9.帰宅
その後、朱莉に迎えが来て、ようやく解散となった。岳に連絡はしてあったが、いい加減帰らないと心配しているだろう。
寮住まいの湊は電車で帰ることになる。朱莉が送っていくと言ったが、方向も違うし、まだ電車があるからいいと言った。もしかしたら、他にまだ予定があるのかも知れない。
別れ際、湊は悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「大和、また付き合えよ?」
「えー。イヤだよー」
「先輩の頼み、無視すんのかよ?」
「…そういうつもりじゃないけど。俺、やっぱり、聴いてる方が好きだし」
「あれだけ歌えんのに、勿体ないって。また近いうち、絶対誘うから。断るなよ?」
「うへぇ…」
俺は天を仰ぐ。湊は笑って手を振ると、夜の街へ消えて行った。寮の門限は許可が下りれば、夜十時まで延ばすことができる。今は夜七時。さすがにその門限までには帰って来るのだろう。
俺は朱莉と共に、迎えの車に乗り込んだ。明日の登校は電車で行くことになる。急な予定で自転車は置いてこざるを得なかったからだ。
帰りの運転手は玉置だった。若衆然とした態度で朱莉を送り届けたあと、俺の家へと向かいながら、
「大和くん、今日は疲れたんじゃないのか?」
「いや? 結構楽しめたよ。俺、あんまり高校生らしいことしてこなかったから、新鮮だったな」
「そうかぁ? 引きずりまわされたって、いつも警護につく若衆が漏らすからさ。楽しめたんならいいけど。──特に変わったことは?」
「うん、特に。いつものメッセージはあったけど…」
「──例の?」
「うん…。どうやら、朱莉の今日の予定を知ってたみたいなんだ。今日の事を知ってたのは、友だちだけだって話なんだけどさ…。朱莉は友だちがやるわけないって」
「あれ、不思議だよな? どう考えても、犯人は身近な人間だと思うんだが…」
ハンドルを握りながら、玉置は唸る。
「俺もそう思うんだけど…。もうしばらく様子見だな」
「楠さんにも報告しておくよ。──本当に、楠さんはこんなこと、関わっている立場じゃないってのに…」
ぶちぶちと玉置の愚痴が始まった。どうにも、この件を受けたのに納得がいっていないようだ。
そうこう話しているうちに、家に到着した。俺は車を降りると、開けられたウィンドウ越しに頭を下げる。
「ありがとう、玉置さん」
「ああ。それじゃあ、またな」
玉置はテールランプを光らせ帰って行った。
車を見送り、振り返った所で玄関先に立つ岳を見つけた。夜になるとグッと冷え込む。そんな中、帰りを待っていてくれたのかと思うと、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「──ただいま! 岳」
「ああ、お帰り」
飛びつくようにその腕の中に飛び込むと、岳が抱きとめてくれた。ひんやりとした腕が背中に回される。俺はそんな岳を温めたくて、負けじと抱きしめ見上げると、
「──遅くなって、ごめんな?」
「…気にするな。分かってる。──心配はするけどな?」
「だろ? 絶対そうだって思ってた」
「これは性分だけど、大和のこととなるとな…。俺も一緒に行きたいくらいだ」
「はは! 高校生の岳かぁー。見たかったなぁ。きっとかっこ良かっただろうなぁ…」
「大和の制服姿には負けるさ。──さあ、腹減っているだろ? すぐに食べられるから。今日は仕事が早く上がって、俺が用意した。とは言っても親子丼だから簡単だけどな」
「やった! 楽しみ」
「──中に入ろう」
「おう!」
そうして、岳に背を支えられ中へと入った。
◇
岳はちゃんと食べる直前に卵を入れ、ふわとろの状態の親子丼をだしてくれた。岳も一緒に食卓につく。俺が帰るのを待っていたらしい。
少しだけ濃い味付けの親子丼が、染みるようにうまい。岳は何を作っても、いつも絶妙な味加減で出してくれる。親子丼をかきこみながら、向かいの席に座った岳に尋ねた。
「皆は?」
「亜貴はバイトだ。真琴は借りてるマンションだ。今日も壱輝が遊びに来てるって言ってたな。──まあ、勉強をみてやっているんだろうが…」
岳は綺麗な手付きで箸を動かしながら。
「壱輝、真琴になついたよな? ここ最近、ずっとだもんな」
「あいつも、なんだかんだ言いながら、面倒を見ている様だしな。いい話し相手ができてよかっただろう」
「だな。妹の初奈は亜貴になついてるし。色々あったけど、落ち着いて良かったな?」
「円堂先輩は相変わらず、自分の仕事で手一杯だけどな。もう少し、親としての自覚をもって欲しい所なんだが…」
「そう簡単には変わらないんだろうなぁ…。ま、壱輝も初奈も今はきちんとフォローしてくれる相手がいるって分かってるだろうし。前みたいに寂しい思いはしないだろ?」
「そうだな…。──俺は今、寂しいけどな」
