番外 籠の中の鳥は(エドワード・クラウン編)①
「あ」
子どもの頃の話だ。飼っていた鳥が卵を産んだ。
それは母が僕に与えてくれたもので、美しい鳥籠に入れて贈られた。
薄桃色に翡翠の瞳。可愛らしい声で囀る小鳥。
僕としては力を込めたつもりはなく、ちょっと『触ってみたい』という好奇心だったけれど、自分の手で簡単にひしゃげたものを見たときに、胸の奥がずんと重くなったのを覚えている。
僕にとって世界は、ある意味殆ど全てが『格下』だった。
踏みにじるつもりはないとしても、僕に宿る力は他者をひれ伏させてしまう。
それは同年代の子供たちも同様で、父や母か選んだ貴族の子どもたちが僕の宮に招かれた時、私以外の人間の全員が、倒れてしまい医者にかかることになってしまった。
――ただ、楽しく遊んでいただけだったのに。
『貴方は何も悪くない。貴方についてこれなかった彼らが悪いのよ』
母上は僕にそう言ったが、やはり僕が悪いのだろう。一向に友人と呼べる存在が出来ない僕に両親が用意したのは、僕から年齢がだいぶ離れた男だった。
「はじめまして。エドワード様」
その声を聞いた時、僕は本能的に理解した。
この人間は、簡単には壊れない。
エリオット・シルフィード。
彼は妖精の血を引くと言われている、シルフィード伯爵家の長男だった。
彼と出会って、僕の世界は一変した。誰かと食事をすることは楽しかったし、本について語ったり、自分に制限をつけずに魔法の訓練ができるのも楽しかった。
そして、自分は常に彼にはかなわず、彼が僕に歩幅を合わせてくれる――その感覚が、幼い僕にはただ嬉しかった。
彼の前では自分は普通の子どもで、彼は僕の意見を聞きながらも、『意見』として聞いているだけで、最終的には自分のやりたいようにやる勝手さが、僕は寧ろ好きだった。
王族ではなく普通の人間として、彼が僕に接してくれているようで――ただ母はそんな彼の勝手気ままさが少しお気に召さないようで、無礼だと仰っていた事もあった。
「そう言えば、お前に名前をつけていなかったね」
母に与えられた美しい鳥。
僕はその鳥に名前を与えてはいなかったが、彼にそれを指摘され、こっそり名前をつけてみることにした。
「……エル。お前の名前は、今日からエルだ」
エリオット・シルフィード。
愛称はエル。同時期、僕は彼のことを、『エル』と呼ぶようになった。
彼の住まいは別にあるから、彼が帰ってから僕を訪ねるまでの時間は、私は鳥を彼の代わりのようにそばに置いた。
籠のなかにいる鳥を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。
■
ある日のことである。
彼が、僕と同年代くらいの少年を連れてきた。
魔力は彼より低そうだが、それでも僕の『魅了』が効かないくらいには、魔力は高いらしかった。
少年の名前はノクス・ヴァーミリオンというそうだ。
彼曰く、ノクスは真面目で不器用なところがあるらしい。ただ根はいいらしく、僕も必ずノクスを気に入るはずだと彼は言った。
正直なところ、半分は口から出任せだと思っていたが、彼の言葉は正しかった。
ノクス・ヴァーミリオンという少年は、彼の言葉の通りの人物であり、僕が僕のそばに置いておきたいと思える人間だった。
エルが信頼できると断言しただけあって、ノクスは公爵令息には不似合いなほど純粋な精神をしていた。真面目で、まっすぐで。そうあれない瞬間があれば自分を罪人のように思っていそうな生真面目な不器用さが、僕は嫌いではなかった。
ノクスの妹と会ってみようと思ったのは、彼女が優秀だという噂というよりは、ノクスの妹を見てみたいと思ったからだった。
だが、友人の妹との初めての挨拶は、二人の母が亡くなったこと、その後のイザベラ・ヴァーミリオンの世間の評価の変化によって、意味が大きく変わってしまった。
「イザベラ・ヴァーミリオンでございます」
「君が、ノクスの妹か」
「――なるほど。確かに、『適う』人間らしい」
そして、一目見て『わかった』。イザベラ・ヴァーミリオンという少女は、未来を確約された存在だった。
ノクスが少女なら、彼女と同じ形をしていただろう。ただ一つ、違う点を挙げるならば――。
「『才能』」
それはもしかしたら、表には出さないノクスの自尊心の低さとも関わりがあるのかもしれなかった。
■
「お暇をいただければと思います」
それから少しして、エルが僕のもとを去りたいと申し出てきた。
「弟が倒れました。ずっと目を覚まさず――いつ目覚めるかも、わからない状態です」
「許さない」
僕の声は震えていた。
「僕より、弟を選ぶのか」
「はい。申し訳ございません」
僕が何を言っても、最後は彼は自分のやりたいようにやる。これまで、それを心地いいと思っていた自分の愚かさに、僕はやっと気がついた。
「結局は。……結局はお前も、僕なんて見ていないんだ」
彼は――エリオット・シルフィードは、これまでもこれからも、僕ではなく弟しか選ばない。
■
