その後 3.観劇
「これ。観にきてよ」
「うん?」
仕事帰りに立ち寄った湊が、二枚の券を差し出してきた。待ち合わせた場所は家の近くの浜辺だ。以前にも、ここで待ち合わせたことがある。夕方近くとあって、散歩に訪れる人がちらほら見られる程度。
差し出されたチケットには、印字された文字が踊っている。ミュージカルの様だった。
「これ…前、言ってた?」
「そ。かなり熱演してるから。その日、空いてるって言ったろ?」
確か数週間前に連絡があって、尋ねられた記憶があった。
「おう、空いてるとも。──わかった。必ず観に行く。わざわざありがとうな?」
「じゃ、その時に──」
それだけ言うと、くるりと背を向けて、行ってしまった。どうやら、車で送られここまで来たらしい。堤防の向こうに停まっていた黒塗りの車に乗り込んでいった。
改めて手元に目を落とす。二枚と言うことは、誰か誘って、と言うことなのだろう。誰かが、岳になることは、承知のはず。
──岳、空いてるかな?
公演日は土曜日だ。仕事が遅くならなければ、行けるかもしれない。あとで聞いてみようと思った。
◇
「ああ、その日なら行けるぞ」
仕事が上がり、リビングに現れた岳に尋ねれば、間髪容れず返答が返ってきた。
「本当か? ──でも、仕事は?」
「急ぎの仕事もない。たまに早く切り上げるくらい、わけないさ」
岳は夕食の配膳に取りかかった俺の傍らで、コップに汲んだ水を飲みながら答える。
「湊が出てるっての、気にしない…よな?」
すると、コップを置いた岳は笑って、
「俺もそこまで子どもじゃないさ」
「やった! じゃ、よろしくな」
そうして当日。
幕が開く前、俺は席に座り、空席の傍らに目を向けた。隣に岳の姿はない。なんと、家を出る数時間前、突然、仕事の依頼が入ったのだ。
明日の午前中が締め切りの画像データを、編集し直してほしいという。なんでも、直前になって先方からやはりイメージが違うと言われ、直しが入ったのだ。
俺は仕方なく、ひとり電車に乗って、会場までやって来た。
──いや、いいんだ。仕事が優先で当たり前。
岳は間に合いそうなら、後から行くからと言ったが、あの様子だとたぶん厳しいだろう。スタッフは既に帰ったあと。岳ひとりでこなさなければならないからだ。
けれど、本心は。
──岳と、楽しみたかったな。
空席が寂しかった。
◇
ミュージカルは初めて観た。
歌って踊る、そんな単純なイメージしかなかったのだが、それを見事に塗り替える、大迫力の舞台だった。
いわゆる、主人公の成長物語だったのだが、苦労や危機、悲しい別離、または裏切りを乗り越えて、最後はハッピーエンド、大団円で終わった。
湊の役どころは、主人公の友人でありながら、貧しさからお金に目がくらみ、主人公を裏切り、最後は死を迎える悲しい役どころだった。
それを、湊は見事に演じきり、湊の熱演にすっかり引き込まれ、最後は号泣していた。
「う…っ、よ…良かった…」
幕が下り拍手が鳴り響く。再び幕が上がり、俳優らがさらに盛大な拍手に迎えられ壇上に現れた。客席からは、花束を渡す者達が列をなす。
──俺も、用意してくれば良かったな。
そんな様子を眺めていれば、花束を抱えていた湊がふと顔を上げ、こちらを見てきた。目はバッチリ合っている。俺の席を把握しているのだろう。
──なんだ?
