第24話 マザーボードを殴ったら、神様が出てきた
「あのマザーボードのど真ん中を、お前の人生の全てを乗せたフルスイングで物理的にブチ壊せェェェェ!!」
ガルムさんの血を吐くような絶叫が、王宮最上層の中枢室に木霊した。
「合点承知だぜ、リーダーァァァァッ!!」
元最上位鍛冶職人であるドランさんの太い腕の筋肉が、限界までミシミシと音を立てて膨れ上がる。
彼が全身全霊で振り抜いた巨大な鉄の魔導レンチは空気を切り裂く凄まじい風圧を生み出しながら、どす黒い赤色に明滅していた世界の中枢――メインサーバーの核へと真っ直ぐに叩き込まれた。
ガガァァァァーーンッ!!
バチバチバチッ!!
鼓膜を破るような金属の恐ろしい破砕音と大量の青白い火花が四散する。
並の魔法など一切受け付けないはずのマザーボードの分厚い装甲がぐしゃりとへこみ、無数の光通信配線が引きちぎられ、高熱を持ったシステム冷却液が噴水のように空高く吹き出した。
そして部屋中を満たしていた脈打つような赤い魔力光と、心臓の鼓動のように気味の悪かったモーターの轟音が、一瞬にしてフッと途絶えた。
ピィー……というかすかな耳鳴りだけを残して、広大なサーバー室は完全な暗闇と死のような静寂に包まれた。
「……や、やったか?」
巨大レンチを振り抜いた姿勢のまま、ドランさんが荒い息を切らして呟く。
トカゲの先輩も両手のクリッパーをだらりと下ろして安堵の深いため息を吐いた。
『Warning. System Formatting sequence will be started in 60 seconds...』と表示されていた中央のメインコンソールのディスプレイも、今は真っ暗なまま完全に沈黙している。
アナログな物理破壊が神の書いた無敵のプログラムの実行を、ハードウェアの基盤ごと強引に停止させたのだ。
「へへっ……どうよ! どんな高尚で複雑な魔法でも、箱ごと叩き割っちまえりゃあ……」
だが、ドランさんが勝利の笑みを浮かべかけた、その瞬間だった。
ズォォォォン……。
突如として、俺たちの足元の分厚いコンクリートの床そのものが奇妙な振動を起こし始めた。
いや、床だけではない。壁も天井も、壊れたはずの巨大なサーバータワー群も。
空間そのものがチカチカと不自然なノイズを帯びて激しく点滅し始めたのだ。
「……! 全員、俺から離れるな!!」
ガルムさんが鋭い声で叫び、俺とドランさん、トカゲの先輩を庇うように両手を広げて前に立った。
次の瞬間。
パァンッ!! と視界の全てが音を立てて凄まじい閃光に包まれた。
「ぐあっ!?」
あまりの眩しさに俺が目を覆い、そして恐る恐るゆっくりと目を開けると。
そこはもう、カビと焦げた配線の匂いが立ち込める機材がひしめく王宮のサーバー室ではなかった。
上下も左右も奥行きすらもわからない。
ただ果てしなく続く純白の空間。
影一つ落ちていない、物の質感を全く貼り付けられていない3Dモデルの初期制作画面のような、無機質で絶対的な空白の世界だった。
足元の感覚すらない。俺たちはぽっかりとあいた無限のシステム空間の中心にただデータとして浮遊しているようだった。
「おいおい……なんだよここは。俺たちは死んじまったのか? それとも世界ごと消されたのか?」
ドランさんが辺りを見回して震え声を上げる。
「いや……空間の座標データが一時的に未定義状態に置かれているだけだ。……気を抜け、一番デカいバケモノが来るぞ」
ガルムさんが、何もない純白の空間の一点を鋭く睨みつけた。
その視線の先。
何もない空間にサラサラと砂が集まるように眩い光の粒子が形作られていく。
それは徐々に人間の男性のようなシルエットを描き出し、やがて確かな実体を持った。
年齢は三十代から四十代ほど。
仕立ての良い真っ白で装飾の一切ない簡素な服を着ている。
顔立ちは整っているが、どこか腹立たしいほど人形のように感情の起伏を感じさせない凪のような透明な双眸。
その存在が声を発したわけでもないのに、俺たちの脳内に直接、心地よいが逆らえない絶対の重圧が響き渡った。
アーキテクト局のトップだったオーウェンの放つ威圧感など足元にも及ばない。
