18.理由
倉庫近くにある木造の旧校舎は、周囲をシートに覆われたまま放置されている。当分、解体作業は始まらない様に見えた。
「こっちです…」
陽菜に続いてシートに覆われていない出入口から校舎の中に入る。黒く変色した板張りの床には、うっすらと埃が積もっていた。一歩進むごとに木の床が軋む音を立て、古さを示している。
陽菜はいくつかの教室前を通り過ぎ、ドアが開いたままの教室の一つへと入った。どうやら昔は理科教室だったらしい。黒光りする実験用のテーブルに、戸棚には古びたフラスコや割れたシャーレが残っている。埃臭い空気に停滞した時間を感じた。
「──で、どこに行った?」
「そこの、奥のドアの向こうです…。たぶん…」
確かに奥まった場所にドアが一つあった。
「わかった。陽菜はここまででいい。帰っていいぞ」
「でも…!」
「何かあったら危ない。それに、習い事があるんだろ? もうここまでで十分だ。帰って大丈夫だから──」
「…はい」
心配げな顔に見送られながら、扉のドアノブに手をかけそっと引いた。
元々、少しだけ開いていた扉は、音もなく開く。鉄扉で重い。開いた先は階段になっていて、暗くて先が見えなかった。半地下らしい。
犯人の存在を確認したら、楠と心配しているであろう岳に連絡を入れようと思った。ことに岳には、早めに連絡を入れないと、何かあったと思われてしまう。
──明かりが欲しいな。
階段を端末のライト機能で辺りを照らしながら下りる。今は倉庫になっているようで、雑多な物が置かれていた。使われていない木製の棚、机、椅子。
小さな洗面台の隣にドアがある。トイレだろうか。もしかして、教員の準備室を兼ねていたのかもしれない。
とにかく、しんとしたそこに人の気配はなかった。
──いったい、どこに犯人が?
もっと奥かと進みかけたところで、
「──大和先輩は、朱莉先輩のこと、本当に好きなんですか?」
「え…?」
突然の問いかけに、立ち止まって振り返る。陽菜の声だ。帰っていなかったらしい。外から入り込む光が眩しくて、階段の上に佇む陽菜の顔が見えない。
「私…。…朱莉先輩のこと、好きなんです。──だから、転校して欲しくないんです…」
「…陽菜?」
「これに懲りて、もう、朱莉先輩のこと、諦めて下さい…!」
「え? って、懲りるって、陽菜──」
問いかけた所で、突然、重い音を立て、扉が閉ざされた。いっきに室内が闇に包まれる。手にした端末のライトが頼りなげに光った。続いてガチャリと音がする。
「──陽菜?」
慌てて端末をポケットに突っ込み、階段を駆け上がって、ドアノブを掴み鉄扉を目一杯の力で押すが、びくともしない。どうやら、外から鍵をかけられたらしい。
「陽菜、陽菜! ちょっと待てって! 話し、聞けって!」
重い鉄扉を拳で何度も叩くが、向こうの声は何も聞こえない。たぶん、こちらの声も聞こえていないだろう。虚しく扉を叩く音が響くだけ。
いったい、なにが起こったのか。閉じ込められたことは確かだ。
──朱莉が好きって、言ったな。
じゃあ、朱莉の傍にいて、その情報を流していたのは──。
「…陽菜…か」
早速、食いついてきたのは、良かったが、それが陽菜だったとは。迂闊だった。先ほどの様子だと、かなり思い詰めている。あまりいい状態とは言えなかった。俺をここへ閉じ込めたくらいだ。なにを仕出かすか分からない。次はきっと朱莉を狙うだろう。
──すぐに楠さんに連絡しないと。
ポケットに突っ込んでいた端末を取り出すが、
「──あ?」
アンテナマークが一本も立っていなかった。立っていないどころか、圏外になっている。
──そんなことって、あるか?
