12.登山
月末。いよいよドキドキの登山の始まりだ。
とは言っても、胸をときめかすような何かがある訳ではなく。誰かに狙われている、それを阻止するための、緊張感ある登山、だ。
いつになく目がぎらつき、ちょっとしたクラスメートの動きにも、敏感になってしまう。
「大和ー。これ、先生から」
そういって、先を歩いていた生徒が振り返って、教員が配っていた飴を差し出してきた時も、大袈裟なほどビクリと肩を揺らし、生徒の顔を凝視した。かなりやばい奴だ。振り返った生徒も驚く。
「どうした? 大和」
「え? あ、あはは…。いや、ちょっと驚いただけ…」
「にしては、かなりだったけど…。大丈夫? 緊張してる? 山登り、初めてとか?」
「ん? あはは…。そうなんだ。初めてで、ちょっと…」
「大丈夫だって。今日は初心者向けのコース、登ってるから。前に父親と一緒に来たことあったけど、その時もこの道から行ったんだ。他はまだおまえ向きじゃないって言われてさ。ここ楽だよ」
「な、なるほど…」
俺は額に汗を浮かべ、引きつった笑顔を返す。
いや。俺がいつも使っていたのは、その上級者むけの道だ。行きも帰りも。
初めて祐二と一緒に山小屋へ向かった時は、さすがにこの初心者向けの道を行ってくれたが、この道は遠回りで時間がかかる。俺の体力と運動神経の良さを感じ取った祐二は、次から上級向けコースしか使わなくなったのだ。
つい最近まで働いていた山小屋には、顔見知りだらけだ。祐二には、とにかく俺を見かけても、無視してくれとお願いしてある。顔見知りのスタッフにも同様に。詳しいことは言えないが、重要な任務の為だと。
ちなみに、その祐二にはすべて話してある。協力を得たいと思ったからだ。すると、頼む前に全面的に協力すると言ってくれた。そうなると、監視の目も増える。スタッフにも、なにか不審な動きがあったら、知らせる様にお願いしてあると言った。
──本当、この山で良かったよ。
朱莉のことばかり集中していたせいで、すっかり教員の説明も、配られたプリントの内容も上の空だったのだ。
湊に言われて配られたプリントを思い出し、改めて見返した時、祐二がいる山だと知って、大いに驚き。教員の選択に感謝した。
勝手知ったる山だ。相手が何を仕掛けてくるにしろ、対処はできる山でもある。
──それに、今回は。
先に到着した女子が、山小屋の方を見て、ワーキャー騒いでいた。一塊になって、顔を赤くし盛り上がっている。騒ぐ彼女たちの視線の先には、一人のスタッフがいた。
朱莉はその集団から少し離れ、そ知らぬ顔をしている。傍らにいた湊は、女子の騒ぐ理由を知って、あきれ顔をしていた。
「あのスタッフ、かっこいいって。マジやばいって!」
「えー、でもちょっと、遊んでそう…」
「そこがいいじゃん。遊ばれたい!」
「なに言ってんのー! 傷つくの嫌って言ってたじゃん」
「えー、でもぉ」
女子らの注目の的になっているのは。
「お疲れ様」
あきらかに俺を見て、そう口にした。騒ぐ原因となっていたのは──。
…岳。
栗色がかった髪に、すらりとした長身。にこりと笑んだ顔が爽やかだ。爽やかすぎる。
単に登ってきた客に対して言っている風を装っているが、どうみても俺限定だ。登り口に現れたのは俺一人だったのだから。
「…どうも」
なるべく素っ気なく、ぺこりと頭を下げてやり過ごす。頬が勝手に熱くなった。
岳の視線を頬に感じつつ、俺はなるべく目を合わせないようにして、他のクラスメートの後に続いた。岳の視線が追ってくるのがわかる。
──ばれるっての。知り合いだって、勘ぐられるっての。
俺はいち生徒だ。その他大勢が、山小屋で一、二位を争うイケメンスタッフと知り合いでは、おかしいのだ。そう思いながらも、ここに岳がいてくれることが、百万倍嬉しかった。
俺と湊の計画を聞いたあと、この山へ登山すると知った時、岳は自身も参加すると言った。それが、今回の作戦の条件だったのだ。
仕事は放っておいていいのかと問えば、二日くらい休んでも差し障りないと言う。引かない岳に、俺はその条件をのんだのだった。
──これなら、百人力だ。
けど、頼り切っていてはいけない。俺を狙ってくるのだ。なんとしても、自身の手で捕まえたかった。
「こんにちは。お疲れさん」
玄関先に祐二がいて、入ってきた生徒を迎え入れる。最後に入ってきた俺を認めて、ニッと人の悪い笑みを浮かべると。
「お疲れさま。──初心者コースはどうでした?」
「え? …えーと、なんとか。結構、大変でした…」
周囲の耳を気にしつつ、俺は初心者のふりをして、祐二に言い返す。
──ったく。意地が悪いんだから。
「それはそれは。今日はよく休んでくださいね?」
ムッとして睨むが、祐二は面白そうに笑んだままだった。
◇
今日は山小屋に一泊し、明日の早朝、頂上への登頂を開始する。
男子は自由時間となり、女子は入浴時間となった。他の客の邪魔にならないよう、時間で区切られているのだ。有り難いことに、ここは温泉が湧く。ただし、男女入れ替え制のため、ちんたらしていると、入りそびれてしまう。
