第20話 勝利の翌朝も、バグは律儀にやってくる
新世界(Ver2.0)アルゲリア王宮地下最深部、トラブルシューティング部門。
オーウェン・ヴィンセントという最悪のシステムアーキテクトが旧・魔王軍の理不尽極まりない四天王たちの手によって社会的に完全消去された、痛快なる大勝利の翌朝。
この日の地下執務室はかつてないほどの穏やかで平和な、まるで天国のようなリラックスムードに包まれていた。
「いやー、美味い! 美味すぎるぜ!」
ドワーフのドランが王都の闇市で仕入れてきた最新式の全自動魔導コーヒーメーカーから注がれた香り高い至高のブラックコーヒーを傾けながら、太い髭を撫でて満面の笑みを浮かべていた。
「あのクソ生意気なオーウェンのお陰で、上層部からの明日の朝までにこれを実装しろみたいな無理難題な仕様変更のスパムメールが、今朝は全く一つも飛んでこねぇ! 平和って最高だな!」
「全くだ。昨晩は俺たち一族の鱗のツヤを良くするための特製の泥風呂に十二時間もゆっくり浸かれたからな。これならキーボードを叩くスピードもいつもの五割増しだ」
蜥蜴人のネットワークエンジニアが青光りする太い尻尾をゆったりと揺らしながら、高級な爪やすりで自分のタイピング用の爪を丁寧に整えている。
部屋の隅では、ゴブリンの雑用係がご機嫌な鼻歌を歌いながら、普段はカビとホコリと栄養ドリンクのシミだらけの床にアロマ・ポーションを撒いてピカピカにモップがけを行なっていた。
「……ははっ。お前らすっかり平和ボケしやがって。だがまぁ確かに今日ばかりは俺もクソ不味い胃薬を飲まなくて済みそうだ」
ガルムもまた白衣のポケットに手を突っ込みながら欠伸混じりに笑った。
ディープ・メモリー・コアの致命的な開封パッチは白紙撤回され、チームを襲っていた解雇の恐怖も完全に去った。
何よりも自分たちを死の淵まで追い詰めた第三インシデントのトラウマを、最高の仲間たちと共に立ち向かい乗り越えられたという事実がガルムの肩の荷を信じられないほど軽くしていた。
「よし。今日は昼過ぎには定時で上がって、久々に王都の美味い酒場にでも行くか! 俺の技術長としての奢りで一番高い肉でも高級な樽酒でも好きなだけ食わせてやるぞ!」
ガルムが最高の大盤振る舞いを提案したその瞬間だった。
ピーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!
執務室の壁に設置された滅多に鳴ることのない最上位危険度の物理魔導アラームが鼓膜を劈くような絶叫を上げ、薄暗い部屋全体が真っ赤な警告の光に包まれた。
「な!? なんだ!? オーウェンの残党のハッキングか!?」
ドランが飲みかけの高級コーヒーを派手に噴霧器のように吹き出しながら巨大な魔導レンチを構えた。
「いや……違う! ネットワークの外部からの攻撃じゃない!」
トカゲ男が弾かれたように己のターミナルにしがみつき、恐るべき速度でタイピングを行い異常なトラフィックログを解析する。
「王宮システムからの自動の異常検知だ! 場所は王都の中央広場……!! おいガルム、マップのスポーン地点に存在しないはずの超高濃度の神聖レベル99エンティティが突然発生したぞ!!」
「神聖レベル99のエンティティだと……!? ば、馬鹿な! 王都にいる勇者アレンは今ギルドの慰安旅行で隣町に二泊三日で出かけているはずだぞ!!」
ガルムは血相を変え自らの魔導水晶ターミナルを叩き割る勢いでアクセスした。
画面に映し出された監視カメラの映像を見て、ガルムの顔色が一瞬にして昨日までの絶望とは全く別の種類のどス黒い蒼白へと染まった。
「……嘘だろ。おい全員武器を持て!! 今すぐ中央広場へ向かうぞ!!」
「一体何が出たんだよ!?」
「バグだ!! あり得ない規模の最悪の生きたシステムの暴走だ!!」
ガルムのその怒号と共に、平和な朝のコーヒーブレイクはたったの三分で完全に木端微塵に砕け散った。