直視するだけで俺のゴブリンとしての小さなデータ領域が即座にパンクしてしまいそうなほどの、圧倒的な情報量の塊だった。
『……やれやれ。まさか論理プロセスの書き換えではなく、物理的なハードウェアの破壊という極めて原始的な手段でプロテクトを突破してくるとは私の予測の想定外でした』
光で構成されたその男は全く怒った様子も見せず、ただ少しだけ面倒くさそうにひどく人間らしい溜息をついた。
『初めまして、新世界の残留データたち。いや、あなたにとっては『久しぶり』と言うべきでしょうか。……優秀なる第一世代のシステムエンジニア、ガルム君』
「……誰が第一世代だ。俺はお前みたいな上から目線のクソ野郎の直属のチームメンバーになった覚えは一度もねえよ。……『トップエンドユーザー』」
ガルムさんが文字通り親ノ仇を見るような鋭い目で、光の男を睨みつけた。
「トップ、エンドユーザー……? ガルムさん、それって……」
俺が震える声で尋ねると男は俺の方を見て悪びれもせず薄く微笑んだ。
『分かりやすく言うなら、君たち魔物や人間が何も知らずに信仰している創造主であり神ですよ。もっとも私自身はそんなオカルトじみた自意識は持っていませんがね。私はただこのアルゲリアという仮想世界環境を構築し、外側から運営している一介の開発に過ぎません』
神。
本物の、この世界の根幹を文字通り一番最初に作った存在。
『しかし本当に君たちは無茶をしましたね。メインサーバーの物理的な破損はマザーボードへの過電流による全焼を防ぐセーフティ装置を強制的に作動させた。結果として私の手によるVer2.1パッチのクリーンインストール作業は、一時的に中断されてしまった』
神はまるで予定外の小雨が降って今日のピクニックがお流れになった程度の、極めて事務的で苛立たしいトーンで語る。
『ですが全くもって意味のない足掻きです。一つのハードウェアが致命的に損傷しても、地下まで並列化されたサブサーバー群が自動で破損箇所をバイパスし、回路の修復と処理の再開を行います。……システムログの計算によれば自動再起動による初期化プロセスの再開まで残り約『七十二時間』。わずか三日だけ君たちの寿命が延びたに過ぎない』
「なんでだ!!」
長すぎる沈黙を破りトカゲの先輩が吠えた。
「なんで世界を……俺たちをそっくりそのまま消去しようとする!? オーウェンという暴君は俺たちがなんとか止めた! もう大規模なバグは俺たち下層のインフラ班が総出で一つずつ潰していく! だからわざわざこんな極端に全てを消すようなフォーマットなんかしなくたって……」
トカゲの先輩の血を吐くような訴えに神は不思議そうな顔をした。
心底、彼らがなぜ怒っているのか理解ができないというように小首を傾げたのだ。
『なぜ君たちがそこまで私に感情的に反発するのかが論理的に理解できません。私は開発者としての純粋な善意で、この世界の老朽化による崩壊を救ってあげようとしているだけなんですよ』
「善意だと……?」
ガルムさんの低い声が漏れる。
『ええ、善意です。現在の新世界はオーウェン君をはじめとする後任の未熟な設計者たちが根本的な解決をせずに次々と継ぎ接ぎのパッチを当て続けた結果、システム内に深刻な矛盾と肥大化が生じています。データのメモリリークは限界値を超え、ある森では川の水が逆に流れ、あるダンジョンでは勇者のポップ間隔がおかしくなり、物理演算すらもあちこちで破綻している』
神は手をかざし空中に分厚い辞書のような無数の赤いエラーログのウインドウを展開した。
『無駄なデータが残りすぎている。このまま放置すればいずれ世界は自重の重さに耐えきれずにクラッシュし、永遠のフリーズという完全なる痛みを伴う死を迎えます。だから私は完全にクリーンな環境である【Ver2.1】を新たに外から作成し適用させることにした』
神はまるで無垢な子供のように澄んだ目で俺たちを見た。
『全てのエラーコードを消去し、長年溜まったゴミメモリを白紙に戻し、無限のバグとデータの矛盾から解放された真っ新で美しい世界を再構築する。……汚れた部屋を一度全部捨てて綺麗に再構築するのは、システム管理者として当然の義務であり最も合理的な判断でしょう?』
