番外編(ノクス編)④完結
「心臓に悪い……」
「からかってすいませんでした。反応がおもしろくて、つい」
「年上を馬鹿にするな」
「いいじゃないですか。可愛かったですよ。お兄様」
「いい加減にしろ」
「かしこまりました」
男は素直に謝った。
「それで、試験は大丈夫なんだろうな?」
「はい。模擬練習で、的を五つとも壊せたのは、僕とイザベラ様だけでした。――あの」
男は妙に改まって、私に礼を述べた。
「これまで、ありがとうございました」
「ん?」
「貴方に教わったこと、俺に教えてくれたこと、無駄じゃなかったって思ってもらえるように、ちゃんと頑張ります」
「……そうか」
私は静かに頷いた。
初めての生徒の成績が楽しみ――とは、口にはしない。
「それであの、もし成績が上がったら欲しいものがあるんです」
「教えて貰う立場なのに、褒美を要求するな」
男は私の言葉を無視した。
「僕が全教科で平均点以上を取れたら、公爵家の薔薇を僕に贈ってくれませんか?」
「……薔薇の花束を?」
「はい! 是非欲しいんです!」
……そういえば、男のノートのなかに、妹とその恋人が、薔薇園に居る話があった気がするが気のせいだろうか。
「無理だったら、一本だけでもいいので! 貰えたら――大事にして、ポプリと花の栞にしたりして保存したいだけなので……」
「……」
私は、返事に少し時間を要した。
「本当に、それを私から欲しいのか?」
貴族なら、花言葉やその本数の意味くらい、知っているはずなのだが――。
「はい。それが一番嬉しいです。ヴァーミリオン先輩」
その男に先輩と呼ばれることに、不快感はなかった。
「分かった。……約束する」
まあ、どうせ花の意味なんて、この男が知っているはずがない。だが、私が男に花を贈ったことを知るものがいれば、妙な妄想をされる可能性は否定できなかった。
ただ、それでも――妹と私の心に寄り添おうとしてくれたこの男の願いなら、叶えてやってもいいと私は思った。
■
そんな事があってから、私は男のいる教室を訪れた。伝言もあったし、妹が教室にいる姿も見てみたかった。だがそれにより、何故か妹が男と喧嘩をしてしまい、男が説明のために屋敷にやってくることになった。
「ここが、ヴァーミリオン先輩の部屋か」
この部屋に他人を入れたのは、友人と言える間では、二人目だった。
「この間母上が渡したの、使ってくれているんですね」
男の母君は何故か私を気にかけてくれているようで、沢山の贈り物を私にしてきた。
「僕の部屋と同じ香りですね」
私に微笑んだ男は、背後に立っていた妹と視線があい、表情を硬くした。
やはり、この男はどこか抜けている。
「本当に貴方はお兄様と仲がよろしいようで?」
妹の声が、とても刺々しい。
別に私とこの男が仲良くしていても、妹に実害は何もないと思うのだが、何が不満なのだろうか?
「いやこれは、僕の母上がお世話になっているなら先輩にと――」
「つまり貴方の親公認ということ?」
妹の言葉の意味がわからない。
だが妹のいかりの理由を、おそらく男は正確に理解しているようだった。
「イザベラ様。何か妙な誤解をされているようですが、僕とヴァーミリオン先輩は……」
男は、何か言いかけて言葉を詰まらせた。
「……えっと」
言い淀んだ男は、私の机に置いてあった紙の束を倒してしまった。
机の上にまとめていたのは、男のための学習用の資料と、破棄しようか悩んでいた妹の未来のための資料。
もしイザベラが、王子の婚約者にならなければ、誰が一番相応しいのか。
身分・外見・財産・交友関係に至るまでの調査結果。
床に落ちた紙を拾いあげたイザベラは、静かな声で言った。
「お兄様は、こんなものまで用意してくださっていたんですね」
「これは、以前用意したもので……」
――今はもう捨てるつもりで。
だがそう言おうとしたところ、私の言葉は妹に遮られてしまった。
「自分は彼と楽しそうに過ごしておきながら、私には、選択肢すら与えてくださらないのですね。お兄様は結局、私のことなんてどうでもいいとお考えなのでしょう」
「……イザベラ? 何を言っている。私が……お前を?」
私は混乱した。
私が? イザベラをどうでもいいと思っている?
