21.答え合わせ
「よう…」
家の近所、海岸近くにあるベンチに座っていれば、湊がどこかよそよそしい素振りで声をかけてきた。休日の午後、そこで湊と待ち合わせたのだ。
湊は多趣味でサーフィンもやっている。水温はずいぶん下がってきたが、それでもいい波が来ると、ここへ来るのだと、前に教えてくれた。肌寒さを感じるとは言え、今日もまだまだ楽しむものの姿を多く見かける。
けれど、湊は今日はサーフィンをする予定はないらしく、Tシャツにジーンズ、厚手のパーカーと言うラフな出で立ちで海岸に現れた。
それも、そうだろう。今日は話すために来たのだから。
「おう、久しぶりだな?」
ベンチに座っていた俺は、笑顔で片手を上げて見せるが、湊はそれをちらと見ただけで、どこかぶすっとした表情で、俺の傍らにどっかと座った。ベンチがきしんだ音を立てて、湊側へ沈む。
その後、俺は親の急な転勤に伴って、再び転校することになったとして、皆への挨拶もそこそこに高校から姿を消した。これで、嬉し恥ずかし高校生活も終わる。
クラスメートには、最後まで正体がバレることはなかった。それは、この湊も同様のはずで。
「──で、やっと、全部話してくれるって?」
「うん…」
さて、どこから話そうか。腕を組み、唸っていれば、
「…あいつ、《《彼氏》》でいいんだよな?」
湊から口を開いた。悩む必要はなかったらしい。それに、促される様に続ける。
「──うん、そうだ。岳とは…出会って五年になる。まあ、出会いは端折るけど、色々あって付き合うようになって…。今は大事なパートナーだ」
「ふーん。五年ってことは──」
「俺は今年で二十三歳になる…」
傍らの湊の顔を盗み見た。湊は遠くを眺めていたが、
「大和、年上だったんだな…。おっかしいと思ったんだ。俺、絶対年上しか、興味なかったからさ…」
言ってから、こちらをじとっと睨んでくる。
「朱莉を助ける為、他に方法がなかったんだ。朱莉のお祖父さん──磯谷さんに高校での、朱莉の護衛を頼まれてさ。一度は断ったんだけど、朱莉の様子を見てたら助けたくなって…。──で、朱莉を守るため、犯人を見つけるため、高校生に扮して潜入したんだ」
「けっこう、騙されてた…」
「それは──ごめん…」
「いいよ、べつに。おかげで犯人は──捕まったわけだし…」
犯人。そういう簡単な括りではまとめられない存在だった。
「陽菜、どうしてるんだろうな? 湊は何か知ってるか? 学校はしばらく休むらしいってのは聞いたけど…」
「心療内科に通院してるって話。転校するってさ。…朱莉が陽菜の親からそう聞いたって」
「そっか…」
「──で、大和はさ、ずっとあいつと付き合っていくわけ?」
湊がようやくこちらへ視線を向けた。
「そうだ」
きっぱりと言い切る。岳が俺を必要とする限り、ずっとだ。
「あーあ! 久しぶり、こんなの。待った挙句、振られるって…」
大きな声を上げると、頭の後ろで腕を組む。
空にはぽっかりと白い雲が浮かんでいた。羊雲の一匹だけがそこに取り残された感じだ。波打ち際では、海から上がったばかりのサーファーが、犬を連れた女性と話し込んでいる。引いては返す波の音が耳に響いた。
「湊は──これから、たくさんの出会いが待ってる。俺のことなんて、そのうち忘れて、そんなこともあったなぁって、思い出の片隅に追いやられる」
そうやって、人は先へ進んで行くのだ。
「それは…そうだけど。だからって、一度好きになった相手を、早々忘れるのって難しいだろ?」
「まあ、な…」
俺もかなり引きずった方だ。諦めきれず、会いに行って、振られて──まあ勘違いだったんだが──それでも、ずっと好きだった。
