表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Take On Me 5  作者: マン太


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/24

14.存在

 そこで突然、浴室のガラスの引き戸が、ぴしゃりと音を立て勢いよく開いた。昔ながらの引戸は、扉の下半分が杉の板張りになっていて、開いた拍子に板がずれて隙間が出来る。


「お客様、そろそろお時間ですが…」


 長身に、少しだけ垂れた切れ長の瞳。肩まである栗色の髪を一まとめに結わえた青年が姿を現した。誰もが目を止める、端麗な容姿。

 間一髪助かった。どうやらこちらの様子を窺っていてくれたらしい。


 ──ありがとう、岳…。


 壁際に追い詰められていた俺は、ホッと肩で息をつく。岳の言葉に浴室内の片隅に、ひっそりと取り付けられている時計に目を向ければ、あと数十分で入浴時間が終わる所だった。


「本当だっ。あと、ちょっとしかないぞ! ほら、急いで出よう!」


 わざとらしい棒読みのセリフ回しで、湊の肩を押し退け、急いで浸かっていた湯船から立ち上がる。すると、湊が慌てて声をかけてきた。


「あ、待てって! 大和、急に立ち上がると──」


「っ…!」


 唐突に耳鳴りがして、一気に視界が白い幕に閉ざされる。立ち眩みだ。掴まるものを探って手を伸ばすが──空を切ってよろめく。目の前に床の水色のタイルが迫った。


 ──ぶつかる──!


 せっかく木道で助かったのに、ここで自らコケるとは。


「大和!」


 が、湊が手を伸ばすより先、がっしりとした腕に身体を支えられた。


「──お客さん。急に立つと危ないですよ」


「…あ…」


 岳…。


 岳はそのまま、背を抱えるように腕を回すと、


「あっちで少し休みましょう」


 脱衣所に目を向けた。


「あ…う…」


 フラフラの俺は、返事をするのがやっとだ。岳は湯船に立ち尽くす湊に向かって、


「君──湊くんだったか? 着替えたら先生に伝えに行ってくれるか? 彼は暫くここで休ませる」


「は、はい…」


 湊がどこか複雑そうな顔を見せながらも、風呂から上がると、先に脱衣所へと向かった。

 その後、岳は濡れるのも構わず、俺を抱き上げると、湊に続いて脱衣所へ向かう。そうして、用意してあるバスタオルで素早く俺の身体を包み、ベンチに横たえた。素早い対応に隙はない。


「じゃあ、俺。先生に伝えてきます…」

 

「よろしく」


 岳の言葉を受けて、ジャージに着替えた湊は、後ろ髪を引かれる様子を見せつつも、教員へ伝える為に浴室を出ていった。

 その背を見送ったあと、ようやくいつもの岳に戻って、


「──大和、気分は?」


「うん…。もうちょっと休めば、大丈夫だ…」


「気をつけろ? ──色々な」


 俺の傍らに片膝を立てて座った。色々には、さっき湊に迫られていたのも含まれているのだろう。


「ごめん…。なんか、ほんと…」


 ──情けない。


 顔を腕で覆う。迷惑かけ通しだ。岳はしょぼんとする俺の頭をクシャリと撫で。


「迷惑かけてるとか思うなよ? これは俺がしたくてやってることだ」


「ありがとう…」


 岳の言葉に、じわりと胸が温かくなる。岳は周囲に目を向けながら、


「こっちで注意して見ていたけど、特に妙な動きをする奴はいなかったな。──ま、一部、俺の様子を窺ってる奴らはいたが。どうやら、一人じゃないようだな…」


「嫌がらせしている奴がか?」


「ああ、たぶん。怪しいのは、さっき木道ですれ違った連中だ。あれはぶつけられて転んだんだろ? ──大和は、ちゃんと脇に避けていたからな」


 岳はちゃんと見ていたのだ。嬉しさと同時に、安堵感が増す。


「うん…。実は、そうなんだ。ぶつかったのは確かで…。わざとかは分からないけど」


「わざと、だろ。すれ違った連中、様子がおかしかったからな」


「やっぱり、あいつらが…?」


 すれ違った時の、グループの連中の顔を思いだす。全くすまなそうな気配はなかった。


「──たぶんな。だいたい、普通なら人にぶつかったら気付くし謝るだろ? それをしないってことは、悪意があったって事だ。一人より、集団になったほうが、罪悪感が薄れるし、行動も大胆になる。一人じゃ何もできないが、集団になるとって、よくあるだろ? 卑怯な奴はどこの世界にもいる…」


