2.報告
「なに、それ。引き受けたの?」
夕食後、話を聞き終えた亜貴が、憤怒の表情で声を荒らげる。お不動さんも顔負けの勢いだ。
その後、鴻三へ正式に依頼を受けると連絡したところ、いたく喜んだのだが、一方で岳にはすまないとしきりに口にした。岳の思いを十分に分かっているからだろう。あとから楠を通じて、今後の詳細な説明をすると伝えてきた。
俺は皆が食べ終わった食器をシンクに運びながら、
「まあな。俺が高校生って、どうかと思うけど──」
「そこじゃないよっ。なんでそんなの引き受けたんだよ。危ないじゃないか! 今どきの奴らって、加減知らないし、平気で酷いことする奴もいるし…。兄さん、なんで許したの?」
亜貴は食ってかかる。岳は俺が運んできた食器を食洗器に入れたあと、入りきらない鍋を洗いだしていた。スポンジを手に岳は、
「大和がやると決めたんだ。──反対はしない」
「信じられないよ、それ。だってあきらかに危ないじゃないか。その子と関われば、大和だってとばっちりを受けるかもしれないのに…。何かあったらどうするの? その子には悪いけど、俺は絶対反対!」
亜貴は腕を組んで、唇を固く引き結ぶ。最近、男振りも増した亜貴は、そんな表情もカッコよく目に映る。やはり、岳の弟。血は争えないのだ。
すると、それまで黙って聞いていた真琴が。
「──が、もう決定事項だ。そうなんだろう?」
真琴の問いかけに、俺はおずおずと頷く。
「…うん」
「なら、色々言っても始まらない。不測の事態に備えて、準備万端にすることが重要だな」
真琴は自身が仕事場近くに借りたマンションと、俺たちと一緒に住むこの家とを行き来している。週末の今日はこちらで泊まる日だ。仕事が忙しくなると、あちらで過ごす時間が増える。
そうなると少々寂しいが、あちらにいる時は、頻繁に壱輝が訪れているらしい。初奈も引き連れてくる時もあれば、一人の時も。
壱輝と初奈は、岳の大学時代、所属していた山岳部の先輩、シングルファザーの円堂嵩志の子どもらだ。壱輝が高校二年、初奈が小学六年生。一時期、預かったのが縁で、すっかり我が家の一員になっている。
その壱輝が、真琴の借りているマンションに入り浸っているのだ。仕事で疲れて帰ってきても、その相手をするのは大変だろうと思われるが、本人はそれが逆に癒しになっているらしく。
壱輝のくだらない高校での出来事を聞いたり、そんなことで? と言う事で悩む壱輝を見ているのは面白いらしい。
ちなみに、父親の放任主義は相変わらずで、その度に亜貴が怒っていた。壱輝はいいが、初奈が可哀そうだと。まだ幼いのだ。それで、寂しくないようにと、こちらの家にも遊びに来させている。
皆、それぞれ、なんとかなってきているのが嬉しかった。ことに真琴が楽しそうにしているのが嬉しい。
「でも、準備ってどうするの? だって、高校に入るんでしょ? 誰も側についていられないじゃないか」
亜貴の怒りは収まらない。もっともだ。仮に岳や真琴が傍につこうとしても、どうやっても高校生には化けられない。
と言うか、俺の高校潜入も、かなり厳しいのでは? と思うのだが。
「いろいろ手はある。──だろ? タケ」
真琴の言葉に一瞬、洗物の手を止めたが、また洗い出すと。
「考えてはいる。…また追々な」
「ふーん…」
──いったい、どんな手だろう?
俺は腕を組むと、
「でもさ。相手は高校生だし、亜貴の言うような奴がいたとしても、ヤクザ連中とは違うだろうし。そこまで心配は──」
「甘い! 大和は今の高校生を知らないから…」
一番、そこに近かった亜貴がそう口にするが。
「けど俺、かなりやれるようになったぞ? 藤にもだいぶ鍛えて貰ってるしな。その辺の高校生の一人や二人、飛びかかってきた所で──」
すると、亜貴は腰に手を当て、
「今どき、どこかのヤンキー漫画みたいに、タイマンで体育裏で殴り合いなんてないよ。てか、あり得ないって。今はもっと、陰険なやり方するって」
「そ、そうなのか…? こう、呼び出し食らって、河原で勝負──とか? ないのか?」
「ないね、そんなの。いつの時代だよ!」
「…そうか」
──今どきって、どんなだろう?
