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Take On Me 5  作者: マン太


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17/24

15.登山靴

 玄関先で座って靴を脱いでいると、エプロン姿の岳が顔を見せた。夕食の準備が一段落したのだろう。


「夕日はどうでした?」


 先ほどの記憶と今の岳とがダブって見えた。じんわりと胸の内が温かくなる。湊は目を輝かせて答えた。


「すっごく綺麗でした! 大和がいい場所、教えてくれたんです。──な、大和?」


「う、うん…」


 あれは岳が教えてくれた場所だ。大切な場所だけれど、あんなに綺麗に見える場所を、独り占めにしておくのも惜しい。それに、湊には頑張ってもらっている。ささやかな感謝の印として、いいかと思ったのだ。


「そうですか。──もしかして、物置小屋の上の?」


「よく知ってますね?」


 湊がきょとんとした。


「俺もあそこが一番だって思ってるんで。あそこからは、また違って見えるでしょう?」


「そうなんです! すごく綺麗で──って、大和…。もしかして、この人から聞いたのか?」


「えっ? いや、ち、違うよっ」


 岳の視線を感じて、俺は視線を彷徨わす。あの場所は、二人のとっておきの場所だ。それを教えてしまった事に気まずさを感じる。岳はこんな事で気を悪くするような、心の狭い奴じゃないのだけれど。


「ふーん…」


 湊は疑いの眼差しを向けてくるが、素知らぬ顔を通して、靴を脱ぎだす。すると岳が、


「その人もたぶん、あなたを喜ばせたかっただけなんでしょう。それだけなんです。──だから、後は誰に教えようが、気にしないと思いますよ」


「……」


 思わず岳を見つめた。その目が気にしなくていいと言っている。岳の優しさに、思わず涙が滲みそうになった。と、そこへスパイスの利いた、いい香りが漂ってくる。


「あ、この匂い──」


 湊が声をあげた。俺も鼻先を匂いの方向へ向けると、


「カレーだな…」


 親しんだ香りだ。この匂いは俺がここへきて、試しに出したカレーのはず。受けが良く、そのままメニューに残ったのだ。時々、家でも作っている。

 

「ここのカレーはスパイスが利いていて美味しいですよ? アルバイトで来るスタッフの発案なんです。彼は料理上手で、何を作っても美味しいんですよ」


 岳が満面の笑みを浮かべながら、説明してくれた。


「へー楽しみ。行こう。大和」


「お、おう!」


 通り過ぎ様、ちらっと岳を盗み見ると、ニッと悪戯っぽく笑って見せた。分かって言っているのだ。


 ──まったく。


 頬が熱くなるのを意識しつつ、食堂へと急いだ。


 その後も何事も無く過ぎた。明日はまだ暗い中、山頂を目指すことになる。消灯時間は早めだった。


「なにかあったら、すぐに起こせよ?」


 薄いマットレスに横になると、同じくこちらを向いて横になった湊が声をかけてくる。真剣な表情に頼もしさを覚えた。


「ん。分かってる。…ありがとな?」


 湊は少し視線を彷徨わせたあと、


「…おやすみ」


 早口にそう言ってからこちらに背を向けた。俺もシーツごと、毛布を引き上げて、湊に声をかける。


「おやすみ…」


 明日は早い。外を守ってくれているであろう岳を思って、目を閉じた。

 部屋にある小さく切り取られた窓からは、満天の星空が覗いていた。



 岳は深夜、廊下に揺れるライトの光に気が付いた。監視もかねて、ロビーのソファーで毛布にくるまって横になっていた時のこと。

 廊下は非常灯の明かり以外、なにも点いていない。真っ暗だ。動かなければ、そこに岳がいるとは気付かないだろう。

 廊下で光るのは端末のライトの様で、ユラユラと揺れる白い光が目に眩しい。その人物は、ライトを手にゆっくりとした足取りで、玄関先までやってくると、下駄箱の辺りで立ち止まった。

 しばらく、何かを探すように首を廻らせたあと、動きが止まる。どうやら、目当てのものを見つけたらしい。手を下駄箱に突っ込むと、靴を片方だけ取り出した。

 そこは大和の登山靴が置いてある辺り。ちらと手元が明かりに照らし出され、靴が見えた。


 ──大和の、か?