「…けど、あいつらが朱莉の行動をどうして知っているんだろう? 朱莉とそこまで親しい奴らじゃない。それがどうして…」


「…誰か、朱莉に近い奴が情報を流しているんだろうな。そいつが裏で動いてる、一番の基だ」


「朱莉の事をよく知ってるのは、数人だろ? 三年の湊に一年の陽菜、いつも一緒にいるクラスの女子グループ、それくらいだ。その中に、いるのかな…」


 だとすれば、朱莉はかなりショックを受けるだろう。


「湊って奴は、本当に怪しくないのか?」


 岳の視線が、今さっき、湊が出ていったばかりの戸口へ向けられた。


「…あいつ、その──同性の年上にしか興味ないって、言ったんだ。だから朱莉が誰かとつきあっても、妬むことは無いと思う…」


 岳は大仰に嘆息して見せたあと。


「──だから、あんなに積極的だったのか…。じゃれているにしては、おかしかったからな」


「でも、俺、なにも漏らしてないぞ? 俺のこと、二年だと思ってるはずだ」


「そんなの、関係ないんだろ」


「関係ない?」


「そうだ。好きになるってことは、そういうことだ。けど、その思いは成就しない──」 


 岳はそう言うと、ベンチに寝転がる俺の上に覆いかぶさるようにして、見下ろすと。


「──嫉妬深い、パートナーがいるからな?」


「たけ──」


 る、と言う前に唇にキスが落ちてくる。触れ合う唇が熱い。いつもしてることなのに、なんだかドキドキしてくる。


「──湯あたり、抜けないな?」


「そっか。そのせいか…」


 それだけじゃない気もするが。くすと笑んだ岳は、もう一度、触れるだけのキスを、それでもゆっくりすると。


「──さて、掃除終わり、だな? 今晩、気をつけろ? まあ、直接人がいる前で堂々とは襲ってこないだろうが…。気は進まないが、さっきの湊って奴の傍、離れるなよ? 俺も外で見張ってる」


「わかった…。てか、誰も入ってこないな? ここ」


「──ああ。掃除中にしてあるからな?」


「ええ!?」


「十分くらい、どうってことない。現に生徒のあとの掃除は必要だったからな? 大和、歩けるか?」


「うん、もう大丈夫だ」


 ベンチから身体を起こし、床に足をつく。ふらつく感覚はなかった。それでも、岳は俺の背を支えながら。


「着替えたら、部屋に送ってく」


「ありがとう…」


 岳の言葉に甘え、俺は素直に部屋まで送ってもらった。



「大和、大丈夫だったか?」


 部屋に戻ると、一番に湊が駆け寄ってきた。クラスメートもチラチラ視線を向けてくる。

 岳はすでに戻って行った後。俺は頭をかきつつ、


「大丈夫だ。驚かせてごめんな?」


「先生が戻って来たら、夕方まで横になってろってさ。すみっこに布団敷いてあるから」


 部屋は十畳ほどの広さで雑魚寝だった。とりあえず、それぞれ用意されたマットレスで、自分の場所を確保している程度。木道の時にいたグループは、ありがたい事に別室だ。

 俺のマットレスの横には、ぴっちり、もう一つのマットレスがくっ付いている。それを、まじまじと見下ろし、


「──これは?」


「俺が隣なら安心だろ? そっち側は壁だし」


 湊は得意気だ。


 ──まったく。


「別の意味で不安だな…」


「なんだよ。襲うとでも思ってんのかよ?」


「…さっきの風呂場での様子じゃ、そう思っても仕方ないだろ?」


 冷めた視線を送る。湊はすまなそうに、顔の前で手を合わせると、


「ごめん。つい、調子に乗ったのは認める。──けど、だからって襲わないって。無理強いは嫌いだし。──けど、あれ本気だからな。考えとけよ」


「軽く言うなぁ…。とりあえず、この件が終わったらちゃんと話す。それまでは、今まで通りでよろしく」


「なんか、終わったみたいな言い方だな…?」


「ほら! もうお終い。今は朱莉の件が一番だ」


「わかった…。ほら、とにかく横になってろって。なにもしないから」


「ほんとだぞ?」


 俺は疑いの眼差しを向けつつ、シーツの敷かれたマットレスにごろりと横になった。他に毛布があって、こちらにもカバーがつけられている。それをたくしあげ、身体を覆った。

 山小屋では水は貴重だ。だから大きな物は洗濯できない。その代わり、こうして汚れよけにカバーをかけたり、シーツを敷くのが一般的だ。が、大抵は、自身の持ってきた寝袋に潜り込む者が多い。


