11.棚
次の日の午前中、体育の時間のあと、それは起こった。
サッカーの授業が終わり、道具係だった俺は、他の用具を運ぶクラスメートと共に、ネットに詰めたサッカーボールを、サンタクロースよろしく背負い、倉庫へと向かっていた。
「よっと──」
歩く度に、背中のボールがポンポン、ポコポコ跳ねる。朱莉は他の生徒らとともに、教師と談笑していた。その間に帰って来れば問題ない。サッカーボールの片付けなどあっという間だ。
校庭の隅にある倉庫に辿り着くと、中を覗く。埃臭い倉庫内は、空気が動かずシンとしていた。キョロキョロ見回しながら、
「えーと、これ、どこに?」
「そこの、奥の鉄カゴの中だよ」
もう一人の生徒は、練習に使ったポールを壁に立てかけているところ。生徒が顔を向けた先、奥に鉄かごを見つけ、そこへと向かった。
両側には背丈を越えるスチール製の棚があって、雑多なものが積まれている。積み重なったグローブに野球ボールの入ったかごに、テニスボールにバドミントンのシャトル。それぞれ、バットやラケットは、壁際に立て掛けられていた。
背負っていたネットごと、目の前のカゴにボールを放り込む。軽く跳ねながら、鉄カゴに収まった。
「さてっと。これで終了──」
くるっと、向き直ったところで、棚の向こうでガタと物音がした。例えるなら、ものがずれた様な音。
──なんだ?
何の音だろうと首をかしげたところで、突然、軋んだ音と共に、目の前の棚がこちら側に倒れ込んできたのだ。
「っ!」
声を上げる間もない。先にグローブらが降ってきて、あとはスチール製の棚が迫る。スローモーションになって見えるから不思議だ。咄嗟に身を屈め、腕で頭を守るのが、精一杯。
鼓膜を破るような騒音とともに、土埃が舞って、棚の動きは漸く止まった。
「大和! 先生、大和が──!」
派手な音にすぐに教員が駆けつける。続いて数人の男子生徒も飛び込んできた。
「大丈夫か?」
「…はい。大丈夫っす」
身体には、古びたグローブやバレー用の網が被さっていた。埃っぽい臭いが鼻先を掠める。
ありがたいことに、背が高い棚は、向かいの棚に引っかかり、落ちてきたのは小道具ばかりだった。スチール製の棚が当たることはなかったのだ。
なんとか小道具をかき分け、僅かな隙間から身体を抜く。
「宮本、怪我は?」
「──大丈夫です…。たぶん」
教師はすぐに俺を引きあげ、立たせると怪我がないか尋ねてくる。傷むところはなかった。転んだ時に少し手のひらをすりむいたくらい。教師は棚を確かめると、
「──ああ、これは、脚が錆びてたな。これが折れたのか…。しかし、大きな怪我がなくてよかった。一応、保健室に寄っていけ。担任には伝えておくから」
「でも怪我は──」
朱莉を置いて、側を離れるわけにはいかない。そう言いかけた所に、朱莉が飛び込んできた。
「先生、私が付き添います」
「そうか。じゃあ、棚橋、頼んだ」
「いこう。大和」
「あ、お、おう…」
腕を組む様にして、引っ張っていく。俺は引きずられる様にして、朱莉とともに保健室へと向かった。
◇
「掠り傷で良かったよ。棚が倒れこんできた時は、どうなるかと──」
保健室で右手の平の擦り傷を手当してもらい、それを眺めながら、教室へと向かっていれば、
「──ごめんなさい…」
傍らを歩く朱莉が突然、立ち止まって謝ってきた。驚いて朱莉を振り返る。
「なんで謝る?」
「だって…。私のせいだもん…」
今まで見たことのない、泣き出しそうな表情に、慌ててその顔を覗き込むようにしながら。
「気にするな! こんなの、大したことじゃねぇって。今までなんかもっと大変な目にあってきたんだ。それに比べたらこの程度、怪我の内にもはいらねぇって」
「…ちがう。怪我だけのことじゃない。全部…私のせいで──」
俺は朱莉の正面に立って、その両肩に手を置くと。
「朱莉はちっとも悪くない。悪いのは、嫌がらせをする奴だ。そんな奴に負けるな。朱莉が落ち込めば相手の思うつぼだ。──な?」
「……うん」
鼻を鳴らした朱莉は、少しだけ表情を明るくした。それを見てほっとする。
「とにかく。こんなことは早々にやめさせる。朱莉はそいつに負けないよう、気持ちを強くもて」
「わかった…」
「よし! じゃ、教室に戻ろう。次は──」
「古典…」
「うげ、マジ? あれ、眠くなるんだよなー」