すると、何を思ったのか、にっと笑んだ湊が、唇に手をあて、それをこちらに向かって投げてきたのだ。途端に卒倒寸前の黄色い奇声が上がる。周囲の女性陣は、自分達に向けられたものだと、理解したのだろう。
俺だってそう思いたい。思いたいが、告白を受けた身である以上、それが偶然ではなく、限りなく限定的な意図を持って投げられたものだと理解する。
──投げキッス、初めて見た…。
と言うか、受けたのも初めてだ。
当然だ。普通に生活していればまずないし、そんな場面には出くわさない。
湊は満面の笑みを浮かべ、大きく手を振ってみせた。
興奮も覚めやらぬ会場を後にする。すると会場を出てすぐのロビーに岳がいた。
「大和」
思ってもみなかった登場に、自然と笑みがこぼれる。岳は先に俺に気付いていたらしく、歩み寄ってくるところだ。負けじと駆け寄る。飼い主を見つけた犬の如く。
「なんだ、来てたんだな? 中に入れば良かったのに」
「後半が始まっていたから遠慮した。ここにモニターもあるしな」
確かにロビーには、会場内の見える大型モニターが設置されていた。
「湊、贔屓目なしにすごく良かったぞ」
「そうだな…。けど、最後のあれはなしだな…」
「あ─…。あれな…」
俺は鼻の頭をかく。投げキッスを見ていたのだろう。と、端末に着信の知らせが届いた。見れば湊からだ。すぐに応じる。
「──どうした、湊」
『楽屋来てよ。マネージャーが控え室前で待ってるから。──よろしく』
一方的にそう告げて、通話を切ってしまう。
「あ! ちょ、おいっ!」
「──なんだって?」
「いや…。その、楽屋にこいって…」
もちろん、会えば褒め称えたい気持ちはある。が、岳を連れて行くとひと悶着ありそうで。しかし、岳は不敵な笑みを浮かべると、
「いいさ。せっかくのお招きだ。行こう」
そう言った。
◇
言われた通り、楽屋控え室へと続く扉の前で、湊のマネージャーが立って待っていた。四十代の笑顔が溌剌とした女性だ。
俺たちを認めて、ああ、と笑顔になると、
「待ってましたよ。さあ、こちらへ──」
ニコニコ顔で案内する。俺は内心、ハラハラしていた。岳は大人だ。湊に何を言われても動じないとは思うが、心配は心配だ。
部屋へ俺たちを通すと、マネージャーは外で待機してますねと一言残すと、気を利かせて出ていった。残された俺は、岳を引き連れ中へと進む。
出入口には下駄箱と壁があって、直ぐには中が見られない様になっていた。
「──大和?」
ドアの音に気がついた湊が声をかけてくる。
「おう、湊。邪魔するな?」
俺は岳へ目配せしたあと、靴を脱いで壁の向こうへと顔を出した。
「湊、お疲れさん!」
「大和! 来てくれてありがとうな。今日、どうだった?」
言いながら、こちらに向かって腕を差し出してくる。俺も握手を求めるつもりで、右手を差し出しながら近寄った。
「良かったぞ! 最後の方なんて、涙なしでは見られなかったって!」
「よかった。大和にそう言って貰えたのが一番、嬉しいって!」
ん? っと思った時には、差し出された湊の腕にハグされていた。俺は慌てて湊の胸を押し返そうとするが、身動きが取れない。
「湊─…!」
「なに?」
腕を解いてくれと訴えかけるが、ニコニコ笑んだ湊は、気付いていない振りをする。すると、俺の肩を引き、逆に湊の肩を押し返す様にして、引き剥がしにかかった人物がいた。──岳だ。
「そこまでだ。──俺も後半途中から観てたが、いい演技だった。流石だな」
微笑みつつ、更に俺の両肩に手を置き、自分の方へ引き寄せた。湊は気にくわない様子で、鼻を鳴らし腕を組んだ。
「ハグぐらいしたってかまわないでしょ? …余裕無さすぎ」
「人による。佐々木くんは遠慮がない」
岳の声音が低くなった。
「湊でいいですよ。──岳さん」
上目遣いで岳を睨む。二人の間でバトルの気配が漂った。
これはマズい。ここには冷静に対処してくれる真琴も、強引だが的確な判断を下す亜貴もいない。俺一人でこの場を収めねばならなかった。
