1.依頼
「ストーカー?」
そう口にしてから、飲んでいたカフェオレが、変な場所に入り込んでむせそうになった。慌てて胸を叩きながら、手にしていたカップを置くと、正面に座る鴻三を見返す。
クリーム色のパナマ帽を脇に置いた鴻三は、淡いブルーのシャツに同じくクリーム色のベスト、白のパンツ姿。かなりのお洒落だ。ダンディな空気が駄々もれ溢れまくっている。
対して俺は、岳に選んでもらったロゴ入りのグレーのパーカーに、ゆったり目のブルーのストレートジーンズ。
その日、定期的に開かれる磯谷鴻三とのデートならぬ、お茶会で訪れた先の喫茶店でのことだ。
鴻三は、某その筋の組織の会長なのだが、半ば隠居していると言っても過言ではない。俺のパートナーである岳が関わった件で、知り合いとなって今に至る。
その鴻三の隣には、孫だと言う女子高校生が座っていた。両脇にはショッピングバッグが山の様に積まれていて、可愛らしいロゴから、女性ものの衣類や雑貨らしいことが窺える。
ひとりでの買い物は危ないからと、ちょうど出かける予定だった鴻三とセットで、家を出たのだと言う。さすがに買い物には、他の護衛が付き合ったらしい。
彼女は鴻三の娘の子どもなのだが、その娘が最近離婚したため、仕事が落ち着くまで、鴻三の家に預けられ、そこから高校へ通っているのだと言う。母親は仕事で忙しく、面倒を見ていられないのだとか。
「そうなんだ、大和くん。──朱莉、そうだろう?」
「…べつに。ストーカーって程じゃ。付きまとわれてないし…」
鴻三の問いかけに、朱莉は鮮やかなグリーンの炭酸に浮かぶ、溶けかかったアイスクリームを、ストローでつつきながら答える。
どうやって染めたのかと思うほど、自然とはかけはなれた真っ赤なサクランボは、すでに種になってグラスの脇、コースターの上にちょこんと柄と共に置かれていた。
「母親──わしの娘が言うには、相手は朱莉の行動を監視していて、特定の誰かと親しくすると、悪意のあるメッセージが送られてくるらしい。親しくなった相手に対しての嫌がらせもある。┈─そうだろう?」
「うん……」
朱莉は、目を伏せ返事をする。長い睫が揺れた。
「今の所はそれくらいだ。警察に相談するほどではないんだが、なにかあってもいけない。母親が忙しいのもあるが、そういうわけもあって、今、わしの所で預かっている、と言うわけだ」
「はぁ。なるほど…」
確かに鴻三の孫、朱莉はかわいらしい容姿だ。
瞳は黒目勝ちでぱっちりとしていて、伏せる睫毛がアイラインを黒く縁取る。艶めく髪は真っすぐストレートで、背中の中ほどまであった。ストローを掴む指先は薄いピンク色。唇も頬も化粧もしてないだろうに、うっすらピンク色をしていた。
が、となると、嫌がらせの相手と言うのは。
「──同じ学校の奴に?」
朱莉に問い返せば。ちらとこちらを見やると、また手元に視線を戻し。
「…そう」
ぶすっとしたまま答える。鴻三に伴われてきた時から、ずっとこんな調子だ。恥ずかしがっている、と言うわけではないらしい。
「ふーん…。けど、それじゃ、高校ではどうしてるんだ? こうやって周りに警護をつけるわけにも行かないだろうし…」
俺はさりげなく、周囲に目を転じた。
鴻三の周囲には、いつも適度に距離を保って、護衛が付いている。それも複数人。ぱっと見、それと分からないように潜んでいるから、気付かず通り過ぎてしまうこともある。ヤクザの大親分ともなると、これくらい普通なのだろう。
しかし、外はこうして守ってくれるものがいるからいいが、高校の中はそうはいかない。授業中までびったり護衛に張り付く訳にはいかないし、だいたい、そんな許可など下りないだろう。鴻三が会話を引き取って。
「それで困っているんだ。事情を話して、気を配ってもらっている上級生や友だちはいるようだが、それにも限界がある。それに何かあって、その子たちが巻き込まれて怪我をしてもな…」
「確かになぁ…。素人じゃ限界、あるもんな。──その犯人の目星はついているんですか?」
「それが、わからなくてな…。目星もつかない状況だ」
「そうなんですか…」
朱莉のことが好きすぎて、行きすぎた行動をしてしまっているのだろう。何か起きないうちに、捕まえるべきだ。朱莉のためにも、その生徒のためにも。が、一番手っ取り早いのは。
「いっそのこと、転校すればいいんじゃねーの?」
