶやく。
まあ、あらかじめ見ていたとはいえ、こいつは目を引くよな。
この作業場で目立つのは、なんといっても巨大な水槽だ。
大きさは、スーパー銭湯の浴槽程度。水槽といっても、一部には三つもの大型ローラーなど機械的な装置が備わっている。
中を満たしているのは、ポンプで汲み上げた地下水である。
この地下水の汲み上げ設備は、門屋商店創業者である祖父の肝煎り。
このS県F市は後背を山脈に囲まれているわけだが、山々の中で最も目立っているのが、なんといっても霊峰富士だからな。
その富士山から流れ込んできている地下水を汲み上げ、もやしの生育から洗浄作業に至るまで、贅沢に活用しているというわけであった。
そんな空間の中、おもむろに並び立つ俺と父。
「よし! やるか豆助!」
「おう! やるぞ親父!」
2026年の未来においては、すっかり衰えきってしまっていた父の、エネルギーに溢れた声が頼もしい!
そんな中年時代の父と共に、勢いよくジャージの上着を脱ぎ捨て、肌着にしているシャツへも手をかけ――。
――スパーン!
――スパーン!
……俺と父の顔面に、母と小豆がぶん投げたたわしがクリーンヒットする。
「いてて、急に何をする?」
「そうだ、小豆。
どうして兄の顔面にたわしをストライクさせる?
イケメンが台無しだろうが?」
ごくごく当然の抗議をする父と俺。
しかし、母と小豆が向けてくるのは白い目だ。
「大作さん……年頃のお嬢さんがいるところで、裸を見せるつもりですか?」
「お兄ちゃん……そういうの、セクハラっていうんだよ?」
門屋家の女性陣から放たれたのは、男性陣のそれを上回るほどの超絶正論であった。
なんてこった……小豆のやつ、まだまだコンプラが昭和レベルであったこの時代で、早くもセクハラ関連の知識を習得していたのか!
さておき、冷静になってみれば、母と小豆の言う通りであった。
「言われてみれば、それもそうだな。
豆助、シャツは着とこう。シャツは」
「そうだな、親父。
シャツは着とこうか。
すまないな、金梨。見苦しいものを見せるところだった」
脱ぎかけていたシャツの裾を直しながら、セクハラ被害者となりかけた金梨へ詫びる。
「ううん! 全っ然大丈夫!
むしろ、門屋君、ビックリするくらい筋肉質でイイ身体してるし、気にせず脱いでもらってもオッケーって感じ!」
しかし、当の本人は、ジャージのうっすい布越しになかなか立派なお胸を張りながら、ビシリとサムズアップしてみせたのだ。
「ハハハ、女性が男性にやればセクハラにあたらないなどと思うんじゃねえぞ?」
「確かに!
シャツ越しに見える肉体で満足することにするよ!
……ところで、門屋君も門屋君のお父さんも、どうして急に脱ぎだしたの?」
「ああ、それは簡単だ」
小首を傾げる金梨に対し、続く栽培部屋――ムロへ入るための引き戸に手をかけながら、答える。
「昼間、見学した時も入っただろ?
もやしを育てるムロの中っていうのは、年中真夏状態なのさ。
ま、それだけじゃなく、こっからの作業で汗だくになるからってのもあるけどな」
言いながら引き戸を開くと、むわりとした熱気が作業場の方へと流れ込んできた。
業務用室内温風機が絶えず稼働しているムロの内部は、実に30度近くもの室温に達するのだ。
先にムロの中へ入った父が、裸電球のスイッチをオン。
やや心もとない明かりが、ムロの内部を照らし出す。
そうして明らかになったのは、ズラリと並んだもやしの栽培コンテナ。
コンテナとはいうが、実態は鉄骨組みの台車である。
父と俺の最初の仕事は、この台車を作業場の水槽まで引っ張り出すこと。
これが、重労働な上に――危険。
実際に量ったことはないが、出荷を控えたもやしがこんもりと頭を出している台車の総重量は、計算上、500キログラム近い。
この台車にはでっかい車輪がついてるものの、使い古しているせいで中には上手く回らない車輪もあり、しかも、ムロの床はもやしのアクが固着していて非常に滑りやすい。
結果、単なる腕力のみではなく、全身の力と、バランス感覚が必要とされるのだ。
ちなみに、腕力だけで強引にやろうとしてしくじると滑って転ぶし、ひどい時は、台車の車輪に足を踏まれたり、台車の枠に脛をぶつけて大変痛い目を見る羽目になる。
そのくらいならまだかわいいもので、下手をすれば、死に直結するほどのケガを負うことになるだろう。
俺たち一次産業者というのは、いつだって命がけで仕事をしているのであった。
で、まずは父が、一台目の台車を水槽まで転がしてくると、ここで仕掛けのご開帳。台車を構成する部材のうち、水槽に面している部分を外してやる。
すると、明らかとなるのが、中でぎゅうぎゅう詰めになっているもやしたちだ。
「それじゃ、スイッチ入れるよ」
機械を作動させる時は、このように合図を告げるのが安全作業の第一歩。
小豆が宣言通りに水槽脇のスイッチを入れると、等間隔で並んだ三つの大型ローラーが音を立てて回り出す。
静かだった水面がローラーによってかき乱されると、父は壁にかけられていた藁刺し農具――ピッチフォークで、もやしの塊を、次々と台車から水槽の中へと放り込み始めた。
何も、もやしたちに水風呂を味わわせようとしているのではない。
彼らが行き着く先は、先ほど小豆が稼働させた三つのローラーだ。
水の中へぶち込まれた大量のもやしは、水流に乗ってこのローラーへと巻き込まれ、その遠心力を利用して洗浄されるのである。
「さあ、金梨ちゃんもこれを付けて付けて!」
「手際よくやらないと、バイトの人たちが来ちゃうんだからね!」
すでにそれを装着している母と小豆にうながされ、金梨もゴムの前かけ(魚屋さんとかが使うようなアレだ)とゴムの長手袋を装着させられる。
「うひー。
直接手を入れてるわけじゃないのに、すっごく冷たいんだねー!」
それから、(><)になった金梨は、母と小豆の手つきを見よう見まねにしながら、小さな金ザルを使い、水槽の終点に浮かんだ豆の殻をすくいはじめたのだ。
「これが、もやしの洗浄作業だ!
もやしっていうのは、育てるのに肥料は使わない。
けど、ちょいと雑菌が付いちまってるんで、こうやって水洗いしてやらないと足が早くなっちまうんだ!」
俺も父にならい、次々とピッチフォークでもやしを水面に放りながら、叫ぶ。
たかがもやし、されどもやし。
よくフォークにからむこれらは、ひとすくいするだけで何キロもの重みがあるが、一度につきそれだけの量をすくわなければ、日が暮れても作業は終わらない。
結果、もやしを育てるムロと違ってひんやりしているこの作業場で動いていても、俺と父は汗だくになってしまうのだった。
「足が早くなるって、なーにー?」
「腐りやすくなっちゃうってこと!
ほら! そこ、まだ豆ガラが残ってるよ!」
一生懸命に金ザルを使っては、豆ガラをゴミのコンテナへ放り捨てる金梨に対し、小豆が説明する。
壁にかけられた大時計を見れば、まだ午前1時30分。
この時間から、こうも賑やかに作業するのが、もやし農家の――日常。
しかも、まだまだ序の口なのであった。