エルが僕の元を離れると宣言してからというもの、食事もろくに喉を通らなくなり、僕の気の落ちようは明らかだったらしい。
「何とおっしゃいました? 今――エリオット・シルフィードを罰すると?」
「貴方を蔑ろにしたのでしょう?」
僕を溺愛する母は、僕のために彼を罰すると言った。
「貴方を傷つけるなんて、許されることではないでしょう? 私はね、母として、貴女を守りたいのです」
僕はこれまで、沢山の人間を傷つけてきた。でも彼らにだって、彼らを思う母親はいただろう。
そんな彼らを替えの利く代替品のように扱う母が口にする親の愛情というものが、私はその瞬間、恐ろしく思えた。
鳥籠の中の鳥。
僕に与えられたあの鳥は、美しい姿ゆえに人間に捕まえられて献上されたものだったと聞いた。
母は、僕が喜ぶだろうと受け取って、僕に与えた。
僕さえいなければ自由だったはずなの鳥。空を飛べていたはずの鳥。僕が空を奪った鳥。
僕が、僕が、僕が――……。
「いいえ、お母様。彼のせいではありません」
だから僕は、僕を慈しむ母に微笑んで言った。
「少し、体調が悪かっただけなのです。今はノクスもいますし、公爵令息である彼のほうが、僕の友人にはふさわしいでしょう」
「そうなの?」
「はい。僕は彼が僕の元を離れても、悲しくなどはありません」
「そう? ――なら、いいでしょう。でも、エドワード。貴方が辛い姿を見るとお母様は悲しくなってしまうから、体の調子が悪いときは、どうか教えてちょうだいね?」
「はい。お母様」
母はそう言うと、私の元を去っていった。
■
「ありがとうございます。王妃様に、進言してくださったのですね」
「――エル」
領地に戻る前に、彼は僕の元を訪れた。最初から、僕がこうすると分かっていただろうに、ここまでわざとらしい感謝の言葉もないだろう。
本当にこの男は、腹立たしいほどに僕の思うようには動いてはくれない。
「戻るのか」
「はい」
「……一生、目覚めないかもしれないのに?」
「ひどいことをおっしゃる」
彼は、くすくすと笑った。
「信じています。父も、母も。屋敷のなかの誰もが、あの子が目覚める日を。もしその前にこの身が果てても、私に後悔はありません」
人の心に入り込み、自分のうちには絶対に入らせない。彼の全ては、彼の家族のためにある。
「この体は、あの子のためのもの。私はこの人生をかけて、あの子のために戦います」
彼の世界に、僕はいない。それでも――彼に視界にありたいと思う僕は、ある意味僕自身が、彼に『魅了』されていると言っても過言ではなかった。
彼が僕のもとを去ってから、僕は母からいただいた鳥籠を見た。
「お前も、行けばいい」
青くて大きな空の下、扉を開ければ、鳥は鳥籠を飛び出した。
飛んで行け。どこまでも。この手はお前の大事なものを、壊すことのできる手だ。
もう僕は、誰の卵も割りたくない。
だから、どうか。
どうかお前が――お前たちが。
「さようなら。――『エル』」
僕のいない世界で、幸福でありますように。
■
そして建国祭のパーティーで、僕は彼の弟を見た。
「あれが――レイ・シルフィード」
彼と同じ瞳を持つ、『妖精』と呼ばれる少年。
『顔だけ』が取り柄の、出来損ないの伯爵家次男。
……まあ最近は、その評価も上がっているらしいが。
その胸元にはなぜか、公爵家の紋章が刻まれたブローチが輝いており、入場はノクスやその妹と一緒だった。
いつの間に、僕の身近な人間に取り入ったのか。本当に腹立たしい限りだ。
「素晴らしい!」
大仰に手を叩いて、僕は四人に近付いた。
「ノクス。君が妹以外と踊るなんて珍しいな」
「王国の若き太陽にご挨拶申し上げます」
ノクスとその妹が頭を下げて、慌てた様子で彼の弟が頭を下げた。
「見たことのない顔がいるな。ああ、君があの……。うん。兄に似て美しい瞳だ。確か、今年から学校に通い始めたんだったかな? 勉強の調子はどうかな?」
「ノクス様にご指導いただき、日々精進しております」
「へえ、ノクスが……?」
僕はそう言うと、ノクスに視線をやった。
「最近僕の誘いを断っていた原因は、もしかして彼かな?」
「……申し分けございません」
ノクスは素直に非を認めた。
「まあこの子が彼の弟なら、お前が目をかけるのも仕方ない。それで――隣のご令嬢は?」
「王国の若き太陽にご挨拶申し上げます。マリー・ステラでございます」
驚いたことに、彼女は私に、『普通に』挨拶をした。
「……それだけか?」
「え?」
「他の女性達は、僕に話しかけるとき、もっと違う表情をするというのに」
彼女はこれまで見たことがない。ということは、彼女は貴族ではないのだろう。一般クラスの生徒でありながら、その能力を認められこの場所に招かれた人間。
「君には――僕の異能が効かないのか」
彼女はもしかしたら、僕だけを見てくれる、特別な女性なのかもしれないと思った。
奇しくも少女の外見は、僕があの日離した鳥と似ていた。
僕は彼女の前に膝をついた。
「マリー・ステラ嬢。僕、第一王子エドワード・クラウンは、貴方に結婚を申し込みたい」