ちょっと不安にもなる。そこへ真琴が、亜貴の怒りを宥めるためか、話題を逸らすように。
「けど、高校生か…。制服やそのほかの必要なものはどうなっているんだ? 大和」
「ああ、それ。鴻三さんが全部もつって、この前、楠さんの部下の人が持ってきてた。な? 岳」
「ああ。楠のとこの玉置が持ってきた。制服もジャージもカバンも靴も、教科書の類も一揃え。ちゃんと替えもある。足りないものがあれば、また用意するって言ってな…」
「あとで着てみないとな…。サイズ、合うかな? てか、高校生に見えるのか? 俺…」
不安しかない。と、真琴と亜貴は顔を見合わせてから、こちらを振り返り。
「…多分」
「…大丈夫だろう」
口を揃えてオーケーを出す。すると真琴が眼鏡のブリッジを押し上げながら。
「──せっかくだ。あとで着た所を見せてくれないか? 皆で見て判断しよう。そこがだめなら、潜入も無理だろうしな」
真琴がニコリと笑んで薦めてくる。亜貴も畳み掛けるように。
「そうだよ。そこが厳しかったら、絶対、無理だもん!」
二人がかりで言われれば、応えない訳にはいかない。ぐっと手を握りしめると、ガッツポーズを作って。
「うっし、わかった! あとで着るから見て感想言ってくれ!」
すると、それまで黙っていた岳がため息交じりにぼそりと、
「…余計な事を」
小さく呟いた。聞き逃した俺は、岳を振り返る。
「なんだ? なんて?」
「なんでもない…。──真琴、覚えてろよ」
「ふん。ひとり占めはさせないさ」
真琴が微笑んで見せた。
「そうそう。兄さんだけ楽しもうなんて、許さないもん」
亜貴も割って入る。なんだか話が見えないが。
「ま、通い出せば、嫌でも見ることになると思うけどさ。とにかく、これがすんだら着替えてくるから、遠慮ない感想よろしく!」
「ああ」
「もちろん!」
真琴と亜貴がにこにこ顔で返事をする。それとは正反対に、岳は終始口をへの字に曲げムスッとしていた。
◇
食器を片付けると、早々自室に戻って、いざ、玉置が持ってきた制服をベッドの上に広げてみた。
目に眩しい真っ白なシャツ。胸に金のエンブレム、襟に金の刺繍が入ったいかにも高級そうな仕様の濃紺のブレザー。同じく、校章の入ったネクタイ、グレーチェックのパンツ。あとはこれにぴかぴかの茶色のローファーがついた。
汚れてもいいようにと、予備にもうひと揃えある。シャツに至っては、消耗品だからと、数枚予備がつけられていた。全てサイズを聞いて用意してくれたものだ。
──確かに、サイズはあっていそうだけど…。
全てが目に眩しい。すでに二十三歳となる。高校を卒業してかれこれ五年。これらに袖を通すのは、おこがましい気もした。
──さて、違和感はあるのか、ないのか……。
糊の利いた、まっさらなシャツを手に取る。よくドラマでいい歳の俳優が、高校生役をやるが、要はあれと同じだと思えばいいのだ。が、実際本物に混じれば、絶対に浮く。
しかし、鴻三や楠は俺が適任だと判断した様で。それは、違和感がないと認めているという事だ。
──ほんとうかなぁ? ぜったい朱莉が見たら、マジありえねぇとか言いそうだ…。
俺は恐る恐る、腕を通し着心地を確かめる。袖をピンと伸ばすと、過去の記憶が僅かに蘇ってきた。毎朝、慌てて洗って干したままの、しわくちゃなシャツを着て飛び出していったのを思い出す。
──懐かしいな。
あの頃は、毎日生きるのに必死だった。岳と出会った今ではいい思い出だ。
そうしてパンツを履き、ネクタイを結ぶとブレザーを羽織った。丁度そのタイミングで、岳が部屋を訪れる。
「──入るぞ。もう着たのか?」
「お、おう…。どうだ?」
俺はブレザーの前のボタンをひとつだけ留め、岳を振り返った。そうして照れ隠しに腕を広げて笑うと。
「ってかさ。まるで七五三? やっぱ、浮くよなー」
「……」
岳は無言になってそこに立ち尽くしていた。やや目を見開いている。口も──僅かに開いているか?