王都アルゲリア、中央広場。
普段は商人や観光客で賑わう平和の象徴たるその場所は、現在阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「魔王はどこだぁぁぁッ!! 邪悪なる闇の波動を感じるぞ!! 出てこい俺が光の剣で浄化してやるぅぅぅッ!!」
噴水の上に立ち白昼堂々太陽のように眩い伝説の聖剣をデタラメに振り回して絶叫しているのは一人の屈強な青年だった。
「ひ、ひぃぃぃっ! お助けぇぇえ!! な、なんでいきなり剣を振るんだ!!」
その神聖なる凄まじい剣圧から這うように逃げ惑うのは、ただ屋台で串焼きを売っていただけの少し太った親父や平和に日向ぼっこをしていた王都の野良犬たちである。
現場に駆けつけたガルムたちはその暴走する青年の姿を見て息を呑んだ。
「おいガルム……アイツのツラ……勇者アレンにそっくりじゃねぇか……?」
ドランが信じられないというように目を何度も擦る。
確かに青年の顔立ちや体格は現在の王都の英雄である勇者アレンと瓜二つだった。同じ金髪、同じ白と青の聖なる鎧の基本アセットを完全に流用しているのが一目でわかる。
だが、見れば見るほど決定的に違う点がいくつかあった。
まず、青年の顔にはゲームのNPCのような完全に固定された初期設定の無機質な笑顔が常に張り付いていること。
さらに、彼が着ている聖なるマントの裏側や鎧の肩当ての隅っこがロード遅延を起こしたようにピンクと黒の市松模様になっており、時折右腕のポリゴンが欠けて空間がバグっていることだ。
極め付けは彼が握っている眩い聖剣の刃の側面に、空中に浮かぶシステムフォントで『Holy_Sword_Asset_01(仮)』というダミーテキストがそのまま表示されてしまっていることである。
ガルムは急いで手元のターミナルから青年のパケットデータを強制スキャンした。
そしてその恐ろしい正体を読み取り、あまりの頭痛に両手でこめかみを強く押さえた。
「……名前のIDは『HERO-010』。ローカルの開発環境専用の、デバッグ用勇者アカウントだ」
「は? デバッグ用の十人目の新勇者だと……!? 冗談じゃねえぞ、ここはすでに魔王が死んで平和になった本番環境だぞ! なんでそんなロード画面みたいな開発中の作りかけテストデータが王都のど真ん中にいきなりスポーンしやがったんだ!!」
「オーウェンの野郎の最悪の置き土産だよ!!」
ガルムは血を吐くような声で叫んだ。
「あいつ昨日の朝俺たちが止める前にVer 2.1 パッチの適用コードを一部強制実行させていたんだ! パッチ本体の致命的なバグは防いだが、その処理の余波として『次のバージョンの通信テスト用として作られていた存在目的のない新勇者』だけが誤ってこの本番の世界に混入されちまったんだ!!」
システムアーキテクトが強引にかつ適当にテストもせずに走らせた不完全なパッチが予測不能なカスケード障害を引き起こし、最も厄介な物理的な神聖バグを生み出してしまったのだ。
「邪悪な魔物の気配がするぞッ!! そこかぁぁぁ!!極・聖光斬破!!」
新勇者が固定された笑顔のまま、一切の躊躇なく聖剣(仮)を振り下ろした。
凄まじい光の刃が広場の美しい大理石の石畳をぬるいバターのように切り裂きながら直進していく。
その光刃の向かう先にはただ迷子になって路地裏で泣いていた無害なオークの子供がいた。
平和なVer2.0の新世界では魔族の一般市民も王都に共存して住んでいる。だがあのデバッグ勇者の初期設定のAIには、「オーク=魔王軍=絶対に斬るべき絶対悪」という単純でレガシーなアルゴリズムしか組み込まれていないのだ。
「危ねぇッ!!」
ドランが凄まじい瞬発力で飛び出し、背負っていた巨大な防波用魔導シールドを展開してオークの子供の前にどっしりと立ち塞がった。
ガガガガガガァァァンッッ!!!