「うそ。大和いつも眠そうじゃん」
朱莉は最後には、くすりと小さく笑った。
◇
昼休み、朱莉を教室に残し、その姿を確認できる場所、ベランダの隅に行って、端末の通話ボタンを押した。
楠に報告した後、今度は自分で岳に連絡したのだ。前と同じ様に、俺が帰るまで詳細が分からないのは良くない。いくら怪我がなかったとは言え、事実の報告だけでは心配もする。
「──岳? 今、大丈夫か?」
『大和どうした? ──何かあったか?』
「うん、実は──」
そうして、棚の件を話した。岳は暫くの沈黙のあと、念を押すように、
『怪我はないんだな?』
「うん…。右手の手の平に、ちょっとだけ擦り傷が出来たくらいで…」
言いながら、右手のひらに目を落とす。大振りの絆創膏が貼られたそこは、押せば痛む程度だ。
『──わかった。詳しい話はまた、帰ってきてから聞く。今日はもうひとりになるなよ?』
「うん、わかった。岳──その…」
心配をかけている。謝らねば、そう思ったのだが、
『──謝ろうと思っているなら、必要ない。大和は悪いことをしている訳じゃない。そんな事は気にしていないで、周囲に向けて十分、気を張ってろ』
──岳…。
「──わかった!」
岳の力強い言葉で、気合いが入る。やる気十分になって、通話を終えた。
◇
「大和…」
放課後、朱莉と共に帰ろうとすれば、教室の入口に、湊が姿を現した。少ししか間を空けていないのに、久しぶりの気がする。
「──話がある。これからいつもの所、来られるか?」
「行けるけど…」
朱莉と顔を見合わせたあと、返事をすれば、
「なら、先に行って待ってる…」
それだけ言うと、プイと背を向け行ってしまった。もう、関わらないつもりかと思ったが、心境の変化があったのだろうか。俺は朱莉に向き直ると、
「──ってことだ。行こっか」
「うん…」
昨日の湊を知っているだけに、朱莉も半信半疑の様子だった。それでも、またこうして向こうから歩み寄って来てくれたのだ。行かない訳にはいかないだろう。
帰り支度を整えると、朱莉と共に倉庫へと向かった。
◇
「最初に謝っとく。──ごめん」
そう言って、朱莉と俺が倉庫に到着した途端、湊は長身の背を折り曲げ、深々と頭を下げた。俺は慌ててその肩に手を掛け、頭を起こさせようとする。
「なんで謝るんだよ! 謝ることなんてないって──」
「…本当は、大和の事が心配なんだ。なのに、勝手にしろなんて、思ってもいないのに…。ごめん。イヤな奴だって、怒ったろ?」
「真剣に心配してくれてるからだろ? ──湊のこと、怒ってなんかいないよ。だから、謝る必要ないって。ほら、頭上げろって」
「──本当に?」
「本当だ。今まで通り、朱莉の相談に乗ってくれ」
すると、一呼吸おいた後、
「朱莉だけじゃない。──大和のことも、守る」
「へ? 俺?」
驚いて湊の整った顔を見つめる。思ってもみなかった提案だ。すると、湊はようやく頭を上げ笑うと、
「それ。俺が守るって言ってるのにさ。──ったく、やっぱおまえ、面白いや。──放っておけない…」
湊の目が悪戯っぽく光った。
「うん?」
「ま、こっちの話。──で、今回のも?」
いつもの調子に戻った湊は、眉間にしわを寄せ尋ねてくる。陽菜は今日も来ていない。習い事があって、早々に帰宅したのだ。サボるなどあり得ないらしい。俺はうなりつつ。
「…どうだろうな。偶然、錆びた棚が俺が来た時に倒れたって話ではある」
「偶然って、偶然過ぎない?」
朱莉は怪訝な顔をして見せた。湊も頷くと、
「偶然じゃないって。大和の所から、他の場所は見えてなかったんだろ? 他に誰かがいても、気付かないって」
「まあ、カゴは奥にあったし、棚に囲まれてたからな。物音は聞いたけど...」
確かに見通しはきかなかった。他に誰かがいたとしても、見えていなかったはず。
「物音? ──やっぱり、誰かが潜んでて、大和が来てから棚を押したんだって。クラスメートなら、大和が片付け当番だってのは前もって分かってるしな…。脚が錆びてたんなら、細工も簡単だろ? やったあとは、人が大勢来ればそれに紛れられるし…」
「──てことは、犯人はクラスの中の奴か?」
「だろ。他のクラスの奴はありえない」
誰なのか。俺と朱莉のクラスは四十人。女子が十八人で男子が二十二人。棚が倒れたあと、倉庫に駆けつけた中に女子はいなかったから、犯人は男子の中にいる。