 濃いグレーの地に鮮やかなコバルトブルーのラインが入っている。やはり大和の靴だ。一緒に買いに行って、岳が選んだのだ。見間違えるはずがない。

 取り出したのは、右足の靴。暗がりの中、端末の明かりが煌々と靴を照らし出していた。その反射で顔も手元も、岳のいるロビーからは丸見えだ。

 横顔に見覚えがある。木道ですれ違った生徒の一人だ。カチカチカチと聞き覚えのある音がしたかと思うと、生徒は背を丸め靴を抱え込むようにして、右手を小刻みに前後させ始めた。


 ──何をしてる?


 目を凝らして手元を注視すると、靴紐へカッターの刃をあて、紐を削ろうとしているのが見えた。思わず息を飲む。


 ──信じられない。


 登山中、もし紐が切れれば、転ぶ可能性もある。そんな事になればどうなるか、道が悪ければ、軽い怪我ではすまされない。

 生徒は手元の作業に必死になっていて、見られていることに気付いていなかった。


 ──今だな。

 

 そこで、岳は玄関の明かりをつけた。突然、眩しい光に照らし出され、しゃがみこんで作業をしていた生徒は、飛び上がるようにして立ち上がった。


「──何をしているんだ?」


「え? べ、べつに、なにも──」


 言いながらも、立ち上がった拍子に、その膝から大和の登山靴が転がった。どうやっても言い逃れはできなかった。



 岳によって挙げられた生徒は、事務所の更に奥にある倉庫で教師らと向かい合っていた。その後、関係していた生徒も呼び出され、集められた。計五人。大和が木道から突き飛ばされた時にいた連中だ。

 すっかり気落ちして、小さく縮こまっている。悪いことをしている自覚はあったらしい。


「俺たち、言われた通りにしただけです…」


 担任の福田に問いただされ、中のリーダー的な生徒が、不貞腐れた様にそう口にした。


「言われたって、誰にだ? 言ってみろ」


「……分かりません」


「分からない?」


 福田が聞き返す。


「…棚橋推しだって、SNSに載せたら、連絡が来るようになって…。棚橋と付き合ってる、宮本を脅せって…。宮本は棚橋には似合わないからって。俺たちもそう思ったし…。そうしたら、具体的にどうすればいいか、指示してきて。──だから、顔とかどんな奴かとか、知らないし…」


 ──知らない、か。


 いかにも、今どきらしい。

 離れた場所で、そのやり取りを見ていた岳の側に、祐二が寄ってきた。


「やっぱり、あいつらだったんですね」


「そうだな…」


「これで大和もひと安心ですね」


「だといいが…」


「何かあるんですか?」


「大和とも話したが、朱莉の情報を流してる奴が、他にいるんだ。あの男子生徒達を、動かしてる奴がな」


「他にも…ですか? 気になりますね…」


「そうだな…」


 岳は生徒らに目を向けた。

 顔も知らない相手の情報だけで、動かされていた。その事実に、若者特有の危うさを感じた。



 早朝。予定より早めに起こされた俺は、担任の福田に別室へ呼ばれ、事の次第を告げられた。

 生徒のひとりが、俺の靴に細工をしようとしていたと言うのだ。

 その他の行為も、全て白状したらしい。一緒に加担していた生徒も集められ、他の教師らと共に、今日中に下山するとの事だった。

 やった生徒は、やはりあの木道ですれ違ったグループの中のひとり。朱莉に好意を寄せていたのを知った誰かに、SNSを通じてそそのかされ、妨害行為に及んだらしい。

 担任の福田から一通りの説明を受けると、俺は一旦、登山に戻った。もう、妨害に怯える必要はない。

 他のクラスメートらは、寝ぼけ眼でロビー付近に集まり、出発の準備を整えている。湊は俺が戻ってくると、すぐに駆け寄ってきて、何があったのか尋ねてきた。教師からの説明を伝えると、

 

「やっぱり、あいつらだったんだな…」


 湊は得心顔で頷く。出発準備を整えた俺は、玄関先で新しくなった靴紐をしっかりと結びながら、


「うん。だった…」


 気に入らない、それだけの理由で、そういった行動を起こしてしまうことに悲しさを覚えた。気に入らないから、相手を排除すればいいなど、短絡的で想像力に欠けている。もっと別の、プラスの方向に動かないのだろうか。湊も靴を履きながら、