「ぐ、ぬぅぅぅおおおおおおぉぉッ!!」
防衛特化のドワーフであるドランが、両足の大理石を粉砕しながら数十メートルも後ずさり、シールドから激しい火花と焦げた煙を噴き上げた。
「ド、ドラン!? 大丈夫スか!!」
「痛ぇぇぇぇッ!! なんだこの馬鹿みたいな高倍率のダメージ係数は!! 骨が全身の骨が軋むぞ!!」
ドランが悲鳴を上げながら、かろうじて光の刃を上空へと弾き飛ばす。
「そりゃそうだろうな」
ターミナルを解析していたガルムが、絶望に顔を引き攣らせたまま冷や汗を流した。
「……奴は魔王の強さをテストするためのデバッグ用アカウントだ。つまり、あらゆる限界設定を無視した初期パラメータALL 999の完全なるチート状態で出力されている! 単純な物理攻撃力だけなら本物の勇者アレンの十倍以上はあるぞ!!」
「じゅ、十倍だとぉっ!? ふざけるな、そんな特大の爆弾が思考停止で街中で暴れたら王都が一瞬でクレーターになって消し飛ぶぞ!!」
「見ろ!! また次のデタラメな攻撃モーションに入ろうとしている!! 対象は……あそこの屋台のオヤジだ!!」
「不衛生な油で肉を焼くとは、貴様も魔王の配下の毒使いだな!! 死ね!!」
新勇者は衛生観念の少し悪いだけの気の毒な串焼き屋の親父に向かって、何故か今度は空を飛ぶ絶対追尾・聖なる隕石の詠唱に入った。
彼には「倒すべき魔王」という本来の絶対目的が存在しない。そのため存在目的が重大なシステムエラーを起こし、目に映る少しでも怪しい者を全て「魔王軍の残党」と無茶苦茶に誤認して全力で致命的なバグ処理を行おうとしているのだ。
「マズい!! お前ら全力でアイツを取り押さえろ!! 武器による攻撃は絶対に与えるなよ! 奴のHPはデバッグ用の無限大設定だから倒せない上に、システム内に『市民が勇者を攻撃した』という反撃ログが残ったらこっちが確定で国家への反逆罪になる!!」
ガルムの無茶苦茶な命令にインフラチームのメンバーたちは涙目で絶叫した。
「物理でぶん殴れない上に相手はチート火力!? 逆に王都から暴走勇者を守らなきゃいけない接待プレイだなんて、いくらなんでも理不尽すぎるッス!!」
だが嘆いている暇はない。王都の破壊を防ぐため彼らは持てる全てのバグ対応スキルを総動員して最凶のポンコツ勇者に挑みかかった。
「させねぇ!! 遅延パケットの沼!!」
トカゲ男がキーボードを叩いて勇者の足元に特殊な巨大魔法陣を展開した。それは空間のネットワーク速度を強制的に極端に遅くするデバフ専用領域だ。
ズブブブと勇者のメテオを振り下ろすスピードが、通信制限にかかった映像のコマ送りのようにカクカクと不自然に遅延し始める。
「今だ!! ゴブ太、レイナ!! 今のうちに物理で拘束しろ!!」
「はいッス!! 物理拘束超硬ワイヤー!!」
「くらいなさい一族秘伝の麻痺の魔眼!!」
ゴブ太が王宮の機材庫から持ち出した強靭な魔導ケーブルを投げ縄のように投擲し、勇者の全身をミノムシのようにグルグル巻きに縛り上げる。
すかさずダークエルフのレイナが至近距離から強烈なスタン効果を持つ魔法を脳天に叩き込み、勇者の筋肉の動きを強制的にショートさせた。
「おおぉぉ……!? 足に……邪悪な絡みつく呪いが……!! 体が痺れる!! だが勇者の鋼の闘志は決して屈しないぃぃッ!!」
しかしALL 999の異常なステータスを持つ新勇者は、カクカクとバグった挙動のまま力任せにブチブチと太いLANケーブルを引きちぎり一歩また一歩と前進し始める。
「ダメだ、物理拘束じゃ完全に抑えきれねぇ!! ガルムどうにかして根本的なタスクキルはできないのか!?」
太いケーブルの端を必死で三人で引っ張りながらドランが顔を真っ赤にして土属性の重量魔法をかけて叫ぶ。
「無理だ!! 奴は正規の勇者アカウントのタグを持った独立したシステムエンティティなんだぞ!! 俺たちの末端の権限で勝手にデリートすれば勇者システム全体にカスケード障害が連鎖して最悪世界そのものがクラッシュする!!」
ガルムはコンソールを限界の速度で叩きながら、最も安全でかつ被害を出さないための隔離手段を血眼になって構築していた。
その時ガルムの脳裏に、長年培ってきたインフラ屋ならではの古典的かつ天才的な仕様の穴が閃いた。
「……そうだ。あいつのポンコツな頭の中のアルゴリズムは『魔王を倒す』という単純なテスト指令だけだ。だったらそれに適した目的地を与えて釣ってやればいい!!」
ガルムは自らの管理者権限をフル起動し、王都のマップデータの属性タグをコンソールから強引に書き換え始めた。
カタカタカタカタッ!! ターンッ!!
