第九十二話 戦いのあと
指揮官の幕舎が爆破されたあとの混乱で逃げ出そうとした兵もいたが、包囲を抜けることはできず、ことごとく捕虜となった。
砦の中で抵抗を続けていた敵兵も、今は武装解除の命令に従っている。先ほどの短い戦闘で敵兵の多くが傷を負っていたが、動ける状態にある者が負傷者の介護に当たった――ジルコニア軍が使っている痛み止めは効果が弱いものだったので、重傷者には俺が用意した薬を与える。
もちろん味方の傷を治療することを優先したが、随伴していたケイティさんも驚くほどに負傷者は少なかった。砦の中にある幕舎を一つ開けさせて味方の負傷者を収容したが、重傷者が三名出てしまったものの、命に関わるものにはならずに済んだ。
「……これで良し……よく頑張りましたね」
この患者は矢を受けて緊急の手術が必要だったが、部分的な麻酔だけでよく乗り切ってくれた。助手についてくれたケイティさんの手を握り、笑顔を見せてくれる。
「ありがとうございました……先生……」
俺は患者さんに笑いかけると、もう大丈夫だということを改めて伝える。縫合した部分に痕が残らないようにするには抜糸してからの処置も大事なので、経過をしっかりと見なくてはいけない。
植物由来の繊維による縫合は、俺にとっては得意中の得意だ。縫合にかかる時間も外科医として仕事をするには重要だが、俺の場合はあまりに早すぎたために異常と見なされ、参考記録として扱われてしまった。
「これだけの技術があれば、きっと首都でも引く手数多だったでしょう」
ケイティさんはそう言ってくれるが、研修先の病院で雇ってくれるという話が出るだけでやっとだった。首都の医者たちは魔法学院ではなく医術専門の学校を出ており、精霊魔法を使う医術よりも通常の医術を主流として考えているため、俺は異分子だったわけだ。
首都でなければ精霊医を含め、医者は確かに引く手あまただが、権力者の主治医として囲い込まれてしまうこともあるという。俺の場合もそうなる可能性があった――今はこうして騎士団に来ることができて、本当に良かったと思っている。
「またいつか、グラス先生のことが認められて、首都に戻られるときが来たら……」
「いえ、俺はずっとここにいますよ。首都には家族がいますから、一生戻らないというわけでもない……と思いたいんですが。どのみち、簡単に首都に戻ることはありませんし、できないでしょう」
「……お話は、噂で聞きました。国王陛下からの使者として来られた方が、アスティナ殿下を批判されて……そして、それが今回のことに踏み切る理由になったのだと」
国王陛下の使者――ヴァイセック。彼はアイルローズ要塞で拘禁している捕虜をただちに解放せよと、無茶な命令を伝えてきた。
その背景も、今でははっきりと見えている。第二王妃は、ノインをジルコニアに送り込んだヨルグ=フロストと通じている。
ヴァイセックを国王陛下の勅令を伝える使者として、アスティナ殿下を侮辱するようなことを言うように仕向けたのは、第二王妃である可能性が高いということだ。
「陛下は、何をお考えでいらっしゃるのでしょうか……血を分けた娘であるアスティナ殿下を、追い詰めるようなことをなさっているように見えます。殿下もさぞお辛いはずなのに、気丈に戦っておいでになる。そのお姿を見るだけで、私は……」
「……殿下は、ジルコニアにアイルローズ要塞を渡すことは絶対にしないと誓っています。アレハンドロ将軍を破ったこと、敵兵を砦ごと捕虜にしたことは、それだけでもジルコニアに対する抑止力となるでしょう」
不安そうに胸を押さえていたケイティさんは、俺の言葉でいくらか緊張を和らげて微笑んでくれた。
「……グラス先生は戦いにも出て、軍医としてのお仕事もなさって。絶対に倒れたりなさらないように、私たちも全力で努力します。先生の負担を少しでも減らせるように」
ケイティさんは衛生兵の帽子をきゅっと被り直し、隊長の腕章の位置を直すと、部下の人たちと一緒に幕舎の外に出ていく――負傷者の救護が早く済んだので、食事の準備を手伝いに行くようだ。
俺はアレハンドロの打撃を受けてしまい、今は休んでいるプレシャさんの様子を見に行く。
「……ん。グラス先生……」
「そのままで大丈夫です、プレシャさん。まだ安静に……」
プレシャさんが俺に気づいて身体を起こす――しかし先ほど治療の途中から眠ってしまっていた彼女は、自分の状態に気がついていなかった。
「っ……プ、プレシャさん、毛布を……その、胸を隠したほうが……」
「……え?」
幸い、骨にヒビは入っておらず、打撲の炎症を鎮める軟膏を塗って、患部の腫れが引くまで保護するために包帯を上半身に巻いた――治療するときは無心だったが、サラシのような巻き方ではないので、鎧の下に着るアンダーシャツ越しでも胸の形がはっきりと出てしまう。
「あっ……み、見ないで……っ」
