16.自転車
それから、数日後。自宅で謹慎中だった生徒らが、停学処分となると、朱莉への嫌がらせメッセージも、パタリとなくなった。
とりあえずの一段落を迎えたはずだったのだが──ある日、それは起こった。
「大和、また自転車置いてったのか?」
朝、徒歩で来た俺を見つけた湊が、横に並ぶと声をかけてきた。
「そ。朱莉が昨日も買い物行くって…。なんで、女子の買い物って長いんだろうな? しかも、ずっと悩むだろ? 挙句に意見聞いてきて、こっち、って言えば、でもなんか違う、とか言ってまた悩みだすしさ。なんなんだって思うぞ」
「ま、女子はそういうもんでしょ。《《彼氏》》なら、付き合って当然だな? ──な、大和」
意地の悪い笑顔を浮かべ、俺の肩をぽんと叩く。もう湊は俺と朱莉が付き合っているとは思っていないのだ。
「湊、おはよう」
二人肩を並べて歩いていれば、背後から遠慮がちな声がかかった。湊につられて共に振り返る。
「よ。おはよ、悠人」
湊はにこりと笑む。振り返った先、軽くウェーブのかかった黒髪に、眼鏡をかけた青年が立っていた。日焼けはせず色は白いが身長も高く、筋肉もついているからか弱々しさはない。
──悠人、悠人…。どっかで聞いた名前だぞ。
俺が思い出せないでいるのを見ると、湊はああ、と言ったあと笑ってみせ。
「こいつが、例の朱莉の…。ほら、バスケマネしてた時の──」
「あっ! ああ、あの──」
朱莉の好きな相手。そして、この生徒も。
悠人と呼ばれた生徒は、逆に俺が何者か、湊から耳打ちされて、サッと顔色を変えた。その表情が固く暗くなる。
「おはよう…。──宮本君、でいいのかな?」
「は、はい…」
相手は先輩だ。湊の時と違って、口調を改める。それは表情も曇るだろう。好きな相手の彼氏を名乗っているのだから。
いや、これは嫌がらせをする犯人をつかまえるまでの作戦で、俺は彼氏なんかじゃなく、しかも高校生でもなく──と言えたらいいのだが。
「…じゃあ、俺、先行くな」
気まずげに悠人がそう言えば、湊もあとを追った。
「あ! 俺も行くって! ──じゃあ、またあとで。大和」
「おう」
湊はまた昼に顔を見せるつもりだろう。既にそれが当たり前になっている。
門の前には朱莉が俺を待っていて、悠人は足早にその脇を通り過ぎていく。追い抜きざま、湊が朱莉を気にする素振りをみせたが、朱莉は朱莉でまったくの無関心でいた。
「待たせたな?」
声をかければ、朱莉は眉間に皺を寄せ、
「もう、犯人つかまったし、これで終わりじゃないの?」
少し苛立った様子で口にした。
「そのはずなんだけどさ。まだ、真犯人が捕まっていないって言うか…」
「真犯人?」
「そうだ。あの生徒に朱莉の情報を知らせた奴がいるはずだ。じゃないと、逐一、朱莉の行動が分かるわけないだろ?」
「…そうだけど…」
「思い当たる奴はいないんだろ?」
「うん…」
「なら、もう少し警戒したほうがいい。な?」
「…早く、終わらせたい」
足元を見つめ、小さく口にした。
「そうだな。あと、もうちょっとだ。頑張ろう」
「うん...」
頷く朱莉の表情は、暗かった。
◇
一日の授業を終え、いつもの様に朱莉を校門まで送る。俺の仕事は朱莉が校門を出て、車に乗るのを見届けて終わるのだ。
「じゃあ、また明日な?」
「うん…」
覇気がない。今日は一日そんな感じだった。
校門を出て少し先に、黒塗りのいかにも──な、いかつい車が停まる。運転するのは玉置ではなく、専任の運転手だった。
帰りが遅くなると玉置が迎えに来る。夜の方が玉置の時間が自由になるのと、やはり危険度が増す時間帯だからだろう。
朱莉が車に乗り込み、車が発車する。それを見届けてから自転車置き場に向かった。道沿いに枝を伸ばす桂の葉は、すっかり秋の色だ。落ちた葉が、甘い香りを放つ。
「大和、そこまで一緒に帰ろうぜ」
自転車のサドルにグローブを置いて、ヘルメットをかぶっていると、湊が声をかけてきた。