「え!? どうしてだ?」
驚いて箸をとめる。すると、岳は笑って。
「大和がいない。仕事で帰ってきても、ともすると家の中がしんとしてる。…仕方ないと分かっていても、寂しいと思うんだ」
「…ごめん」
「いいんだ。気にするな。ちょっと言ってみたかっただけだ。…こんなこと、大和だから言うんだ。前の俺だったら、口にもしなかったな。──それに、寂しいなんて思える相手に出会ったことがなかった」
「岳…」
岳は俺だから素直に思ったことを吐露してくれるし、甘えてもくれる。大人の関係だと割り切って、感情を排除するようなことはないのだ。
「大和がそう言う顔をするってわかっているのにな? ──大和が元気でいるならそれでいい。怪我だけはするなよ?」
「…うん」
本当は今すぐにでもやめて欲しい所なのだろう。それを俺の意思を尊重して、好きな様にさせてくれているのだ。大切な岳にそんな思いをさせたまま、ずっとこうしているわけにはいかない。
──なんとしても、犯人をあげなければ。
そう強く思った。
◇
岳は、傍らに眠る大和の垂れた前髪を梳いた。細く茶色がかった髪は、柔らかく指先に絡まる。
大和が真剣にこの依頼に取り組んでいるのは分かっている。世話になった鴻三の為にも、嫌がらせを受け、困っている朱莉の為にも。何としても、犯人をみつけようと必死になっている。
──分かってはいるが。
左の頬にうっすらと残る傷痕に目を落とす。よくよく見なければわからない程。消えかかっていると言ってもいい。けれど、あの時の焦燥感、恐怖、不安感。今でもありありと思い出すことが出来る。
暗闇に壁を背に座り込む、血まみれの大和を見たとき、心臓が止まりそうになった。
──大和を、失くしたくない。
すぐにでも、止めさせたいのが本音だ。
この先、何が起こるか分からない。相手が高校生だからと言って、油断などできないのだ。
今まで朱莉は特定の誰かと付き合ったことはないらしい。それが、大和と付き合い出したのだから、嫌がらせをしている生徒も、穏やかではないだろう。その嫌がらせの度合いも変わってくるはず。
岳の心配をよそに、大和はすよすよと、健やかな寝息を立てている。左の頬の傷痕に、そっと指の背で触れた。
──誰にも、奪わせない。何があっても、どんな手を使っても、大和を守ってみせる。
大和の寝顔を見つめながら、唇を強く引き結んだ。
◇
「君、ひとり?」
大和らと別れたあと。ゲームセンターでひとしきり遊び、少し離れた場所で、カップ入りのコーラ片手に休んでいれば、男が声をかけてきた。
声のした方へ顔を向ければ、パリッとしたスーツを身に付けた小綺麗な男が立っていた。二十代後半か三十代頭位。
内心、ああまたか、と思う。ひとりでいると、声をかけてくる連中がいるのだ。それは異性に限らない。
「…俺、まだ高校生なんで」
「──そうなの? 成人してるかと思った」
男は爽やかに笑う。授業が終わったあと、一旦、着替えて外出した。ただ私服姿とはいえ、そこまで大人びて見えるとは思えない。未成年と分かって声をかけてきているのだ。
──タイプじゃ、ないな。
年上はいいが、嘘っぽい貼り付いた笑顔がイヤだ。この手のタイプは、後で豹変する奴が多い。あと、面倒臭いのもこのタイプだ。
「そう言うつもりで声かけたんなら、ごめんなさい。…俺、そっちじゃないんで」
嘘も方便、だ。
「そうなの? ──残念だな。結構、タイプなんだけど…。試しに付き合ってみない? お小遣い稼げるよ」
──ほら。やっぱりしつこい。
高校生とわかった上で、絡んでくるのだ。金もちらつかせる。性格もよろしくない。金でホイホイつられると思うなよ。
──却下、だな。
「…俺、身内に警察官いるんで。これ以上、絡んでくるなら、それなりの対応に出ますけど…」
嘘じゃない。従兄が警察官だ。地元の派出所に勤務している。男の表情が、スッと冷えた。
「──わかった。イヤな思いさせて、ごめんね」
「…いえ」
男は店内の奥へと消えて行った。その姿を見届けてから、飲み終えた後のプラスチックカップをダストボックスへ押し込み、店を出た。
──気分が悪い。
しつこい奴は嫌いだ。
今まで付き合ってきた相手は、皆、大人で、お互いの立場を分かった上で、付き合ってきた。真剣交際ではなく、軽い付き合いではあったけれど。
モデルにバーテンダーに画家に実業家。出会い方はいろいろだ。ナンパもあれば、モデルの仕事で出会った奴もいる。
実際、年上ばかりだ。この年齢で年下と付き合うのは躊躇いがあるし、第一、年下は好きじゃない。
──なのに。
最近、気になる奴がいる。小柄で、なぜかいつもやる気全開で。年上の自分に物怖じしない、変わった奴。生意気かと思えば、突然、謙虚になって後輩面をする。
──年下は、苦手なはずなんだけどな。
この気持ちが本物かどうか、見極める必要があった。