「靴に細工って…。最低だな? けど、これで一段落だろ?」


「そうだな…」


 岳とも話したが、これで終わるか分からない。彼らに情報を流していた人物が、誰なのか分からない限り、安心はできないのだ。湊はややためらったのち、


「なぁ、捕まえたスタッフってさ──」


 湊がそこで言葉を切る。何だろうと顔をあげれば、湊の視線の先に岳がいた。


「靴紐の長さは合いそうですか?」


「あ…はい」


「良かった。気をつけて行ってきて下さいね?」


「はい…。ありがとうございます…」


 岳はそれだけ言うと、事務所へ戻って行った。さっき、新しい靴紐を用意してくれたのだ。湊は耳打ちする。


「──もしかして、あの人?」


「…うん」


「風呂場でも助けて貰ったろ? その前の木道でも…。なんか、偶然過ぎない? ──あいつ、大和のこと気に入ってんじゃないの?」


「へ? そ、そんなわけないだろ…っ」


 動揺丸出しの俺に、湊はやはり疑念の眼差しを向けてくる。湊が不審がるのも仕方ない。湊の指摘通り、何度も岳に助けてもらっているのだ。

 事務所から見え隠れする岳の横顔をみつめた。


 ──俺は、ずっと岳に守られているんだな…。


 その事を強く感じた。いつか朱莉に言ったように、それは大きな船に乗っている心地に似ていた。



 ──やっぱり、おかしい。


 明らかに、あいつは大和のことを気にかけている。それに大和も。

 大和から事の次第を聞き、ホッとしたのだが、危機を救ったのが岳だと知って、湊はむっつりとした。

 あいつこと、例のスタッフは、鷗澤(おうさわ)(たける)と言うのだと、この山小屋のスタッフに聞いた。管理人の大学時代の先輩で、今回は臨時で手伝いにきてもらったのだと言う。

 大和との接点は分からない。分からないが、何かある。朱莉の件と同様に、大和の事も重要だ。いや、すでに大和のことを優先している自分がいる。朱莉の為に──が、今は大和の為に動いていた。

 

 ──大和とあいつに何かあったとしても、関係ない。俺は大和が好きだ。


 それは、何があっても揺らがない思いだった。



 登山が始まった。

 暗いうちから登り、明けていく空を眺めるのは久しぶりだった。

 小一時間程して、山頂に到着する。先ほどまで満天の星が瞬いていたのが、一気に薄紫の空に変わり、山並みの向こうから、薄っすら光線がきらめき始めると歓声があがる。

 徐々に陽は昇り、気が付けば明るい日差しの中に立っていた。頬に暖かさを感じる。

 時間差で登ってきた女子らも、一緒に山頂から朝日を眺めた。朱莉は、声を上げて感動する友だちらの輪から少し外れた所で、一人たたずみ見つめている。俺の傍らには湊がいて、朝日を前にいたく感動したようだった。


「…初めて、みた」


 その瞳は昇ってきた太陽に負けないくらい、キラキラと輝いて見える。

 夕陽といい、普段、そんなことに興味もなさそうな湊が感動している様は、感慨深いものがある。美しいと思える景色を目の当たりにして、何かを感じとってもらえたなら、こんな嬉しいことはない。

 岳と出会わなければ、俺だって、山と出会わなかった。すべては偶然だったとはいえ、ここには岳の大学時代の後輩祐二がいて、岳も親しんだ山で。

 気が付けば、すべて岳と繋がっていた。岳との出会いは必然だったのかもしれない。


「ほんと、綺麗だよな。何度見ても、いつも感動する…」


「──いつも? 大和、ここ初めてじゃないのか?」


 つい漏らした言葉に、湊が反応した。


「あっ、いや。…実は昔、ちょろっと来たことがあったんだ。うん」


「…ふーん」


 湊が不審げな視線を投げかけてくるが、今は、これ以上は話せない。


「山登ったことあるなんて、一言もいわなかった癖に…」 


 ぼそっと湊が口にした。



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