――そんなことはあり得ないのに。
「お兄様に、伝えておくべきことがあります」
イザベラは、マリー・ステラの手を握った。
「私は今、彼女とお付き合いしています。私は、彼女を――マリーを愛しています」
「……!」
友人だと紹介された少女を、恋人だと紹介される。
私は、突然の告白に動けなかった。
「私を愛してくれた、私が公爵令嬢でなくとも、私を愛していると言ってくれたマリーを、私は心から愛しています。でもきっとお兄様は、私とマリーのことを認めてはくださらないでしょう? わかっています。お兄様は、そういう方だということは」
「……」
頭が真っ白で言葉が出ない。
「――私は、お兄様が羨ましい」
私は、妹の言葉が信じられなかった。
妹が? 天才の妹が――私を、羨ましいと?
「お兄様は、自分の人生を自分で選べる。誰に笑いかけるかも、誰を利用するのかも――お兄様は、きっと自由なのでしょうね」
イザベラの声は震えていた。
「私なんて、お兄様にとって、ただの駒に過ぎないのでしょう! 私と殿下との結婚を望まれていたのも、私のためなんかじゃない!」
イザベラは、ぎゅっと拳を握りしめていた。
「わたくし、は。私は、殿下にも、一度も好意を抱いたことなどございません」
「イザベラ様!」
イザベラはそう言うと、私の部屋を走って出ていってしまった。
■
「……何故、こうなってしまったんだ?」
部屋に残された私は、散らばった紙を前に呟いた。
「私が間違えていたのか? 自由なんて……私だけが、あの子と違って『自由』だと?」
「すいません。半分は僕のせいです。でも、どうしてこれをここに置いていたんですか?」
「あの子を思うなら、捨てるべきだと思って整理していたんだ。でも、決心がつかなかった。あの子が茨の道を進むなら、それを止めるのも、兄としての情ではないかと」
兄として何をしてやれるのか。本当に、私は昔から成長がない。私の行動は、妹になんの利益ももたらさない。
「私は、これからどうすればいい? 私は……あの子に嫌われてしまったら、生きていけない」
男は少し考えたあと、彼にこう言った。
「ただ、素直になればよいのではないでしょうか」
「――……『素直』、だと?」
素直で、どうか健やかで。
それは亡くなった母が私に願った私の未来であり、私が叶えられなかった願いだった。
「何故そう言える?」
「時に当事者ではなく部外者のほうが、ものが見えることもあるということです。僕は貴方に、返すべきものがあります」
男は鞄の中から本を取り出すと、私に返した。
「この本は、もともとイザベラ様のために作られたもの。本当に貴方が勉強を教えたかったのは、僕じゃなくてイザベラ様だったんですよね?」
「そうだ」
私は、本を受け取った本の背表紙をそっと撫でた。
「でもあの子に、私なんて必要じゃなかった」
「今の貴方が素直に気持ちを話せば、僕はこの問題は解決できると思っています。……ヴァーミリオン先輩。貴方が思う幸福は、本当に、彼女にとっての幸福ですか?」
「私は――」
妹が笑顔でいられる居場所。それは今、あの少女のそばにある。
――なら。
「答えがもう出ているなら、今度は貴方が追いかける番です」
男はそう言うと、私の背を押した。
「いってらっしゃい。お兄様」
振り向けば男は私を見て優しい目で微笑んでいた。それはちょうど、イザベラとあの少女を、湖で見ていたような瞳で。
それはまるで――今は私と妹の、未来を祝福するかのような瞳だった。
■
「イザベラ!」
妹を追いかけ、その手を掴む。
「離してください!」
イザベラは、きっと私を睨むんだ。
「離さない。私は、絶対にお前の手を離さない」
ここで離したなら、きっともう妹とちゃんと話せはしない。そう思うと、情けないが手が震えた。これでは、妹に嫌われてしまうかもしれない。
「イザベラ。私にとって、人生とは一本の道だった」
昔から、私はそうだ。
理想の人生なんて、これまで歩めた試しがない。
口数が少ないことを人が褒めたとしても、それは私の強さではなく、周囲の評価は、私の身分を考慮した、私個人への評価ではない。
「ただそれを進むだけが、人生だと思っていた。余所見をせずに歩いていけば、幸せな結末に辿り着けると、そう信じて生きてきた」