校門の脇にある自転車置場は、下校時に通ることはまずない。俺を見つけて、わざわざ回り道をしたのだろう。
「おう──」
そのタイミングで、サドルに置いたグローブが落ちそうになった。それを、湊が受け止めてくれる。
「──っと」
「サンキュ。湊は?」
湊は受け止めたグローブを、手の中で弄びながら、
「今日は、これから仕事」
「仕事って?」
「前にオーディション受けて、通った演劇の顔合わせ──って言っても脇役だけど。でも、主役のライバル役だから、それなりに目立つんだ」
「すっごいなぁ…。絶対、観に行く!」
演技など出来ない俺には、それだけで特別な存在に思える。湊も朱莉と同じく、俳優の道を目指していた。コースも一緒だ。最近、雑誌のモデルの仕事も入って来ているらしい。
俺は自転車を引きながら、校門を出て途中まで湊と歩く。緩い下り坂の先には大通りが見えた。交通量が多く、車がひっきりなしに行き交っている。駅はその途中にあって、湊とはそこまでだ。
「大和が観に来るなら、カッコいい所見せないとなぁ。絶対、観にこいよ?」
「おう」
「…それと──さ、例の答えって、やっぱ、全部終わってからだよな?」
「例の…?」
「俺の告白の答えだって」
湊は少し焦れ気味に口にする。
「ああ、それか…。うん、そのつもりだ」
「──わかった」
湊は何か言いたそうではあったが、それを口にはしなかった。
「──じゃあ、行くな?」
これから買い出しもある。自転車のサドルにまたがって、ペダルに足を置きゆっくりこぎだした。
「あ、大和! これ──」
「なに?」
肩越しに振りかえれば、湊が手にしたグローブを振っていた。湊が持ってくれたのをすっかり忘れていた。
「そこにいてよ。取りに行くから──」
そういって、ブレーキをかけたのだが──。
「?」
ハンドルを握れば、キュッとかかるはずのブレーキが利かない。わずかな抵抗はあるものの、そのままズルズルと進んでしまう。坂は始まっていたが、まだ緩い。スピードは速歩き程度だ。今ならまだ間に合う。
──なんとか止まらないと。
視界の先には、車の行き交う大通りが見えていた。このままではそこへ突っ込んでしまう。正直、焦った。
──この!
ゆるゆると進む自転車のハンドルを、無理やり左に切ると、横に並んでいた生け垣に斜めに突っ込んだ。
バキバキとかガチャンとか、様々な音が入り交じって、自転車は横転し、俺は反動で生け垣に倒れ込む。
「大和!」
「イタタ…」
顔や手、腿辺りに小枝が刺さった。生け垣にハマってしまい、自力で起き上がれない。ワタワタしていれば、
「大和! 大丈夫か?」
駆け寄った湊が、車道側から引き上げてくれた。車があまり通らない道路で助かった。
「──ありがとう…。湊、助かった」
「ケガは?」
「ヘルメットしてたし、大したことない」
「ブレーキ、利かなかったのか?」
「うん…。昨日はなんともなかったんだけどな…」
言いながら自転車を起こそうとすると、湊が先に手を伸ばし起こしてくれた。
「顔も手も血がでてる…。保健室に寄ってこう。俺もついてく」
「大丈夫だ。一人で行ける。湊は大事な仕事、入ってんだろ? 遅れたらまずい」
「ちょっとくらい──」
「ダメだ。そう言うの、初日が一番大事だぞ。それで印象決まるんだからさ。──ほら、行けって」
起こしてもらった自転車を引き取ると、背を軽く押して湊を促す。
「…わかった。けど、後でちゃんと報告しろよ?」
「おう。ほら、遅れるぞ!」
追い立てる様にそう言えば、渋々、湊は駅へと向かった。
それを見送ってから、自転車の具合を見る。ブレーキレバーを引くが、やはりレバーは動くが、ブレーキが利かない。見れば、ブレーキパッドが、両側共に削れていた。
「…溶けた? 」
そんな訳はない。第一、普通に乗っていて、突然、こんなに削れる訳がなかった。
──人為的なものか。
血のついた顔のまま、大きくため息を吐き出した。
◇
その後、散々逡巡した挙句、岳に連絡を入れた。