朱莉が女子生徒らと一緒に向かったのを見届けてから、俺は今さら読む必要もないガイドブックを手に、玄関わきのロビーのソファに座って周囲の様子を窺っていた。
祐二は食堂や事務所を行ったり来たりして、忙しそうだ。岳は外で掃除や案内、片付けをしながら、時折こちらの様子を窺っている。
教員からは、動く時はかならず許可を得て、グループで動くようにと言われていた。そのグループは前もって決められていて、山を登るときもその一塊で行動する。
ひとグループは五人程で、俺のグループは皆特段、目立つようなタイプではなく、ごく普通の大人しい生徒ばかりだった。
「なあ、ちょっと散策しない? 先生には言ってきたからさ」
グループの一人が声をかけてきた。その背後に同じグループの生徒がついてきている。
「おう。行こう!」
朱莉ら女子の入浴が終わるまでには時間がある。天気もいい。夕飯まで散策は楽しいだろう。丁度お花畑も見ごろだ。
小屋の中は祐二が見ていてくれるから、朱莉が早く風呂から上がって来たとしても、任せておけるだろう。
「なに、散策するの? なら俺も行く」
偶然──とは言っても、陰で様子を窺っていたに違いない──訪れた湊が声をあげた。一緒に行動して、俺の周囲に目を光らせてくれるのだろう。
「うん、いいよ。な?」
他の生徒が答える前に、俺は応じた。
「いいですよ。全然、問題ないです」
リーダーの生徒は笑顔で答える。他の生徒も皆、頷いて同意を示した。このメンバーの中に犯人はいそうになかったが、注意するに越したことはない。が、やはり湊を巻き込むのは、正直、気が引けた。
返事をした所で、カウンターにいた祐二と一瞬、目が合う。祐二は軽く頷いて見せた。注意しているから、大丈夫だと言う合図だ。なんとも、頼もしい。
俺は感謝しつつ、目だけで返事を返すと、湊と共に生徒らの後について外に出た。
日差しが差すように目に飛び込んでくる。空気は澄んで冷えているくらいだが、日差しは高山とあって強い。空は青く、雲は山の端の方に固まっている程度だった。つまり、晴天だ。この分だと、明日もいい天気だろう。風も強くない。
「あっち、行ってみよう」
一人の生徒が花畑を指さす。湿地となっているそこは、高山特有の小さくても可憐な花が、岩の間に所狭しと咲き乱れていた。
白と青が多いが、時折赤や黄色も混じる。可憐な花がそよそよと風に揺れるさまは、心を和ませた。つい、自分が狙われているかもしれないことなど、忘れてしまう。
「──どちらに?」
生徒の一番後ろにいた俺に声がかかる。振り返らずともわかった。岳だ。
俺の少し先を歩いていた湊も、その声に立ち止まる。ちなみに、湊には俺がここで働いていることや、岳や祐二の存在は知らせていない。知っているのは朱莉だけだ。
「…お花畑へ」
おずおずと返事を返せば、
「そうですか。──なんなら、案内しましょうか?」
先頭にいた生徒が驚いて振り返る。
「え! いいんですか?」
「いいですよ。時間があるときは、案内もしているんで。丁度、お客さんも切れた所なんで。──よかったら」
にこりと笑むと、生徒らはじゃあと頷きあって。
「お願いします…!」
グループリーダーの生徒が頭を下げた。
「じゃあ、行きましょうか」
それで、岳の案内で、お花畑を巡ることに決まった。
岳は俺たちのグループを先導するように、ゆっくりしたペースで木道を歩き、あちこちに咲く草花を紹介していく。
お花畑は、所々、岩が見えかくれする湿地になっていて、勝手に人が入り込まないよう、木道が設置されていた。
俺は意識して、一番最後を歩く。湊は俺のすぐ前だ。ほかの生徒はみな、岳の説明に耳を傾けていて、こちらの様子を窺う者はいなかった。
──この中には、いないみたいだな…。
いたとしても、こんな中では、手も出せないだろう。それなりに周囲には人目があるし、第一、今はスタッフが──岳が──傍についている。なにか行動を起こそうにも、できるはずもなかった。
と、木道の向こうから、登山客の一団が来た。年配の一団で、こんにちはーと声をかけあいながら過ぎていく。俺は避けるため端によった。立ち止まったせいで、湊と少しだけ距離ができる。
そのあとを、別の男子生徒らが続いた。結構活発な連中が多いグループだ。いつも、つるんでいる。
生徒らは互いに何かを言いあい、ふざけあいながら、通り過ぎていく。と、すれ違いざま、誰かのリュックが背にぶつかった。
「うおっ!」
軽く──ではなく、思いの外強く当たり。バランスを崩した俺は、くるりとコマのように反転して木道の上でよろめいた。
◇
「大和!」
気づいた湊が手を伸ばすが、少し距離を取っていたせいで間に合わない。俺は腕をバタつかせたまま、背後に倒れこんだ。
倒れたところで、花畑に転がるだけ。荒らしてしまうから心は痛むが、大怪我にはならないはず。湿地のためびしょ濡れにはなるが──。
──イヤ、待てよ。
そう言えば、さっき繁った草花の隣に、岩の頭
がチラッと見えていた気がする。
──これで、倒れたら、あの岩にぶち当たるんじゃないのか? かっ?