呆然とする。仕方なく端末を持ったまま、部屋の中をあちこち動き回るが──。
「ダメだ…」
端末を手に肩を落とす。これでは、連絡もつかない。耳に付けられたピアスがキラリと光る。唯一、岳が助けだったが、まさか俺が旧校舎に閉じ込められているとは、思いもよらないだろう。それでも、いつか気付くとは思うが、今すぐとは行かないはず。
──どうしたらいい? どうしたら──。
幾ら焦っても、何も思い付かない。ドアは鉄扉で、力で開くような代物ではなかった。窓はないのかと見て回ったが、半地下の為か、窓は全くなく、僅かに通風口があるくらい。部屋中、見渡しても、出口一つなかった。
──このままじゃ…。
朱莉を助けるどころか、自分が抜け出す事もできない。陽菜の言葉から、きっといつかは開けてくれるのだろうが、それがいつになるのか分からない。
無力な自分にイラついて、扉を拳でもう一度、叩いた。辺りには、虚しく鉄扉の音が響いただけだった。
◇
岳はいつも来るはずの、大和からの定時連絡がないのに苛立っていた。朱莉の外出がない限り、遅くとも十七時には連絡が入る。それが、十七時を過ぎても入らない。放課後に用事があると聞いてはいなかった。
「岳さん、どうしたんですか? さっきから端末とにらめっこして…」
事務所にいたスタッフが、不思議そうに尋ねてくる。デスクの椅子に座り、手にした端末をじっと見つめていたのだ。それは尋ねもするだろう。仕事中、そんなことは滅多にない。
「…なんでもない」
そう答えつつ、内心では心配と不安とが渦巻いていた。
──なにかあったのか…。
連絡を入れるのは、この件を受けた時の約束だった。なければなにかあったと判断すると伝えてある。だから大和はきっちり欠かさず、連絡を入れてきていたのだ。忘れるはずがない。
──いったいどこに。
電話もメールも、通信アプリも繋がらない。岳はすぐさま、専用のアプリを起動して、大和の位置を確認した。
実は大和へ贈ったピアスには、GPSが仕込んである。そのため、大和の位置情報は常時、岳の端末で確認できた。それは校内のとある一点で止まったまま。そこで途切れている。
──これは、何かあったな。
しかも、大和が自分で連絡できない状況にある、ということを示している。
「楠に連絡を取るか…」
楠から連絡がないと言うことは、朱莉に何かがあったわけではなさそうだ。
岳はスタッフに早退を告げて、車に乗り込む。取り敢えず、GPSが止まった場所へ向かうつもりだった。楠に連絡を入れるとワンコールですぐに出る。
『──なにかあったか?』
「楠、朱莉は今どうしている?」
岳はシートベルトを締めながら尋ねる。
『いま、迎えの車で家に向かっている途中だ』
それなら安心だと思った。
「実は…大和と連絡がつかない。大和とつるんでる湊と連絡は取れるか? 今日、大和といつどこで別れたのか知りたい。それと──朱莉と仲のいい生徒の動向も…。例の件で、誰か動いたのかもしれない」
『──わかった。直ぐに確認する』
楠は素早く応じた。偽情報に踊らされた誰かが、焦って行動を起こした可能性が高い。情報を流して、すぐに動いたことになる。まだそこまで情報は流れていないはず。知ったばかり、かなり近い人間と言うことになる。
──湊でないなら。
通話を終えた岳は、一息ついた。我知らず、ハンドルを握る手に力がこもる。
──大和。
その無事を強く願った。
◇
十八時を過ぎた頃、朱莉の端末が通知の着信を知らせた。見れば短いメッセージと可愛いウサギのスタンプが躍っている。
「──陽菜?」
そこには、話したいことがあるから、近くの公園に来て欲しいとあった。誰にも聞かれたくないから、できれば一人で、と。
そこは鴻三の家から、すぐ目と鼻の先の公園だった。それなら、危ないことはない。勝手口から出れば人目につくこともなかった。一人で抜け出すことも簡単だ。
「──けど、なんだろ?」
話したいこと。陽菜はこの時間はまだ習い事の最中のはず。今日はバレエの日だった。
