エピローグ:そして未来を紡ぐ
「…あの化け物は死んだか。汚れ仕事をさせるにはちょうどよかったが――良い。どうせ持て余していた所だしな」
晒し首となった二つの首。
一つは邪眼の男、そしてもう一つは隣国の王女。
森の中に再び立ち入った兵士達が持ち帰ったそれを見て、どうやら自ら命を絶ったようだ、と黒髪赤眼の魔法使いに呪をかけていた術師は報告した。
それを聞いた国王は、まるで鬱陶しい虫が漸くいなくなったとでも言いたげな表情で鼻を鳴らすと、享楽に耽る。
国王という権威さえなければただの脂ぎった小太りの初老の男が、豪奢な造りの部屋で、遊女達と戯れていた。
その男にとって、『邪眼の魔法使い』とは、大した意味を持たなかったのだ。
「へーえ。とうとうやっちまったのか。残念だなあ……そこまで悪行を重ねなければ、もう少し良い思いが出来ただろうに」
聞き覚えのない低い声が、唐突に国王の寝室に響き渡る。
先刻、術師が立っていたはずの場所に、何故か見知らぬ人間がいた。
「な、何者だ! 無礼者め、わしを誰だと――」
「お前こそ俺を誰だと思ってる、このクソ野郎が」
苛立ちの籠った美麗な声がそう言った瞬間、絡み合っていた女達が一瞬にして変化した。
落ち窪んだ眼窩、獣とも蛇ともつかない恐ろしい容姿――。
「ぎゃあああああ!!!」
何度振りほどこうとしても、女達の腕は離れない。
その大きな頤が、男の頭に食らいつく――。
「魔法使いの中の魔法使い、千年の長きを生きた『魔法王』とは俺のことだぞゴミが」
この呼び名あんまり気に入ってないけどなー、と彼は近くにいた精霊達に嘯く。
神にすら愛されたとされる魔法使いの祖は、ひどく掴みどころのない青年なのだということを知る者は、ほんの僅かしかいない。
「ったく、世話のかかるガキ共め」
面倒臭そうに、それでいて楽しげに、世界一の魔法使いは呟いた。
それから、国王を始め、その国の王族や政治の中枢を担っていた者達と、隣国の王の正妃などが皆、幻覚を見て叫び続ける程に気を狂わせたことから、二つの国には、王族は呪われるのだという不気味な噂が立ち、圧政を強いられていた民達は蜂起を起こした。
気狂いの者達は薄汚れた塔の中に隔離され、決して正気に戻ることはなかったとか。
――唯一、隣国で病に倒れていた王だけは、民にも慕われており、蜂起の直後に病が原因で亡くなったために、丁重に葬られたそうだ。
誰も、晒しものにされていた二つの生首がいつのまにかなくなっていたことなど、気付きもしなかった。
そして、いつからか、亡くなった国王の墓の周りに、ある白い花が植えられていたことにも、人々は首を傾げるだけだった。
それが、王が心から愛した女性の名前と同じ花であることを、誰も知らない。
「ちょっと!! 返事は声に出してしなさいって何度も言ってるでしょ!? 何度言えばわかるのよ!!」
「……すまない」
「ええーい、このやりとりも何度やれば気が済むのー!?」
人が滅多に踏み入れることのない、「迷いの森」と言われる大きな森の中で、少女の怒りの声が響いていた。
少し大きくなった小屋は、以前よりも小奇麗になっている。
大分慣れてきた手つきで芋の皮を剥きながら、青年は少女にどつかれていた。
「全く、もう!」
ぷんすかと腹を立てる少女は、短いけれど綺麗な銀の髪と、鮮やかな黄金の瞳を持った可愛らしい容姿をしている。
傍らで調理の支度を手伝う青年は、黒い髪に赤い瞳の、珍しい色彩を宿した端正な顔立ち。
ルースという愛称を持つ少女と、彼女に名付けられたユーリスという名を持つ青年は、森の奥でひっそりと、平穏に暮らしていた。
何故二人が生きているのか。
それには、こういった事情があった。
まず、国王からの使者が来た時、彼は土塊で作り上げた少女の人形の首を撥ねたのだ。流れた血は全て幻影だった。
他に殺されたと思っている人間達も、外道な行いをしていない人間ならばすぐに解ける暗示にかけただけで、森の外に放り出したのだが――どうしているかは、知らない。
自分で自殺したようにみせかけたが、それも泥人形で、二つの人形の首は、今頃自然に土に戻っているはずだ。
ルシオラは、ユーリスが向き直って兵士達の視界から隠れた瞬間に、彼によって姿を変える魔法を使われていたので、実はあの場にいた。
……何とも可愛らしい、銀色の蛙の姿で。
これらの出来事を全て入れ知恵したのは、あの飄々としたトールという魔法使いである。
何を考えているのかわからないが、急に、彼の呪いを解いてくれるというおまけまで付けて、手助けをしてくれた。
ユーリスは知らない。
世界一の魔法使いは普段、無闇にその力を使わないようにしている。強すぎる力の行使は、世界のバランスを崩しかねないからだ。
――その彼が少しだけ力を貸してくれた理由は、前々から憎からず思っていたユーリスが漸く見つけた「幸せ」を守ってやりたかったからだということを。
精霊に愛された少年の様子を陰から見守りつつ、トールは過去を思い返していた。
世界の均衡を保つ為にも、各地を旅しているトールはある時、一人の魔法使いの噂を聞き、とある国に立ち寄った。
何でも、魔法使いとしてはかなりの力を持っているが、邪悪な瞳を持った異相の少年であり、国王の言いなりであるとか。