ただそれでも、それが正解だとも思っていた。
他者の評価こそが人が人生を歩む上での仮初の自分だと。……だから、それが鎧となるのなら、その評価を受け入れてしまえばよいとも思った。
「お前は、私にとって大切な妹だ。だから私はこれまで、お前の幸せを願って行動しているつもりだった。幼い頃から今までずっと、私は遠くからお前を見ていた。お前に恋人ができた時、私はお前たちの関係を解消させるべきか悩んだ。そんな時、ある男が私に言った。『妹の本当の幸せは何かを考えろ』と。それこそが、本当の兄としての愛情だろうと。妹と同じ年の少年に叱られて、私は本気で悩んだ。私はこれまで、感情より理性を優先して生きてきたのかもしれない。そしてそれを、お前に押し付けてきたのかもしれないと」
イザベラは優秀で、でも、弱いところがあるのも知っていたから。それを覆えるような教養があれば、彼女が傷つかずに済むと思った。
だが、妹があの少女とともにある姿を見たときに、私のなかで何かが揺らいた。
そして、あの男と――レイ・シルフィードとの出会いによって、私は私自身の鎧を、少しずつ剥がされた。
この男の前では嘘がつけない。
心を見透かされていると感じていた『彼』とは違う。人と人との関わりのなかで、言葉や態度で、私の感情を一つ一つすくい上げて拾うような、そういう人間に出会ったのは、私は生まれて初めてだった。
そうして、かつて母が願ったように、鎧の下にあった私自身は――たぶん純粋に、妹の幸福を願っていた。
「イザベラ。私はずっと、心の底ではこの世界のことを信じきれなかった。常に周囲に注目され、上辺ばかりの賛辞を受けて。他者の本心というものを信用できなくなった」
男と出会って、心から人を、私はもう一度信じてみたくなった。
「お前は私とは違い、昔から優秀で。私が教えずとも、一人で全てを学んでしまった。周囲の人間はお前こそが殿下の婚約者に相応しいと思うようになり、私は兄として、お前があの方の婚約者になれるよう、手伝うことにした。学問、教養――。王妃として必要なものが、全て身につくように。いつかお前がこの家を出て、この国の王妃となった時、心ない誰かの言葉に、お前が傷つかずに済むように。でも、それさえも間違いだったのなら。私の決断が、お前にとっての幸せでなかったのなら――私は私の過ちを認め、お前の願う幸福を、決断を優先することを誓おう」
あの男に、妹と向き合う勇気をもらった。
……だから。
「イザベラ。お前の幸せが、私にとっての幸せだ。だから私は――お前たちの関係を祝福しよう」
私は、妹の心を選ぶ。
他の誰がこの決断を咎めても、私が妹を守る砦になろう。
「大切な人が、出来たんだな」
これからは妹が、せめて彼女と私の前では、分厚い鎧を脱いで笑えるように。
「……はい。生まれて初めて家族以外に、愛する人ができました」
■
「はい。百合もいいけど、僕は家族愛モノも好きなんです。別腹です」
だがまあ、レイ・シルフィードが理解不能なのは相変わらずだ。
「やっぱり、彼は少し変ですわ。お兄様」
「だが、彼のおかげで私はお前と向き合うことができたんだ」
妹の言い分はもっともだが――私は随分、この男に絆されてしまったらしい。
「レイ・シルフィード」
「はい?」
「……感謝、している」
こんなふうに、心から誰かに謝辞を述べるのは初めてだった。声が少しおかしい。これではまるで、私が照れてしまっているようだ。……恥ずかしい。
男は何故かそんな私を見て、目をキラキラと輝かせていた。
「僕、今初めてヴァーミリオン先輩の本物のデレを見ました」
「『でれ』とはなんだ」
すると、私の短文にたいして長文が返ってきた。
「デレとは、照れるという言葉に派生するものであり、ツンデレやデレデレなどの使い方をされるもので、デレという一文字で表した場合、一瞬と恥じらいなどにもつかわれることもある言葉です。僕は今、ヴァーミリオン先輩にそのデレを見たと判断しました!」
「……お前は」
私は頭を押さえて深く溜め息を吐いた。
「お願いだから、お前は私と話すときは、3割くらい言葉数を減らしてくれ……」