 ──学校登山じゃ、流石に寝袋まで用意できないしな。


 下に降りる時、皆で手分けして汚れものを背負って降りるのだ。本格的に忙しいシーズンに入れば、また手伝いをお願いされるだろう。今回の件もある。


 ──来年は、早めに手伝うか。


 朱莉は女生徒らとずっと一緒にいた。女性教員も同室となっていたから、見張りの必要はなく。

 だいたい、山小屋の中は祐二と岳が見張っている。妙な動きをすれば直ぐにばれるだろう。何にしても、


 ──岳がいてくれる。


 これ程、心強い事はない。

 俺はひとつ息をついた後、安心して目を閉じた。



 ──大和を守りたい。


 いや、俺が守るんだと湊は心に強く思う。

 その大和は、傍らで健やかな寝息を立てていた。年下の癖に、妙に落ち着いている。


 ──俺に──この俺に迫られたのに、顔色ひとつ変えなかった。


 いや、焦ってはいたのだ。が、意識はしていなかった。顔も赤くならない。


 ──まるで、子供扱いだ。


 それに、もう一つ、気になる事がある。二年の女子が、こぞって黄色い声を上げていた相手。俺より長身で、やたらと顔が良く、身のこなしも、スマートな。

 そう言えば、名前を聞いていなかった。

 とにかく、気がつけば大和の側にいつの間にかいて、誰よりも先に危機に手を差し伸べる。

 

 ──気にくわない。


 俺がああなりたいのに、先を越される。

 眠る大和の顔を見つめながら、心に決めた。


 ──今度こそ、俺が大和を守る。


 そっと、その頬に指先で触れた。



「大和、夕日見るって」


 夕方、湊に軽く肩をゆすられ、目を覚ます。意外にしっかり眠っていたらしい。


「ん…、わかった」


 すでに他の生徒は外に出たのか、姿が見えなかった。部屋にいるのは湊だけだ。上着を手渡され、寝ぼけ眼で先に立つ湊に続く。

 玄関先で靴を履きながら、事務所内の様子を窺ったが、岳の姿はなかった。丁度、夕食どきだ。食堂で準備に大童だろう。


「大和?」


 靴を履いて先に待っていた湊が、声をかけてくる。


「今行く」


 急いで靴ひもを結ぶと、外に出た。


 小屋を出てすぐのテラスは人でいっぱいだった。ここもいいが、実はもっとよく見える場所があるのを知っている。

 朱莉は女子らとともに、仲良く最前列で陽が沈むのを見守っていた。声をかける必要はないだろう。


「湊、こっちもよく見えるぞ…」


「どこ?」


 チョンチョンと、肩を叩いて控えめに声をかける。人垣を背伸びをするようにして避けていた湊は、俺の言葉に不審そうだ。ここより他に、よく見える場所などないだろうと言う顔をしている。

 それでもその袖を引いて、こっちと皆の後ろへと後退させた。


「あっちの、突き出した所から見るのがいいんだ」


「そうなのか?」


 湊は首をかしげる。それは、よく見えるのか? という、問いかけより、なぜ、知っているのか? という、問いかけの方が近い。

 どうして知っているのか、それはこの件が終わったら話すつもりだ。それが、湊への答えでもある。


「…ある人から教えてもらったんだ。そこが一番だって。とっておきの場所だから、内緒だぞ?」


 そこは岳から教えてもらった場所だ。山小屋付近で写真を撮っていた岳は、あちこちで撮った末、ここが一番と知ったのだとか。それは確かで。


「わぁ、ほんとだ…」


 いつもちょっとひねくれている湊が、素直に感嘆の声を漏らした。

 皆のいる所より、一段高い岩場。周囲に物置小屋があるから、先に進めないように見えるが、回り込めば高い場所に出るのだ。

 そこから眺めると、まるで自分が宙に浮いているかのように感じる。視線の先、連なる山々の向こう、僅かに湧き出た雲と山の上に、今まさに陽が沈んでいくところ。

 見つめる湊の横顔はキラキラと輝いていた。それは、いつかの岳のそれと重なる。


『綺麗だろ?』


 そう言って、囁くように口にして、こちらに向かって笑んで見せた岳を、今でも鮮やかに思い出すことができる。あれは、俺が皆の前から姿を消した後のこと。後日、写真を撮りに山へ登ってきた時の出来事だ。

 あの時の出来事は、今でも思い出すと、胸に鈍い痛みをもたらす。二度と、岳とは会えないと思っていた。それが、迎えに来てくれたのだ。

 もし、あの時岳が来てくれなかったら、俺は二度と自分から会いに行くことはなかっただろう。


 ──でも、そんなことにはならなかった。


 俺の傍らには岳がいる。夢みたいな話だ。その精一杯で俺を好きだと伝えてくれる。

 こんな未来が待っているなんて、あの時の俺は想像すらしなかったのだ。


「──ここ、教えてくれたのって、誰?」


 太陽がすっかり山の向こうに吸い込まれ、辺りに夕闇が迫りだし、皆、三々五々、中へと戻っていく。ずっといると底冷えしてくるからだ。

 湊は真面目な顔をして尋ねてくる。薄々何かを感じ取っているのだろう。


「俺が、大切に思っている人からだ」


 大切で、失いたくないと思う人。自分を犠牲にしても、助けたいと思う相手だ。


「ふーん…」


 湊はそれ以上、尋ねてくることはなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