「『自転車でこけた。ケガはたいしたことないけど、自転車がちょっと故障したから、電車で帰る。帰るの少し遅れる。よろしく』っと」
ブレーキの件は伝えなかった。色々端折ったが、嘘はついていない。その後、自転車を再び駐輪場へ置き、保健室へ向かった。
岳は心配性だ。どこまで知らせればいいか迷ったが、知らせずに後でわかると、さらに心配に拍車をかけるし、怒るのが分かる。加減が難しい。
ちなみに、保健医も俺の事情は知っていた。
「あら、血だらけじゃない。何があったの?」
四十代後半の女性の先生だ。保健室を訪れると、俺の顔を見て開口一番、そう口にした。呆れ顔だ。
鏡で見てみなさい、と言われ、手渡された手鏡を覗き込めば、確かにかすり傷程度だが、顔の至るところが切れている。
「その、ちょっと自転車でこけて…」
「そうなの? 気を付けないと。ほら、手も切ってるじゃない。見せて」
素早く傷口を洗い、ガーゼや絆創膏を当てていく。あっという間に、手当ては済んだ。顔が絆創膏だらけだ。
「出血が治まるまでこのままよ? お風呂は時間を遅らせて、顔を洗うときは気をつけて。軽く拭く程度でね?」
「ありがとうございました…」
と、そこでタイミングよく端末が着信を知らせた。岳からだ。俺は保健室を出ると、目立たない隅に行って応答する。
「岳…?」
『──迎えに来た。校門を出てすぐの所にいる。自転車も修理に出すから持って来いよ』
岳の車は大型SUVだ。自転車など数台軽く積める。
──まだ、仕事中なのに…。
「おう…。ありがとう」
短いメッセージだが、そこに岳の思いを感じた。俺は急いで校門へと向かった。
◇
「大和、少し時間をもらっていいか?」
ハンドルを握り前を見つめたまま、岳はそう口にした。
校門近くに停まった車から降りてきた岳は、俺の様を見るなり、唇を一文字に引き結んだ。あとは何も言わず、引いてきた自転車を黙々と後部ハッチに積み、車に乗り込むと発車する。
そうしてしばらく無言でいたのだが、冒頭の言葉を口にしたのだ。
仕事中だったため、ユニフォームの黒のシャツに黒のスラックスのまま。捲った腕にはシルバーの腕時計が光る。サングラスをかけているから、表情はつかめないが、笑っていないことは確かだ。
「…いいよ」
「良かった」
ちらとこちらに視線を送ったあとは、また無言になって前を見つめた。
しばらく走らせ、海岸沿いに出ると、近くの駐車場に車を停めた。平日の夕方、浜辺を歩く人影はまばらだ。
「…少し、歩こう」
「うん」
岳に促され、車を降りると海岸へと降りる階段を下って、砂浜に降りた。砂を踏むと柔らかく足が沈む。
サングラスを胸元にしまった岳が、手を差し出してきた。その大きな掌を見たあと、視線を上げると、微笑む岳と目が合う。
「へへ…」
照れ隠しに笑ってみせた。手をつないで歩きだす。
夕方と言っても、まだ陽が沈むまでは時間がある。沖合いで、パドリングするサーファーが目に入った。波打ち際をしばらく歩いていると、
「…大和」
「うん?」
「前にも言ったけど、俺は──大和のしたいように、させたいと思ってる…」
「うん」
「──でも、怪我をしたり、面倒に巻き込まれるのを目の当たりにすると、揺らぐ」
「…うん」
「その怪我もたいしたものじゃない。けど、怪我の程度が問題じゃないんだ。大和が、傷つくのを見たくない。失なうんじゃないかって、不安になる…。すべてのものから、遠ざけたくなるんだ」
「……」
岳は更にぎゅっと握る手に力を入れると、
「──いつか、みんながそれぞれの道を見つけて、落ち着いたら。知らない土地で、二人だけで暮らさないか?」
「二人だけ?」
「そう、二人だけだ…」
振り返った岳の瞳に、哀願の色が浮かぶ。
滅多に見せないその表情に、否と言う選択はなかった。それに、もとより突っぱねるつもりなどなく。繋いでいた手をぎゅっと握り直すと。
「…いいよ。岳が一緒なら、どこだって行く」
岳の腕に寄りそった。