湊はそんな俺の横顔を、じっと見つめていたが。
「──決めた」
「なにを?」
「当分、好きなままでいる。それは、俺の勝手だろ?」
「けど──っ」
「分かってるって。けど、一ミリ以下だっていい。希望はない訳じゃない」
「ない。ないぞ! 一ミリ以下もない。すっぱり忘れて、次に行け! 時間を無駄にするな!」
「やだね。大和に指図できないって。だいたい時間の無駄って、人生に無駄は一つもないんだぜ? ──よし。じゃあ、またな? 連絡するから」
「おい! 湊──」
ベンチから立ち上がった湊は、俺の呼び掛けに、片手を振って応えただけで、さっさと立ち去ってしまった。
──ったく、困った奴だ。
湊の背を見送ったあと、脱力してため息を漏らせば。
「──あいつ、諦めないって?」
「岳…」
背後から白シャツにジーンズ姿の岳が現れた。
家からも近いこの海岸。今日は仕事も休みで、俺を車で送りがてら、岳もついてきて、離れた所から様子を見守っていたのだ。
「様子を見ていたらわかる…。若さって奴なのか?──ま、譲るつもりはないけどな」
「俺は岳だけだぞ。そこんとこ、わかってんだろうな?」
岳の胸元に向かって、人差し指を突きつければ、
「…もちろん」
笑みを浮かべた岳は、ベンチから立ち上がった俺の腰に腕をまわし、引き寄せる。
「誰にも渡さない…」
「よろしい」
畏まってそう言えば、ぷっと岳が噴き出した。
「んだよ! 笑うとこか?」
「だって、大和…。真面目な顔、笑えるって。似合わないって」
「笑うな!」
顔を真っ赤にして怒り出す俺を、岳は楽しそうに眺めている。
遠くで海鳥が、せわしなく鳴いていた。
◇
その日、朱莉は楠の運転で、陽菜の家を訪れた。
陽菜との話が終わって部屋を出れば、壁を背に楠が佇んでいる。何かあれば、直ぐに飛び込めるようにそこにいたのだ。
出がけについていくと言われたとき、鴻三が心配してつけさせたのかと思ったが、そうではなく、自身の意思でついてきたらしい。
「…ママに言われたの?」
陽菜の家へと向かう車の中で、運転する楠に問う。どうせ、母のご機嫌取りだ、そう思ったのだが。
「いや。おまえの母親はなにも知らない。──今頃、仕事で飛び回っているだろうな…」
「あ、そ。あの人、本当に娘のことなんて、どうでもいいんだから…」
娘のことなど、周りに押し付けっぱなしだ。わかっていることとは言え、たまに愚痴りたくもなる。
逆に楠の行動は意外だった。公園で陽菜に襲われた時といい、玉置ではないが、何もそこまで出張らなくてもと思う。すべて祖父への忠誠心なのだろうけれど。
朱莉は楠を従え、廊下を進んで階下に降りる。そこで気をもんでいた陽菜の母親に礼を言ってから玄関を出た。楠も後に続く。
陽菜の親は、今回の件で陽菜の話に耳を傾けてくれるようになったらしい。陽菜はこれからが大事だろう。
先ほどまでの会話を思い出す。
「ごめんなさい…」
あれからひと月。陽菜は心療内科へ通院しながら、家で休みを取っていた。
すっかり元気をなくした陽菜は、ベッドに入ったまま。今は上体を起こしているが、普段は起きているのも辛いのだとか。
「…もう、いいよ。終わった事だし」
「──ごめんな、さい…」
布団の端を握り締め、肩を震わす。以前よりさらに身体が小さく、細くなった気がした。
「転校…するんだって? それ聞いたから、最後に挨拶しようと思って。あのまま別れたんじゃ、気になって落ち着かないし。陽菜とは、仲良くしていたし…」
びくりと陽菜の肩が揺れた。
「──陽菜。今までありがとう。私みたいなとっつきにくい奴に付き合ってくれて。私、陽菜のこと好きだったよ。──もちろん、友だちとしてだけど…」