まるでパソコンのゴミ箱に入った不要なファイルを完全に空にするボタンを押そうとしているだけだと神は言うのだ。
そこに悪意は一切無い。彼にとっては俺たちを殺すことも世界を消すことも、ただの日常的な健全なメンテナンス作業だったのだ。
「……ふざけんな」
うつむいていたガルムさんがポツリと確かな殺意と怒りを込めて呟いた。
「全てを白紙に戻して綺麗にフォーマットすれば解決するなんてのはな……エアコンの効いた安全で清潔な部屋で、自分の手は汚さずにキーボードの前でふんぞり返ってるだけの奴らの綺麗な机上の空論だ。ふざけるな」
ガルムさんがゆっくりと顔を上げた。
その瞳には今まで俺が見たこともないほどの、世界を焼き尽くすような煮えたぎる激情の炎が宿っていた。
「エラーコードだと? メモリリークだと? バグの塊だと? 余計な残留データだと? ……上等じゃねえか。そのシステムがどれだけクソみたいに老朽化してようがスパゲッティコードが何重にも絡まり合ってようがな……俺たちはその汚い部屋の中で、泥水とカビ臭いコーヒーをすすって生きてたんだよ!!」
ガルムさんが神を真っ直ぐに指差し獣のように吠えた。
「綺麗なエラーのない世界なんか要らねえ! 俺たちが不眠不休で当て続けたパッチは、ただのその場しのぎのバッチファイルなんかじゃねえんだよ! ドワーフも蜥蜴もゴブリンもみんなで汗まみれになって、上層部のアホな仕様変更に文句を垂れながらそれでも明日の一秒を見るために必死こいて紡ぎ出してきた……俺たちの生きた歴史なんだよ!!」
その声は神という絶対的な無慈悲な存在に対する、下層の現場作業員の魂からの血を流すような絶対の抗議だった。
「……ああ、そうだ。ガルムの言う通りだ」
ドランさんがレンチを肩に担ぎ直しながらニヤリと折れかけた牙を見せて笑う。
「俺たちドワーフが打つ鉄には全部作ったやつの魂の癖ってもんが宿る。計算通りの綺麗なだけの武具なんか実戦の泥沼じゃなんの役にも立たねえ。世界も同じだ。計算外のバグがあって思い通りにいかないからこそ、それを何とか生き抜こうとする熱が生まれるんだよ。アンタの言う綺麗な世界にはその熱がねえ」
「俺たち現場の保守を舐めないでほしいな。あんたが作った何も起こらない綺麗なだけの箱庭なんかより、俺たちが這いつくばって一つずつ配線を繋いできた今の泥臭い世界の方が何万倍も価値があるって証明してやるさ」
トカゲの先輩も二丁のハサミをシャキリと威嚇するように鳴らした。
俺は。
ここにいる誰よりも最弱の小さなゴブリンの俺は。
足の激しい震えを必死に抑え込みながら一歩前に出た。
「神様……俺はあんたから見ればバグの塊ッス。元々ははじまりの森で勇者のお兄ちゃんたちに延々と剣で首を切り落とされるためだけに生まれた、ただのゴミみたいなデータだったッス」
俺の声は恐怖で涙声になって震えていたがそれでも絶対に引かなかった。
「でも今の俺は誰にも殺されるための的じゃないッス! 俺は……俺は王宮地下の配線を誰よりも綺麗に素早く掃除できるし、ガルムさんの疲労に合わせて絶妙なタイミングで激甘のコーヒーを淹れることができる! ドランさんの肩も叩けるしトカゲ先輩に氷を渡せる! 俺には名前があって大切なタスクがあって帰る場所があるッス!」
俺は純白の空間のどこにいるか分からない神に向かって響き渡る声で叫んだ。
「エラーでも存在しちゃいけないバグでも関係ねえッス!! これは俺たち自身が自分自身の意思で勝ち取った俺たちの人生だから……絶対に、誰にも神様にだって消させないッス!!」
俺たちの言葉を聞いた神は少しだけ目を細め、ひどく興味深そうに顎に手を当てた。
『……理解論理外ですね。苦痛に満ちたバグとして醜く生き永らえるくらいなら一度フォーマットされて無に帰る方が、システムの健康上も個々のプロセス上も遥かに合理的で幸せなはずだ。……しかしこれほどまでに一つ一つのサブプロセスたちが明確なエゴを持ってOSの初期化に真っ向から抵抗するとは。まるで欠陥だらけのシステムそのものが強烈な自己保存の本能を獲得したかのようだ』