実際に会いに行き、その非道な扱いに怒りを覚えたが、呪術は術を掛けた本人にしか解くことができず、術者は巧妙にその身を隠していて、中々尻尾を掴ませない。
無理にその呪いを解こうと力を使えば、世の理に触れることになる。
精霊に愛される人間は希少だ。
少年が何の感情もこちらに見せずとも、何故か彼を気に入ったトールは、彼が望むならばその呪縛を解いてやろうと思っていた。
けれども、少年は何も望まない。
そればかりか、生きたいという気持ちも死にたいという絶望もなく、空っぽと言えた。
呪いを解くには、本人が生きたいと望んでいなければできない。
王をすぐに消しても良かったが、その場合は術者が呪いで少年を殺してしまうだろうし、術者を探し出して王の後を追わせても、呪いは残ったままになる。
何か手立てはないだろうか――そう悩みながら、結局できたことは、呪いを緩和させ、その進行を遅らせることだけ。
だから、トールは喜ばしかった。彼が気に掛けた少年が、生きたいと思える程に大切な相手と出会えたことが。
しかも、その相手が――。
「まさか、あいつの子孫とはなあ」
彼にとってはまだ、ほんの少し前にしか思えないが、人の時間に換算すると、遥か昔の話。
親友と呼んで良い程に、仲の良い友人がトールにはいた。
銀の髪に黄金の瞳の青年は、知恵と知識に優れ、いつからか賢者と呼ばれていたものだった。
多少偏屈な所はあったが、何だかんだと世話焼きで、あの少女に良く似ていた。
ふと、顔を真っ赤にして「今見たことは忘れなさいよ」とこちらへ凄んできた少女のことを思い出す。 相手が誰であろうと、あの少女には関係ないらしい。
実に豪胆だ。何で名前を付けて上げなかったのよと責められたことも、中々新鮮な体験だった。
確かに、少年に名前がないことを失念していたのは己の過失だ。
少年と会っていた時は、ほとんど言葉が返ってこなかったし、どうにか心が開けないものかと悩んでばかりで気付かなかったのだ。自分も未熟ということだろう。
いくら振りと言えど、正確すぎる己の魔法で実物のように作りだした少女の首を跳ねたことは、ユーリスに深い傷を与えたようで、彼は兵士達がいなくなった後、再び内に閉じこもり掛けていた。
その心を引き戻したのは、他でもないルシオラで。
「何でよりによってカエルなんかにしたのよー!!」と、乙女心を傷つけられた元王女様は、トールによって魔法が解かれるや否や怒り狂い、黒髪の魔法使いの胸倉を引っ掴んで、豪快に頬を殴り飛ばしたのだった。何かに変身させられるとは知っていたが、カエルにされたのはよっぽど気に食わなかったらしい。
意識を一瞬飛ばしたが、すぐに目を開き、何が起こったのかと瞬くユーリス、ぽかんと口を開けてそれを見ていたトール。
唖然とする男共を睨みつけ、しかもやりすぎなのよ乙女になんてもの見せるのよ、等々、ルシオラは散々にユーリスを怒鳴りつける。
その烈火のように激しい少女の様子にたじたじになるユーリスへ、次いで彼女は解呪の法を行った。
その様を、忘れろとルシオラはトールに言ったのだ。
少女にひたすら翻弄されたユーリスは、心を閉じる間もなく、あの小屋へと連れて行かれたのだった。
完全に尻に敷かれているようだが、中々仲睦まじいようだと、回想を終えてトールは笑う。
あの少女に任せておけば、あの少年も大丈夫だろう。
またいつか、様子を見に来よう――そう思いながら、二人の精霊の愛し子達の微笑ましいやり取りを見守って、世界で一番強いとされる魔法使いは、姿を消したのだった。
ふと、夕飯を作る手を止めて、ルシオラは隣で芋の皮を向くユーリスへ尋ねた。
答えをもらっていないことがある、と気付いたのだ。
「あ、そういえば。どうして私をカエルに変えたの?」
「――とっさのことで、あれしか呪文が浮かばなくて……」
それに、あれが一番手っ取り早かったと思わず口にして。
乙女心を知らない魔法使いは、近くにあった様々なものを投げられ、命の危険を感じた挙句、暫く愛しの姫君に口を効いてもらえなかったとか。
やがて、その森の中に、夫婦と、愛らしい子ども達の笑い声が響くことになるのだけれど。
――それはまだ、先のお話。
あなたは知っているだろうか。
物語の中では、女の髪は強い力がこもりやすいと。
そして、掛けられた呪いを解く方法は、真実の愛の口付けであると相場が決まっているのだと。
魔法使いトールは、呪いを解く方法について二人に知識を与えた。
一つの呪具と、一つの方法を用いるようにと。
その呪いがどうやって解けたのかは、銀の乙女が顔を真っ赤にして断固として口を割らなかったので、真相は定かではないが――結果を見れば、おそらく誰でもわかるだろう。
この物語も、例外なく、こう終わる。
めでたしめでたし、と。
このように書くと叱られそうだが、我が祖母ながらに、彼女は可愛い人であった。
“フーツラ・フィーネ著『カエルの王女様』より”
一話一話の長さが安定しない話ですみませんでした。どこで切っていいかわからず…!
大分昔に書いた話を改稿したので、読みづらいかとは思いますが一応本編は完結です。