あの時、あとをつけてきた奴がいたのか、それとも先回りして潜んでいたのか。二十二人の全ての行動など把握はしていなかった。
「わかんねぇな…」
前髪をくしゃくしゃにかき上げる。湊は顎に手を当て、
「けど、これで絞られたってことだな」
「なんとか、尻尾を掴めないかな…」
すると、湊が何か思い出したのか、ハッとして顔をあげ。
「──近いうちに、二年は登山あったよな?」
「ような気もするけど…?」
確かそんな通知があった気がする。
「あるよ。今月末…」
朱莉が答える。すっかり日々に追われ、忘れていた。
「確か…いくつかの山に分かれて、それぞれ登頂をめざすんだよ。危険の少ない、初心者むけのコース」
湊は頷くと、
「そうそう。──で、経験者の三年生の中で、有志を募って何人か参加するんだ。教員の補助的な役割でさ。そこに俺も立候補する」
「湊が? 何のために?」
「犯人がクラスメートなら、絶好の機会だと思うだろ? また動くはず──で、そこを見張っていた俺が捕まえる。こう見えても、格闘技やってるし、身体は鍛えてる。相手が暴れてもなんとかなるって」
「けど──」
湊を巻き込むのは気が引けた。やはり彼はまだ未成年。生徒なのだ。俺が守る側になる。しかし、湊はすっかりその気だ。
「大丈夫だって。絶対、捕まえる。山の上じゃ自由行動は少ないし、動ける範囲も限られてる。二十人くらいなら、俺と大和で見張ってればなんとかなるって」
「そうだなぁ…」
歯切れの悪い俺に、湊は尚も言い募る。
「早く捕まえたいだろ? この機会を逃したら、また先になる。──それでいいのか?」
確かに、早くこの件を終わらせたいのも事実だ。俺は渋々頷くと。
「──わかった。やろう」
「よし、じゃあ決まりだ。絶対、捕まえてやろうな!」
「おう…」
「朱莉も協力しろよ? お前のためでもあるんだからな」
「…うん」
気は進まないが、犯人を早く挙げたい今、これ以上の名案はなかった。話はそれで決まった。
◇
が、岳らにこの話をすれば、反対されるのは目に見えている。だからと言って、黙って行動に移すことは、心配してくれている岳たちを思えば、出来るはずもなく。
家に帰り夕食後、棚の倒れてきた件も含め、湊と立てた計画を岳に話した。亜貴はまだ帰っておらず、真琴は今日は例のマンションだった。
岳と二人きり。配られたプリントを読み返せば、運のいいことに、登山の行き先は、なんと岳の大学山岳部時代の後輩、祐二の管理する山小屋のある山だったのだ。なんて、偶然。
選ぶコースによっては上級者向けにもなるが、初心者コースもある。高校生でも問題なかった。
祐二がいるなら安心できる。事情を話せば、協力してくれるだろう。
しかし、その前に。
「──って、話なんだけどさ。棚が倒れてきた時、確かに物音も聞いてて…。たぶん、誰かがいたのは確かなんだ。で、あの時、いたのはうちのクラスの奴らだけで...。それで、湊が思い付いたんだ」
「湊──ね。いつも一緒につるんでる奴か…。信用して大丈夫なのか?」
「あいつは…たぶん、信用していい。裏で何かするような奴じゃない」
今まで湊と接してきたが、人を騙す様な性格には思えなかった。朱莉を陰でいじめて喜ぶ様な奴ではない。岳は特に表情は変えず、
「──そうか」
そうとだけ口にした。
「湊が言うには、犯人を捕まえる絶好の機会だって言うんだ。確かに、クラスメートの男子の中に犯人がいるなら、動いてくると俺も思う。──それで、そんな話になって…。もともと、周囲には気を配るつもりだったし、いい案じゃないかって思うんだ。ただ、湊を巻き込むのは気が進まないんだけど…」
ソファに座った岳は、登山の日程の書かれたプリントを前に、腕組みしたままでいたが、
「──いいんじゃないのか? その『湊』も、それなりにできるんだろう? この案で行くなら、力になって貰うしかないだろう…」
「本当に?」
飛びつく勢いで、岳に迫る。同意が得られるとは思っていなかった。
「けど、条件がある…」
「条件?」
何かたくらみがある時にする、含みのある笑みを浮かべた岳は、プリントを指で弾き。
「俺も参加する」
「へ?」
俺はすぐに理解できず、目をくりくりさせて岳を見返した。