「と、とにかく。湊、かっこよかったぞ! これからも頑張れよ? 応援してるからな! ──ささ、もうお暇しよう。湊も疲れているだろ? 岳、ほら! サヨナラ言って」
駄々をこねる幼子を諭す様に、無理やり切り上げにかかって、岳の腕を掴んで戸口へと向かう。動こうとしない成人男性を、引っ張るのは相当に力が必要だった。しかも、相手は岳だ。
「湊。──調子に乗るなよ…」
「凄めばどうにかなると思ってるんですか? 岳さん。──俺、諦めないんで」
──ああ、神さま。
俺は天を仰ぐ。
と、そこへマネージャーがドアをノックした。
「そろそろお時間ですよ。湊、打ち上げに遅れますよ」
神降臨。
俺はあからさまにホッとした顔を見せ、
「さささ、今度こそ、お暇だ。これ以上、お邪魔したらいけない。──行こう!」
それでも、湊と睨み合う岳の背を押すのは一苦労だった。
「大和! また連絡するから」
湊が、そう声をかけてくる。
「お? おお、おおおう」
適当に返事を返す。動揺しっぱなしだ。
「大和は俺のパートナーだ。──忘れるなよ」
部屋を出る間際、岳の低い威嚇する様な声が響いた。
◇
「はあ…。なんだか疲れたな。岳もせっかく駆けつけてくれたのに、ごめんな?」
帰りは車で来た岳の運転だ。岳は車のエンジンをかけながら、
「…いいさ。別に大和が悪い訳じゃない。あいつの往生際が悪いんだ」
むすっとしている。
「なんだろう。意地になってるのか? あれ」
頭をかきつつ返せば、岳は苦笑して、
「いいや。──あれは、本気なんだ」
どこか呆れた様に、でもどこか悲しそうに、岳は口にする。俺はおや? と思った。
「…岳。言うまでもなく、俺は岳だけだからな?」
「わかってる…。大和を疑う訳じゃない。ただ──」
「ただ?」
「若いってのは──なかなか、な…。俺と大和とは十歳違う。この差は当たり前だが縮まらない。──相手が誰であれ、若いってだけで、少し不安になる…」
それだけ言うと、あとは口を閉ざしてしまった。
「岳…」
胸が詰まる思いがした。
「すまない。年甲斐もないってやつだな? たいしたことじゃない。気にするな──」
パーキングからドライブへ、ギアを入れようと手を伸ばした岳の脇へ、ぶつかる様に抱きつく。着ているシャツがしわくちゃになるくらい力を込めた。
「…俺は、岳だけなんだ。岳だから、受け入れられたんだ…。──どうしたら、不安がなくなる?」
岳の心音が、押し付けた頬や額から直に響く。抱きついた所から、思いが伝わればいいのにと思った。すると、背中にポンと大きな手のひらが置かれる。
「…すまない」
「岳──」
謝って欲しい訳じゃない。そう思い顔を上げようとすれば、不意に抱きしめられた。助手席から身体が浮いて、半ば岳の膝の上だ。手のひらが頭へ回り、抱えるように肩へ寄せられる。
「お前にそんなこと、言わせて…。俺は……本当にダメだな…」
「岳…っ」
言いたいことは、それじゃない。再び顔を上げ、訴えようとすれば、唇がキスで塞がれた。
──岳…。
目の端に涙が滲んだ。それを、岳がキスで吸い取る。
「──わかってる。けど、俺は…弱いから不安になる…。わかってるはずなのに…」
岳の心からの言葉に、その顔を見つめる。
「──いい…」
「大和…?」
「何度でも言ってやる。岳が不安になる度…。だから、隠さずに言え。俺はずっと言い続けてやるから──」
──岳が、好きだ。岳だけなんだと。一生、言い続けてやる。岳が気のすむまで、ずっと。
すると、岳が小さな笑い声を上げ。
「やっぱり──大和には敵わないな…」
「勝てると、思ったか?」
岳の首に腕を回したまま、どうだとばかり不敵な笑みを浮かべた。岳は眩しいものでも見るように、目を細めたあと、
「──いいや」
破顔した。
体力知力経済力。その他諸々、岳には敵わない。けど、岳への愛情だけは、誰にも負けるつもりはなかった。岳自身にも。
その日の夜。岳の言葉にならない思いを、全身で受け止める事になったのは──言うまでもない。
―了―