「──岳?」
「…たくない…」
「ん? なんだ?」
「──見せたくないって、言ったんだ…」
「どうして? …見せられないほど、悲しい出来か…?」
流石にそれは落ち込む。引き受けておいて、やはり制服が似合わないからやめる、とは言い辛い。しかし、岳は大仰なため息をついた後、頭をガクリと落とし、額に手をあて。
「その反対だ。──ったく、あいつら分かってて…」
「反対って…おかしくないって事か?」
「そうだ…。おかしくはない…。と言うか、それがお前にとって誉め言葉になるとは思わないけど──俺の見た限り、充分高校生でも通るだろうな」
「よかったぁ…。受けたのに、似合いませんでしたってのも──岳?」
安堵に胸を撫でおろす俺を、岳は感慨深げな眼差しをして、黙って見つめている。
「どした?」
「…大和の高校時代は、そんな感じだったんだと思ってな」
「そうだなぁー。たぶん…。うちはブレザーじゃなくて、高校も学ランだったけどな。岳は?」
「ブレザーだ。だいたい、みんな着崩してたけどな。今度、潜入する高校も私立だが、厳しくはないそうだ。薄化粧もピアスもツーブロックも、男子のロングも許可だそうだ。流石に髭はらしくないとだめらしいが」
「良く調べたな?」
岳は歩み寄ると、俺の腰をだき抱え。
「当たり前だ。もっと色々調べた。とは言っても、楠からの情報が半分だけどな…」
見下ろしてくる岳を、すまなそうに見上げると。
「…今度のこと、本当にごめんな? 余計な心配かけることになって…」
「気にするな。…俺の心配性は今に始まった事じゃない」
「無茶は、しないからさ」
「当たり前だ。──とは言っても、大和は止められないからな…。真琴じゃないが、手は考えてる。直接は傍にいられないけれど…」
「なんだ?」
「おいおい、な」
先程と同じ言葉を繰り返して微笑むと、額にキスを落としてきた。
「──さて。嫌だが向こうで待ってる奴らに見せに行くか…。亜貴が一番高校生に近いから、参考にはなるだろ」
「てかさ。ほんっとうに、違和感ないのか? 高校生だぞ?」
「とはいっても、おまえだってまだ卒業して数年だろ? 俺や真琴が変装するんじゃ無理だが、大和ならギリオーケーだろ。…にしても、やっぱり見せたくないな…」
「なんだよ。どうせここから通うんだ。朝夕、顔合わせれば、そのときには見られるし…」
「──あいつらの、にやけ顔が思い浮かぶな…」
岳はぼやきながら、俺と共に隣の棟にあるリビングへと向かった。
◇
そうして、リビングのドアを開け、飛び込む様にして、
「ジャーン!」
腕を広げて中へと入ると、くるりと一回転して見せた。
「──どうだ? やっぱり、浮くだろ? 岳は大丈夫だって言ったけど…」
おどけて見せたのは、照れ隠しだ。こわごわ、順繰り二人の顔を見ていく。
亜貴はぽかんと口を開け、呆気にとられたよう。真琴も僅かに目を見開いている。二人に言えることは時が止まったように固まっている、と言う事だ。
──やっぱり、厳しいか…。
「…だよな? やっぱ高校生には──見えない、よな?」
すると真琴が視線をそらしながら。
「…いや。かなり──かわ…」
「かわ?」
「──なんでもない。俺から見て、おかしい所はないと思うが…」
同意を求めるように真琴は亜貴へ視線を向ける。亜貴は初めこそぽかんとしていたが、直ぐに満面の笑みを浮かべ。
「大丈夫! 大和、かわいい!」
そう言って飛びつくように抱きついてきた。ぎゅっとハグされて、腕の持って行きように困ってあわわとなる。久しぶりに亜貴に抱きつかれた気がした。
「おい、亜貴!」
「だってぇ、可愛すぎ! 大和の現役時代、見たかったぁ」
ぐりぐりと頭に頬を寄せてくる。
──てか、亜貴、結構力強くなったな…。
抱きつく腕に、以前のようなか弱さがない。大学で弓道も続けている。身体も大人に成長しつつある。