「なんでですか?」
「そばで捲し立てられると疲れるんだ」
この男と関わる限り、この男の説明した言葉はちゃんと把握しておきたいのに、まとめて早口で話されると、情報の処理が追いつかない。
「つまりそれは、これからも貴方のそばにいていいっていうことですか?」
「……」
「だって僕に今後近寄ってほしくない場合、今の言葉は出ませんよね?」
男の問いに、私はすぐ返答ができなかった。
……今、何か核心を突かれたような。
「じゃあ、僕公認ですか? お兄様公認ですか? これからも、今のままでいてもいいってことですか?」
「……好きにしろ」
だが男は、私の心を見透かしたことには気付かずに、妹たちのそばにいられることを心から喜んだ。
「ありがとうございます! ヴァーミリオン先輩。これでこれからも、二人を見守り続けられます!」
腹立たしいことだが、この男の世界は、『百合』とかいう妹たちの恋愛を中心に今は回っていて、おそらく私は妹の付属品程度の価値しかないのかもしれない。
「はあ……もういい。私に、お前を従わせるのは不可能のようだ」
そんな私に、この男を管理することなんてできるはずがない。
だが、妹たちのおまけ扱いされるのは、流石に私も腹が立つ。
――私は、私だ。
この男にはちゃんと、私を認識してしてもらわなくては困る。
「――ノクスだ」
「えっ?」
「私のことは、これからはノクスと呼べ」
「? ノクス……先輩?」
男にその名前で呼ばれることは、やはり嫌いではなかった。寧ろ、そう――心地よさすらある。
「そうだ。代わりに今日から、私はお前を『レイ』と呼ぶ」
「えっ。それは普通にやめてください」
だが私がそう言うと、男は全力で手を振って拒否してきた。
「は?」
なんなんだこの男。この私が許しを与え、親しくすることを宣言したのに、あまりにも無礼じゃないか!
男の立場を思えば、私という存在は男を守る力となるはずなのに。
「だって、ほら。貴方に特別扱いされるのはちょっと……。ノクス先輩、僕以外に仲の良い後輩とか居なさそうだし。俺だけが呼び捨てされることになるじゃないですか」
「成績の悪いお前に、わざわざ勉強を教えてやったのは誰だと思っている? 恩を忘れたのか」
「それについては感謝しています。これからも宜しくお願いします。普段厳しい所は嫌いですが、本と教え方は上手くてわかりやすいので好きです」
私はその言葉を聞いた時、男の兄の言葉を思い出した。
『ノクス様は、意外と感情が表に出る方なのですね。そういうところ、可愛くて好きですよ』
純粋に感情を言葉にするのは、血筋ゆえなのか。
どこか薄い膜の向こう側で微笑む、壁を作っていた兄とは違う。
レイ・シルフィードという少年は、まるで母が私に望んだような、自分の心に素直で真っ直ぐな人間だった。それは、私がなれなかった私。この世界を幼い頃に諦めた、私とは違う。
レイはこの世界に期待して、楽しんで、日々を生きている。
嘘偽りのない言葉を口にする、その言葉がどうも慣れない。貴族的でもないとも言える。相手をあしらうのがうまかった兄よりも、レイは、ただ真っすぐに世界を見つめているようだった。
この世界を直視しながら、それでいて、この世界をまだ諦めていない。そんな子供のような真っ直ぐさが――いや、本当に中身はまだ子供なのかもしれないが、それには不似合いな口八丁に、私は振り回されてばかりだ。
調子が狂う。
でもそれを、どこかで心地良いとさえ感じているのは、レイの前でなら、私が取り繕う必要がないからかもしれない。
だからこそこの男には、ヴァーミリオンではなくノクスと、そう呼ばれたかったのかもしれない。
本質的に人に嘘をつかない。嘘や言葉で人を惑わしたとしても、誰かを利用しよう・取り入ろうとするような、人を傷つける邪さは感じない。
妹の恋路を邪魔しようとしたら、妙な男と出会ってしまった。
だが今は――この男がいない世界など想像できないほどに、私の世界は変わってしまった。
だからもう、認めるしかないのだろう。
私の世界に、この男が住み着いた。
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