そうすれば、さすがに相手も諦めるだろう。俺は朱莉に向かってそう口にしたが。
「…ざけんな」
「…?」
今、かわいくない声を聞いた気がする。
「──孫の朱莉は元気が良くてな。どうやら活発なのは母親似らしい。離婚した父親はごく普通のサラリーマンで、大人しい男だったんだが…」
鴻三が続ける。すると、朱莉はそれまで手にしていた緑の炭酸水を、ずずっと一気にストローで吸い上げ、きっとこちらを睨みつけると。
「ママと同じこと、言わないでよ。私がどれだけ本気か、わかっていないくせに…」
「本気…?」
「朱莉は高校で、芸能コースを選択しているんだよ」
鴻三がフォローを入れた。
「…芸能人、目指してるのか?」
「女優…」
つっけんどんにそう言い放つ。どれほど本気かわからないが、とにかく、気を悪くする程度には本気らしい。ふうと俺は息をつくと。
「…どんだけ本気かは知らねぇけど。初対面の相手に、その態度はどうかと思うぞ。上目指すなら、ちゃんとした態度、身につけた方がいいって。──それに、本気だったらどんな状況だって、目指せるんじゃないのか? 今いる場所だけってことはないと思うけどな」
「……」
ぎっと睨んでくる。うぜぇとその目が語っていた。が、さっきと違って言葉には出さなかった。
──なんだか、デジャブ。どうも、俺の周りにはこんな奴が多いぞっと。亜貴に始まり、壱輝。──大希は──違うか?
「それで…、鴻三さんはどうしたいんですか?」
「それなんだが──」
鴻三は、テーブルに置いていた手を組み直した。
◇
鴻三はとある提案をしてきた。それを聞いた時、一番初めに岳の顔が思い浮かんだ。
俺一人だったら即、応じただろう。けれど、今はひとり身というわけではない。俺にはれっきとしたパートナーがいるのだ。その意見も聞かねば、簡単には答えられなかった。その旨を伝えてから、
「すみません。即答できなくて…」
深々と頭を下げると、鴻三は頷き。
「確かにその通りだ。これには岳の同意が必要だな。…前にも釘を刺されている。大和くんをこちら側へ巻き込むなとな」
「すみません…」
「なに、謝ることじゃない。当たり前のことだ」
そこで、すっと朱莉が席を立つ。
「…わたし、トイレ」
長い髪を翻し去っていく、その背を見送りつつ。
「──実際、どんな状況なんですか?」
「…あまりよくはない。朱莉にはメッセージのみだが、相手へは嫌がらせがエスカレートしている。上履きにカッターの刃が入っていたり、運動着が切られていることもしばしばだ。──だが、犯人が分からない…。だいたい、分かったとしても、高校生相手に手荒なマネはできないしな。だから対処に困っているんだよ」
「それでさっきの提案、ですか…」
「他に思いつくいい手がなくてな…。岳が距離を取ろうとしているのはよく分かっている。きみを関わらせたくはなかったんだが…」
「──いや。今回の件は、岳の過去とは関係ないですから。そこは気にしなくても大丈夫です…。とにかく、岳に相談してみます」
前とは違って、危険なヤクザ絡みではないのだ。鴻三は目を細めると。
「すまないな」
「いいえ。──っと、俺もちょっとトイレへ」
俺が席を立つと、さわと動いたものがいた。植木の陰の席に座る、眼鏡をかけたサラリーマンだ。
──ははん、あれが今日の護衛だな。
他にも店内に数名いる。外にもきっと数名。どうみても、その辺のサラリーマンか、スマホに夢中な若者にしか見えない。なかなかの変装技術だ。
トイレに向かうと、その途中の通路に朱莉がいた。手にした端末を睨んで動かない。というか、表情が固まっていた。その様子を怪訝に思う。
「どうした? なにかあったのか?」
咄嗟に画面をのぞき込もうとすれば、
「関係ない…」
そう言って、端末を握り締め背後に隠してしまう。
「余計に怪しいっての。なんかへんなの送られてきたのか? …さっき、鴻三さんに聞いた」
すると、朱莉は視線を落とし俯くと。
「べつに…」
「──どれ」
だらんと横に伸ばされた手に握られた、朱莉の端末機を取り上げ、開いたままの画面を見る。朱莉は抵抗しなかった。そこには、
「なになに、『男と会うとか、許せない』…って、こえーだろ。これ。今日、俺たちと会ってるの知ってるって事だろ?」
「…どうせ、いつものことだもん…」
伏せた睫毛が微かに震えていた。どんなに強がってもまだ子どもだ。怖いのは当たり前で。俺は端末を朱莉に返すと。