本当は食べたいものもあるだろうに、厳しい食事制限をしていて、年の割にかなり痩せている。バレエをやるものは皆こんなものだからと陽菜は笑ったが、その笑みがどこか固く、辛そうだった。
陽菜はいつもそうだ。どの習い事も楽しそうには見えない。
筋がいいからか、皆無難にこなしてしまうが、どれも、心から熱中している様には見えなかった。やらされている感が強いのだ。
本当は甘いものに目がなくて、普通の女子高生と同じように、好きなものを食べて、好きなものを身に着けて、今どきの事をしたいのに、母親が厳しく躾けていて、それを許さないのだ。
母親曰く、今は辛くても、後できっとそうした方が後悔がないから、らしい。何もかも、両親の言うまま。本人もその方が楽なのか、すっかり自分で考える──という気力をなくしている。
──なんだろ。それ。
朱莉は思う。先に人生を生きて分かっているからと言って、子どもがやりたいことを、先に摘んでしまうのはどうかと思う。
失敗する、危険だからと理由をつけて、全て遠ざけてしまえば、強くなる術をなくすし、やりたいことが出来ないストレスが溜まるだけだ。
間違っても、危ない目にあっても、それが自分の選んだ道なら、きっと自分で受け止めるだろう。
けれど、人に言われる通りに生きる事を選択していたなら、なにかあった時、きっと他人のせいにする。自分がそれさえも、選択したのに、だ。
陽菜もそうだ。自分を押さえ込んで、言う通りに生きて。その方が楽だし、考えなくていい。
それも自分の選択なのだと、分かって受け入れているならいいが、見ている限りそうではない。
なにか切っ掛けがあれば、溜まったストレスや怒りの矛先は、親や他の人間へと向かうだろう。
──陽菜は、少し勇気を出せばいいんだ。
そうすれば、心から楽しめて、年相応の笑顔を見せることができるはず。何の話かは分からないが、ついでだから言ってやろうと思った。
自分らしく生きろ、と。
◇
『突然、すまないな。佐々木くん。いつも朱莉が世話になってる』
「いえ…」
朱莉から楠の事は聞いている。祖父や母親の昔からの知人で、今回の嫌がらせの件でも、対応してもらっているのだと。何かあれば、彼に相談しろと言われていた。
朱莉は知人としか言わなかったが、朱莉の母親の実家が、その筋の関係者だと知っていた。いつか、朱莉自身が教えてくれたのだ。となると、楠もその筋のものと言うことになるだろう。
その、楠からの突然の連絡に戸惑う。が、次の言葉に納得した。
『──ところで早速だが、宮本大和くんの事で、聞きたいことがあるんだ』
「大和のことで?」
『大和くんと連絡がつかなくなっている…。最後に会ったのはどこで、何時ごろ別れたのか知りたいんだ。その時の様子もな』
連絡がつかない、の言葉に嫌な汗が手に滲んだ。湊は逡巡しながら、
「いつも溜まり場にしてる、倉庫が最後です…。大和と朱莉が転校するって言うから、陽菜はかなり動揺しましたけど…。でも、大和はいつもと変わりませんでした。──大和、大丈夫なんですか? 朱莉の件が絡んでるんですか?」
畳み掛けるように質問するが、
『──分からない。とにかく大和くんを見つけるのが先だ。今、心当たりを家族が探っている。君は寮にいるのか?」
「はい…」
「ならそこで待機していてくれ。下手に動き回るな? また分かり次第連絡する」
「分かりました…」
そこで通話が切れた。
──動くなって言ったって。
湊は手にした端末を見つめる。最後に別れた倉庫はすぐ傍だ。もしかして、行けばなにか手掛かりを見つける事が出来るかも知れない。
──知らん顔はできない。
大切に思う大和に何かがあったのだ。自分が駆けつけねばと思う。とにかく、最後に別れた倉庫に行ってみようと思った。
湊は部屋着のスウェットにパーカーを羽織ると、すぐに寮の部屋をでる。
「あれ? 湊、夕飯は?」
出かける仕度の湊に、寮生が声をかけてくる。これから夕食の時間だ。いつもなら、皆とわいわい言いながら食堂に向かう所だが。
「ちょっと用事できた! 点呼までにもどらなかったら、適当に返事よろしく!」
「あ! おい、湊──」
呼び止める声を背に、湊は寮を飛び出した。