ごつっとした岩の頭を思い出すが、今さら血相を変えたところで、間に合わない。せめて受け身を──そう思った俺の腕を、ぐいと掴むものがいた。
──あ…?
恐ろしい勢いで引き戻され、代わりにぽすり、と温かなものに包まれる。
「──大丈夫か?」
馴染んだ香り。顔を上げると岳が見下ろしていた。収まったのは、岳の腕の中。花畑に背後から転がることは免れた。
すぐに反応して、駆け寄ってくれたらしい。見れば、岳は右足を木道に、左足を湿原に覗く岩にかけていた。木道の外から俺を支えてくれたのだ。恐ろしいほどの反射神経。
「だ、大丈夫……です…」
「よかった。滑りやすいから、気をつけるように」
「う──はい…」
岳に起こされ、再び木道に立つと、湊が駆け寄ってきた。
「大和、ごめん。間に合わなかった…」
湊が情けない顔をして、謝ってくる。
「いいって。俺がうっかりしてただけだって」
他の生徒らも大丈夫かと気遣ってくれる。俺が足を滑らせた、と思っているらしい。が、確かに押された感触はあった。
俺にぶつかったであろう別グループの生徒は、やや離れた所でこちらの様子を見ていたが、俺が無事と分かると、そそくさとそこを後にした。
連中の誰のザックとぶつかったかは分からない。突然のことだったからだ。が、誰も謝って来ない所を見ると、ぶつかったのに気付かなかったのか。
──それとも──。
俺は、去って行く生徒らの背を見つめた。
◇
そのまま、何事もなかったように案内は続き──とは言っても、湊ががっちり俺の背後につき、岳も一段とこちらに気を配っているのが分かったが──山小屋に戻った所で、女子が風呂を終えて出て来た。気がつけば、岳はいつの間にかいなくなっている。
「温泉、良かったよ」
朱莉は頬を上気させ、肩にタオルをかけたまま、声をかけてきた。ジャージ姿だが、他の女子生徒よりひときわ目立つ。
「そうか。良かったな」
登山靴の紐をほどきながら答える。湊も同じく靴を脱ぎながら、眉間にしわをよせると、耳打ちしてきた。
「…さっきのさ、ぶつかったろ。偶然か?」
「偶然だろ…」
若干、怪しいが。
「なに? なにかあったの?」
ヒソヒソ話に、朱莉が不審な顔をして尋ねてくる。俺は笑顔を作って、何でもないふうを装った。
「木道でちょっと転びそうになっただけだ。木道、狭いし滑るからな?」
「…けどさ」
湊は納得がいかない様子だった。俺は遮るように。
「はっきりそうと分からない限り、疑えない。さて、俺もお風呂行かないと。けど──」
朱莉を振り返る。一人、放ってはおけない。夕食も近くなり、流石に祐二は忙しい様で、俺が山小屋に帰ってきたのを見届けてから、奥へ引っ込んでいた。俺の心配に気づいた朱莉は、
「私は先生のとこ行ってるから。入ってきなよ」
大丈夫と笑った。女性の教師が他の生徒と話しながら、丁度、通りかかる。そこにくっついていれば、安全だろう。
「──じゃ、行ってくる」
何はともあれ、風呂の時間は逃せない。汗を流さねば疲れも取れなかった。朱莉の言葉に甘える事にする。するとすかさず湊が、
「俺も一緒に行く」
「って、なんで?」
補助員の三年は、教員の時間と同じはずだった。
「いいから、いいから。俺も早くさっぱりしたいし、な?」
そう言って俺の背中を押すようにして、後に続いた。