「おい、そこのテクスチャの剥げたポンコツ勇者!!」
ガルムは立ち上がり、汗だくになりながら広場に響く大声で叫んだ。
「魔王の居場所がわかったぞ!! この王宮の地下最深部、俺たちのカビ臭い執務室のさらに奥の隔離室だ!! そこの座標属性をたった今『魔王城の玉座の間』に書き換えてやった!! 魔王はそこで震えて待っているぞ!!」
その言葉を検知した瞬間。
新勇者のエラーで赤く点滅していた瞳がピタリと正常な青色に戻り、固定された笑顔がさらに深く嬉しそうに歪んだ。
「……おお!! 見つかったか邪悪なる魔王の居城!! 教えてくれて感謝する善良なる市民たちよ!!」
青年は串焼き屋への理不尽な隕石攻撃をあっさりとキャンセルすると、クルリと身を翻した。
「待っていろ魔王!! この聖剣が貴様を必ずや討ち滅ぼす!! ウオオオオオオオオオオッッ!!」
新勇者は弾丸のような限界突破の超スピードで王宮の地下室に向かって一直線に爆走していった。
「……ふぅーーーーっ」
ズドォォォンッ!と地下の奥深くから重い扉を破壊する音が聞こえたのを確認し、ガルムは地面に大の字になってへたり込んだ。
ドランもトカゲ男もゴブ太も、全員が精根尽き果てた顔で石畳の上に倒れ伏している。
「……どうやら、なんとか地下の絶対防護・隔離室に誘導して外部から分厚い物理ロックをかけることに成功したみたいッスね……」
ゴブ太が泣きそうな声で澄み切った青空を見上げた。
「とりあえずあそこなら奴が発狂していくら聖剣を振り回しても、王都の一般システムには一切の影響は出ないはずだ……」
ガルムも激しい疲労で痙攣する指先を見つめながら深く重いため息を吐き出した。
数時間後。
王宮地下最深部、トラブルシューティング部門。
執務室のさらに奥にある、分厚い魔力防護壁で囲まれた隔離室の中からズンッ! ズドンッ! という凄まじい体当たりの音が一定のリズムで響き続けていた。
『ここは魔王の強力な結界か……! 破るのに時間がかかりそうだ! だが勇者は何度でも立ち上がるぞ! 待ってろ魔王!!』
分厚いガラス越しに中を覗き込むと、初期設定の笑顔を張り付けた新勇者が真っ白なコンクリートの壁に向かって何の意味もなく延々と頭突きと聖剣のフルスイングを繰り返している。
「……あのー、PLさん」
ゴブ太が完全に冷え切った高級コーヒーを哀愁漂う顔ですすりながら引き攣った顔でガルムを見た。
「またうちの部署にとんでもない不良在庫を抱え込んじゃったッスね……?」
「言わせるな……」
ガルムは今朝絶対に飲まなくて済むはずだった強力な胃薬ポーションの瓶をあおりながら絶望的な未来の予感に頭を抱えた。
「あいつはシステム上絶対にこちらの手からはデリートできない特権アカウントだ。つまりあのポンコツ勇者の壁殴りループが途切れて飽きられないように、俺たちが毎日定期的にあの部屋の中にダミーの敵を生成してあいつの機嫌を満たし続けなきゃならないってことだ」
「マジかよ……。地獄のデスマは昨日で終わったと思ったのに、今度は勇者の接待係まで追加かよ……!! 休みが減るじゃねえか!!」
ドランが机の上で突っ伏して子供のように嗚咽を漏らす。
「ああ……しかもあの目的のない最強のデバッグアカウント。いつか必ずこの王都のシステム全体を巻き込む最悪の火種に育たなきゃいいがな……」
ガルムは、壁の向こうでズドンズドンと鳴り響く恐怖の足音を聞きながらカビ臭い地下室の天井を恨めしそうに見上げた。
オーウェンという大いなる悪を打ち倒し輝かしい大勝利を収めたはずの翌朝。
新世界(Ver2.0)は、やはりどこまでも現場のインフラ屋に対して、理不尽で容赦のないバグを律儀に送り届けてくるのであった。