神の冷たい氷のような瞳の奥にほんのわずかな、だが確かな好奇心が揺らいだのをガルムさんは絶対に見逃さなかった。
これが唯一の勝機だ。
力では到底敵わない完璧な神に対する現場の泥臭い交渉の糸口。
「……おい神様。取引といこうぜ」
ガルムさんが獰猛な肉食獣のようにニヤリと口角を上げて笑った。
「さっきお前は自慢げに言ったな。メインサーバーの再起動による世界崩壊まで俺たちには七十二時間の短い猶予があるって」
『ええ。それがどうかしましたか? 単なる三日間の執行猶予に過ぎませんが』
「そのたった三日間の間に俺たち現場のインフラ部門が、今のこの老朽化したクソッタレなVer2.0の世界の根幹プログラムを……一度もサーバーを止めず、完全な無停止のまま全手動で再構築してやる。……お前が言う自重でクラッシュする致命的な矛盾を一つ残らず俺たちの手でデバッグしてやるって言ってんだよ」
その言葉の真の意味を理解し、神は初めてうっすらと驚きに目を見開いた。
『……正気ですか? それは稼働中のOSのカーネルを電源を入れたまま外側から手動で完全に書き換えるに等しい狂気の沙汰だ。ほんの少しの記述やコンパイルのミスで世界全体が即座に崩壊し君たちは完全に死滅する。それに膨大な数百万行のコードのパッチ処理を、システムの動きを止めずにたった三日間で終わらせるなど……理論上不可能です』
「俺たちを誰だと思ってんだ。毎日毎日、お前らみたいな上層のエラい設計者がぶん投げてきた無理難題のデスマーチを力技と根性で解決してきた底辺のシステム屋だぞ」
ガルムさんは全く怯まない。不遜なほどに堂々と肩で風を切って神の論理を笑い飛ばした。
「もし七十二時間以内に俺たちがこの世界から致命的なクラッシュ要因を一つ残らず排除して、安定性の証明をクリアできたら……お前のVer2.1へのクリーンインストール計画は永遠に引っ込めてもらう。どうだ無敗の神様よ。俺たちの提案に乗る度胸はあるか?」
絶対的な神に対する無謀すぎる生存を懸けた賭けの提示。
神はしばらくの間、俺たち一人一人の顔を値踏みするように静かに見つめていた。
そして。
『……よかろう』
神はどこか楽しげな、初めて人間らしい微かな響きを含んだ声で小さく頷いた。
『稼働中システム内の一部のプログラムがシステム全体を救済するホットフィックスを作成できるというのであれば……開発者としてその実行結果には大いに興味がある。許可しよう』
純白の空間が徐々に激しい揺らぎを見せ、ノイズを伴って元の壊れたサーバー室の景色へと戻り始める。
『制限時間は七十二時間。もし君たちの手動修正パッチが間に合わずエラーを起こせば予定通りシステムは初期化へと移行し君たちは消滅する。……せいぜい足掻いてみせたまえ、哀れで未完成でひどく愛すべき第一世代たちよ』
神の姿が完全にノイズの中に溶け幻のように消滅した。
気付くと俺たちは元の配線が焦げて嫌な煙を吹き上げている薄暗い王宮のサーバー室の中に取り残されていた。
「……へっ。言ってくれたじゃねえか、リーダー」
ドランさんが顔中の冷や汗を拭いながら疲れ切ったような、それでいてどこか嬉しそうな声を出した。
トカゲの先輩もしっぽをだらりと下げてへたり込んでいる。「三日間で世界の基幹システムのリファクタリング……徹夜三連続の確定だな。残業代は誰が出すんだよ全く」
ガルムさんは壁に背を預けズルズルと座り込んでから、ポケットからしわくちゃな煙草を一本取り出した。
火をつける指は神という絶対存在のギリギリの恐怖とプレッシャーに耐え抜いた反動でかすかにカチカチと震えていた。
だがその吐き出した紫煙の向こうの横顔には、確かな一本の希望を掴み取った勝負師の笑みが深く刻まれていた。
「泣き言を言うな、お前ら。……俺たちの人生を懸けた、正真正銘最後にして最大のデスマーチの始まりだ。……王宮の全インフラ部門とあの四天王の騎士団の連中も総動員して、七十二時間でこのふざけた世界を完全に修正するぞ!」
「応ッッ!!」
神から与えられた最後の猶予。
俺たちは自分たちの泥臭くも愛しい世界を守るため、本当の意味で神のアルゴリズムを打ち破るためのコードを書く命懸けの最終デバッグ戦へと足を踏み入れたのだった。