「す、すみません、俺が無神経に近づいたから……」
プレシャさんは毛布を手繰り寄せて、俺は目を逸らす。これでも話せなくはないので、痛みがないかを聞いたらすぐに幕舎を出なくては――そう思ったのだが。
「……あ、あたしこそごめん、先生はお医者さんだから、そういうこと気にしないよね」
「……治療のときは、一心に集中しますが。でも、今は謝らないといけないと思います」
こんなとき「女性の身体を見ても何も思わない」と言うべきだろうが、不意のことで動揺してしまったのは確かで、嘘はつけない。
しかし責められるべきだと思っていると、プレシャさんの手がすっと伸びてきた――そして、彼女の方を向かされる。
「あ、あの……さっきはありがとう。先生たちのおかげで、あたし今も生きてられる。敵を甘く見たら死ぬって、いつもラクエル姉に言われてたのに、後先考えないで突っ込んで……」
「……あの時プレシャさんが挑まなかったら、アレハンドロは他の兵に紛れて逃げていたかもしれません。殿下とラクエルさんが来てくれるまでプレシャさんが戦い続けたから、この結果に繋がったんだと思います」
戦いのことでは、何も語ることはできない――だが、何とかプレシャさんを励ましたかった。
彼女は目を潤ませている――泣かせてしまうかと思ったが、涙は頬を伝わなかった。プレシャさんは目元を拭って、はにかみながら微笑む。
「……また馬鹿なことをした、って呆れられてなくて良かった」
「呆れたりするわけありません。俺はいつも、戦ってくれるみんなに感謝をしなきゃいけないと思ってます。軍の一員なのに、他人事みたいなことを言ってると思うかもしれませんが……」
「ううん、そんなことない。あたしたちの仕事は、戦う力のない人たちを守ること。先生は凄い魔法を持ってるけど、本当はあたしが守りたいって思ってる。あたしだけじゃなくて、みんなそうだと思うから、抜け駆けは駄目だけど」
心から嬉しいと思うようなことを言ってもらえているのに、あまりに身に余る言葉で、思考がついていかない。
俺はこの騎士団に来るとき、自分の力を認めてもらえなければ居場所を無くすと思っていたし、プレシャさんには無能と見なされたら切り捨てられるかもしれないなんて思ってもいた。
「……だ、だから……先生なら、見られても怒らないから……」
プレシャさんがそう言った瞬間――俺の視界は急に遮られて、前が見えなくなった。
「……グラス兄、見ちゃだめ」
「グラス様はお医者様だもの、見ないで治療をするのは大変でしょう」
「え、えっと……レスリー、そんなに厳しくしなくていいよ。グラス先生は、怪我の具合を見てくれてただけだし」
「……風邪を引くから、ちゃんと毛布をかけてください」
レスリーは目隠しを外してくれたが、やはり思うところがあるようだ――こんなに焼き餅焼きだっただろうか、と言うと怒られてしまうだろうが。
「ノイン、アレハンドロは……」
俺はアレハンドロの治療には当たっていない。矢を抜き、止血などの処置はされているが、それは敵の衛生兵が行ったことだ。
敵軍には軍医がいない――医者を従軍させるという考え方自体が、ジルコニアには無かった。これほどの規模の軍営なら医者がいてもいいと思うが、どうやら医者を育成する仕組み自体が、俺たちの国と比べて整っていないらしい。
アレハンドロの治療を本格的に行うかどうかは、彼が俺たちに従うかどうかにかかっている。敗軍の将である彼をジルコニア王や他の将軍がどう扱うのかについては、生易しい想像はできない――そしてアレハンドロは部下を捨て駒にしていて、求心力が大きく失われている。
「……意識を取り戻したけれど、口を開こうとはしない。最初に殺せと一言言ったきり」
「そうか……」
「グラス兄、もうすぐ食事の時間だから、その前にアスティナ殿下が来て欲しいって言ってた。できるなら、一緒にアレハンドロから話を聞きたいって……」
できるなら、という言い方からは、殿下の遠慮が感じられる。
アレハンドロが話さないなら、話させるほかはない。眠っている負傷者たちをそっと見守っていたルーナが、こちらにやってきて俺の袖を引っ張った。
「こんなときのために、私がいるのです。召喚主さま、私を頼ってほしいのです」
「……ああ。すまないな、ルーナ」
アルラウネの催眠によって、アレハンドロの知っていることを聞き出す。
ジルコニアはなぜ、レーゼンネイアに攻め入ろうとしていたのか。
そしてレーゼンネイアの中に、ジルコニアに通じている者がいたことを、ジルコニアの皇帝は把握しているのか――。
レスリーはプレシャさんを看ていてくれるというので、俺はノインとルーナを連れて、アレハンドロが捕らえられている場所へと向かった。
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