「…どうせで済ませるなって。──わかった。とりあえず、先に戻ってろ」
「…うん」
朱莉は素直に席へと戻って行った。
これは──見て見ぬふりはできない、そう思った。
◇
帰宅後、夕飯の支度を終えた所で、岳が隣の棟にある事務所兼スタジオでの仕事を終え戻ってきた。それを玄関に出て出迎える。いつものやり取りだ。
岳の出で立ちは、黒のジャケットに白いシャツ。下は黒のスラックス。黒シャツの時もある。全て、ユニフォームだ。ユニフォームなのに、決まって見えるのは、やはりもとが岳だからか。
「お疲れさん。今日は早かったな?」
「ああ、予約の客のキャンセルがあってな。急な予定が入って、日を変えたいって──」
そう言って、揃えておいた岳専用のふかふかタオル地スリッパに足を通すと、こちらを見て。
「──なにか、隠し事か?」
「え?」
岳はふっと笑むと。
「顔が引きつってる…。っとうに、分かりやすいな。大和は──」
ピンと俺の頬を指先で軽く弾いてから、廊下を通って隣の棟の二階にある自室へと向かう。
俺と岳の部屋は、二階建ての洋館の母屋の隣の棟にあるのだ。廊下で繋がっていて、いつでも行き来できる。
岳の勤めるフォトスタジオは、その階下にあった。以前、社長の許可を得て、事務所兼スタジオをこちらに移したのだ。
「なんでわかったんだ?」
俺は獲物を追う猫のごとく、小走りになって、岳のあとを追った。
「ずっと一緒にいるんだ。いい加減、わかるさ。──で、何を隠してる?」
自室のクローゼットの前でジャケットを脱ぎながら尋ねてくる。あとで話そうかと思っていたのだが、バレてしまえば仕方ない。俺は岳の脱いだジャケットを受け取りながら、上目遣いで見上げると。
「──その…実は、鴻三さんに、頼まれたことがあって…」
「頼まれた?」
岳のまとう空気が一瞬で、ぴりっとしたものに変化した。俺はジャケットをクローゼットにかけると、岳を振り返る。
「…その、さ。孫に朱莉って、女子高生がいるんだけど、高校で嫌がらせにあってるって言うんだ。話を聞いているうちに大変だなって思ってさ…。そしたら、高校内での護衛を探しているって…」
「それで……?」
「俺に、その護衛をしてもらえないかって…」
「──護衛、か…」
「その、色々あたったらしいんだけど、信頼がおけて、高校生に変装できる奴が他に思い当たらなかったって。俺なら山の仕事も終わったし、時間ならあるし…」
今年も岳の大学時代の後輩、祐二が管理する山小屋を手伝っていた。それが終わり、つい先週戻って来たばかり。
まだ、閉山まで期間はあったが、忙しいピークは過ぎたからと、下山を許してくれたのだ。
「それで──受けたのか?」
ため息交じりに岳が問い返してくる。これは、納得がいっていない証拠だ。
「…うん…。なんか、その朱莉って子、強がってはいたんだけど、結構、怯えててさ。友だちに気をつけてもらっているようだけど、確かに高校生じゃ、守り切れないだろうし…」
俺はそこで、ガバと頭を下げた。
「──ごめん! 勝手に受けて…。本当は…岳に相談してからって、思ったんだ。いったん、保留にして…。──けど、途中で朱莉の端末に嫌がらせしてるやつからメッセージが入って…。なんか、それ見たら放っておけなくて…」
と、下げた頭に岳がぽんと手をおいてきた。大きな手が髪をくしゃくしゃにする。
「頭なんか下げるな…。悪いことをしたわけじゃない」
「けど──」
僅かに顔を上げて、岳に目を向けた。そこには、優しい眼差しの岳がいる。
「大和は、その子の為に何とかしてやりたいと思ったんだろう? 大和がしたいと思ったことを、邪魔するつもりはない」
「岳…」
岳はそのままベッドサイドに腰を下ろした。どこか疲れた様子の横顔に、いたたまれなくなって、その隣に腰かける。岳は前髪を乱雑にかき上げたあと。
「…その話、少し前に楠から聞いていた。──断ったんだ」
「断った?」
「そうだ。大和を危険にはさらしたくない。──けど、当の本人が受けたのなら仕方ない」
「…ごめん、岳」
──岳が断った依頼を受けるなんて……。
肩を落とせば、岳は手を伸ばして、頭を撫でてくる。
「…気にするな。俺はお前の意思を尊重する。その上で、俺は全力で大和を守るだけだ」
「ありがとう…。岳」
すると、岳はそのまま俺を抱き寄せ、腕の中に閉じ込めると。
「──無茶だけは、するなよ?」
「おう…」
岳の胸に頬を埋めた。




