もやし農家の朝は早い
原因不明……それを究明する気すらない僥倖のタイムリープを迎えて、二回目の朝。
やはり、なんといっても違和感を拭い去れないのが、千円で買ったベル式目覚まし時計のジリリリ音で目覚めることだろう。
別に、エディ・マーフィー主演の『星の王子ニューヨークへ行く』みたいに、楽団の生演奏で荘厳な朝を迎えたいとか、そういうわけではない。
ただ、スマートフォンのデジタルアラーム音ではなく、物理的かつ耳障りな音で目を覚ますというのが、二十年以上ぶりの感覚なのだ。
しかも、そうして目覚めた先、枕元には充電済みのスマートフォンもなければ、ガラパゴス携帯すら存在しないのである。
門屋商店の長男――門屋豆助。
彼が待望の携帯電話を手にするのは、高校三年生の誕生日を迎えて一ヶ月後……。
すなわち、運転免許証を取得して、我が社の機動戦力と化してからのことだ。
ちなみに、小豆は高校入学祝いで買ってもらっていた。差別だ!
さておき、目覚まし時計のアラームを止めてみれば、時刻は……午前1時であった。
うん、定刻通り。
俺にとっては、30年以上も続けてきた習慣。
タイムリープで意識が戻ったこの体にとっては、八年ほど続けてきた習慣である。
シャッキリと布団から起きて立ち上がり、まず最初にすべきことは、窓のカーテンを開けること。
……暗い。
何しろド深夜だからな。光が差し込むはずもなかった。
「……さぶ」
そして漏らすのは、独り言。
このS県F市は、後背の山脈地帯と前側の湾岸に挟まれた鎌倉スタイルの都市。
そのため、今の時期は、前後左右余すことなくカラッ風が吹きすさぶ。
当然ながら空気も乾いているわけで、寝起きの身には染み入る寒さなのである。
が、これにも当然、慣れているのがこの俺だ。
部屋の電気を付けて、さっさと布団を畳む。思い切ってやってしまうのが、二度寝の誘惑を断ち切るコツだ。
そして、防寒のためにタンスから取り出した靴下を履き、部屋の外へ。
「おはよ、お兄ちゃん」
俺と同時に隣の部屋のふすまを開いたのは、小豆。
まだまだ子供ということもあって、ジャージの上からちゃんちゃんこを羽織っていた。
余談だが、起き抜けの時、こいつは髪の毛を下ツインテールにしていないので、風呂上がりからこの時間までは、髪を下ろした姿を拝むことができる。なお、特に嬉しくはないし、お得でもない。
「やっぱり、まだ目が覚めてないみたいだね」
小豆がジト目を向けたのは、俺の部屋を挟んだ二階の最奥……。
物置部屋である。
いや、物置であった部屋、というべきか。
今、その部屋は、金梨士15歳の私室へと、華麗なるクラスチェンジを果たしていた。
といっても、大したことはしていない。
予備の布団を敷いただけである。
金梨はそこに、全財産が入っているというスクールバッグを持ち込み、就寝しているのだ。
驚きなのは、高校一年生になった女子の私物が、チャチなバッグ一つで収まってしまうということ。
どうも、これは金梨家の節約術であったらしく、中学時代の金梨は、外出で使う私服や寝間着などは持たず、全てを学校の制服やジャージで賄っていたらしい。
それでも、文具などの消耗品は買い足さないとどうにもならないため、ちょいと買い物に出かけて戻ってみたら、母親が蒸発していた……とのことだ。
閑話休題。
今の状況で説明すべきは、どうして俺と小豆とが、午前1時などという深夜に起床しているのか、である。
まあ、理由は簡単。
「もやし農家の一日は、午前1時には始まるんだから!
あの金梨さんとかいう人も、うちで働くんだったら、早く慣れてもらわないとね!」
妙にやる気……あるいは、闘気?
ともかく、何やら攻撃的な意思で満ちている小豆が腕まくりなんぞしつつ語った通り、俺たちもやし農家の一日は、この時間から始まるからであった。
気配を探れば、一階ではすでに、父と母が起き出している様子。
俺と父はこれから、ちょっとしたアスリートばりの肉体労働をこなすことになる。
母と小豆は、その補佐というか、仕上げみたいな工程の担当だな。
俺と父が担当する作業はただきついだけでなく、結構な危険を伴う作業であるため、金梨には母や小豆と一緒に女子チームを組んでもらうことが、夕食後の話し合いで決定している。
で、19時頃には全員で就寝し、今に至るというわけだ。
まあ、普通のサラリーマンとかやってる人には驚くほど早い時間帯の起床だろうが、一次産業に従事している人間ならば、そう珍しい話でもない。
例としては、漁師なんかも深夜帯の勝負だからな。
日本の食卓というのは、俺たち生産者の大いなる早起きによって支えられているのであった。
で、金梨にもさっそく、その大いなる早起きに加わってもらいたかったが……まあ、これは正直、想定の範囲内。
「普通の生活してた人に、19時就寝午前1時起床でよろしく! ……って言ったって、いきなり対応するのは、そりゃ難しいだろ」
何やら不満げな様子である小豆の頭に、ポンと手を乗せる。
「と、いうわけで、だ。
俺に代わって、ちょいと金梨を起こしてきてくれないか?」
「なんで小豆が起こしにいかなきゃいけないの?
お兄ちゃんが、自分で起こせばいいじゃない」
「いや、お前、相手は年頃の女の子なんだからさ、俺がズカズカと寝ているところへ踏み込むわけにはいかないだろうが」
まあ、性教育とかも関わってくる問題だし、この2001年における小学六年生女子には、ピンとこないところもあるかもしれない。
いや、2001年以降における小学生女子の性教育について、俺が何を知っているのかと問われれば、何も知らないと答えるしかないけども。
さておき、ここは何がなんでも小豆に起こしに行ってもらうぞ……と、俺が思っていたその時だ。
「おっはよー! 二人とも!」
「「うわっ!?」」
背後からかけられた元気な声に、兄妹二人して飛び跳ねる。
そのまま、大慌てで背後を振り向くと……そこでは、ジャージ姿の金梨が、ニコニコ顔で「んちゃ」のポーズをしていたのだ。
あ、「んちゃ」っていうのは、ドクタースランプっていうアニメで主人公が使ってるキメポーズね。
1990年代……S県では夏休みに入る度、再放送で平日午前に三本くらい流していたので、俺世代のS県人はみんな知ってる。
あと、やはり夏休みとかに、再放送で昭和のウルトラマンもよくやってたので、俺世代のS県人はウルトラ六兄弟の活躍に関してちょっと詳しい。
さておき、今は背後で「んちゃ」している金梨についてだ。
「金梨……起きてたのか?」
「うん、ちょっと前にねー!
お夕飯美味しくて、モリモリ食べたから、モリモリうんこしたくなっちゃった!
それで、二階のトイレを借りてたの!」
堂々たる態度で、年頃の女の子が絶対口にしてはならないワードを炸裂させる金梨だ。
「うんこって……下品」
「は……はは」
腕組みしながらごもっともなご意見を述べる我が妹へ、曖昧な笑みとともに同意しておく。
とにかく、これで一階の両親も含め、全員が起床を果たしたわけだ!
「よっしゃ!
それじゃ、今日も張り切って、お仕事するとしましょうか!」
「おー!」
うんこという言葉をためらいなく口にできる女こと、金梨は力強く。
「……おー」
我が妹小豆は、ちょっと恥ずかしそうにしながら握り拳を掲げたのであった。