──そう言えば、胸板も厚くなった気が──。
「おい。亜貴……」
若干、どすの利いた声音が響いたかと思えば、俺の首根っこを岳がぐいと引いて、自分の元へと引き寄せた。亜貴はむすっとして。
「なんだよ、ケチ。ちょっとハグしただけじゃん」
「ケチとか、そう言う問題じゃない。俺の大和だ」
バチバチと兄弟の間で火花が散る。
「待てって。ったく、相変わらず…。ちょっとスキンシップしただけだって。ほら、岳。下がって下がって」
岳を押さえるようにして、亜貴と距離を取らせる。どうも、この件で岳はデリケートと言うか、敏感になっている様で。身体の一部分が、威嚇する猫の様に、いつも逆立っている感じだ。
「…分かってる。本気じゃない」
「うん、そうだろうとも。──で、俺、高校生に見えるってことでオーケー?」
「そうだな。俺の目からはそう見える」
真琴は苦笑交じりにそう答えた。亜貴も腕組みしつつ。
「いいんじゃない? 大和は小柄だし、童顔だし。にしても、よく中に入り込めるね? 手を回してくれたの?」
「うん。その辺りは鴻三さんが校長と知り合いみたいでさ。一時的な転校生として、受け入れてくれるって事で」
「フーン…。──て、授業、受けるんだ?」
「ま、まあな…。側を離れられないし、それが仕事だし…」
「分からないことあったら聞いてよ? 俺が一番、高校生に近いんだからさ」
「そうだな、何か分からないことがあれば、な?」
岳がまた何か口にしそうになったのを、慌てて手で制すると、その背を押しながら。
「じゃ、着替えてくるな。真琴さんも亜貴も、意見ありがとな?」
岳と共に早々にリビングを後にした。
◇
「岳、大丈夫か?」
部屋に戻って制服を脱ぎ、もとのラフなスウェットに着替えると、ベッドサイドに頭を垂れて座る岳に声をかけた。
「……わからない」
「岳?」
どうしたのかと、すぐにその傍らに歩み寄る。
「さっきまでは大丈夫だと思ったのに…。制服姿の大和を見た時、やっぱり、無理な気がしてきた…」
「どうしてだ? なにかまずかったか?」
「──やなんだ…」
「へ?」
岳は膝に頬杖をつき、視線をそむける。
「大和のそんな可愛い姿、他の誰かに見せるなんて──嫌なんだ…」
岳の頬がみるみる赤く染まる。自分でも子どもじみていると思ったのだろう。けれど。
「たーけーるっ!」
俺は腕を広げ、がばと岳に抱きつく。勢いで岳は俺ごとベッドに仰向けに倒れこんだ。
「っ! なんだ? 急に──」
「かわいい! 岳! すっげー、かわいい!」
可愛いの大安売りだ。
「……ったく。おまえにそう言われる日がくるなんてな…」
岳は腕で顔を隠す。俺は岳の胸の上で肘をつくと。
「そういう、岳も大好きだって。──だから、変な焼きもち妬くなよ? 俺は岳しか見てない。な?」
つんと、その鼻先をつついてやった。
「……」
岳は唇を引き結び、じっとこちらを見つめていたが。
「…かわいいのは、おまえだろ?」
「そっか?」
岳は手を伸ばし、俺の頬に触れてくると、そのままキスしてきた。軽く触れる程度の、だが。
「…大和は、俺のだ──」
「ふふ、かわいいのな? 岳」
「言ってろ」
言い終わらないうちに、身体をゴロンと反転させられ、岳が上になる。こうなると、抵抗は無駄となる。ま、抵抗はしないのだけど。
「大和は…誰にもやらない…」
そう口にした岳は、いつになく真剣な眼差しで。続いて落ちてきたキスが、その熱い思いを伝えるよう。
長い、骨ばった指先が頬をささえ、さらにキスが深くなる。好きだと、誰にも渡さないと、その思いが伝わって来る。
──そんなに必死にならなくたって、俺は岳しかいないのに──。
「ふ…っ…」
「大和…、好きだ…」
その吐息が唇にふれるくらい間近で囁く。
俺も、そう答える間もなく次のキスが言葉を奪っていった。