握られていた掌が、さらにくっと握りしめられた。
「人には…いい面も悪い面もあるって思う。今回陽菜は、悪い面が出過ぎたんだと思う…。──けど、陽菜はいい面だってある」
「……」
「もっと、自分の意思を大事にして、好きな様に生きればいいんだよ。怖いなら、ちょっとずつ、進めばいい。──そうしたら、いつの間にか、自分らしく生きられるようになっていると思う…」
「朱莉、先輩…」
「間違ったって、幾らでも修正は利くよ。私たち、若いんだもん。──ね?」
「……っ」
陽菜の顔が、くしゃっと、泣き顔に崩れた。
「──それじゃあ、私、もう行くね。──自分を大事にしなよ? 陽菜。私は陽菜のこと、忘れたりしないから」
そこまで言って、背を向け部屋を出ようとすれば、その背中に向けて、
「…朱莉先輩。私──。私、頑張ります…っ」
「うん。がんばれ、陽菜!」
振り返って陽菜に向け、ぐっとガッツポーズを作って見せた。
──これで、少しは生きやすくなるといいのだけれど。
後は陽菜の努力次第だ。
陽菜の家を出て、また車に乗り込むと、助手席から楠を睨み付け、
「…あんた、ママと結婚するの? ──私、ヤクザの父親なんて、持ちたくないんだけど」
「いいや。朱莉の母親にも言ってある。──そのつもりはないとな」
「ふーん。ま、私が結婚したら、好きにしていいよ? それまでママの思いが続けば──だけどね?」
「…そうだな」
楠は苦笑して見せた。楠の笑った顔を見たのは、これが初めてかも知れない。ふと、その顔に親近感を覚えたが──気のせいだと思い直した。
朱莉の未来もまだこれからだ。岡田悠人とは付き合いだした。やっと、ここまでこぎつけたのだ。今度は誰にも邪魔はさせない。
沢山の人と出会って、沢山の出来事を経験して、感動して、時には泣いて怒って、笑って。
──私は、私らしく生きていく。これから先もずっと。
◇
「棗の娘は、転校させる事になりました」
「そうか…」
海に程近い邸宅。日本庭園の木々の合間に、小さく切り取られた海が見えた。楠の報告に、鴻三は息を吐き出したあと、
「子ども相手では、手荒な真似もできん。──親も反省しているようだしな。あとは上手くやれ、楠」
「──は」
座敷の隅に座していた楠は、軽く低頭して見せた。鴻三は腕を組むと、
「──やはり、岳を引き戻すのは、無理な様だな...」
「…岳は、もう一般人ですから」
楠の答えに、鴻三は笑うと、
「おまえは、岳をよく知っているからな。そのおまえが言うんだ。──その通りなんだろう…」
楠はただ頭を下げるのみ。鴻三は冬に向けて準備を整えつつある庭に目を向け、
「二人とも、手元に置きたかったが──諦めるとするか…」
岳と、もう一人。彼もまた惜しい人材だった。
すっかり葉の落ちた梅の枝に、野鳥が舞い降りてひと鳴きする。
「──まあ、わしには優秀な部下がいる…」
楠が若い頃、自身の娘との間にひと悶着があったのは知っていた。その後、楠と別れた娘は、ごく普通のサラリーマンと結婚した。けれど、その時、既に妊娠中だったのを鴻三は知っている。
娘の通う病院の院長とは、友人同士だったのだ。
結婚相手の男はそれを承知で結婚した。自分勝手で奔放な娘を包み込む、いい男を見つけたと思ったのだが、そう上手くはいかなかったらしい。
──朱莉は知らないが。
楠は朱莉の父親だ。どこから情報を得たのか、楠の方は気付いているようだった。だから、今回の件も自らが動いたのだ。
「──頼んだぞ、楠」
「…力不足ではありますが、精一杯、お仕えして参ります」
楠は頭を下げる。
「頼もしいな」
鴻三は目を細めて笑みを浮かべた。




