番外編(ノクス編)③
「これが、今日からの勉強の予定表だ。今後、授業も含めわからないところがあるなら私に言いなさい。理解するまで指導する」
「……はい。宜しくお願いします」
彼に勉強を教えるにあたり試験を行ったが、予想通り地頭は悪くないようだった。ただ、男の事情もあり、壊滅的に基礎が抜けていたことから、私はイザベラのために作成した本を男に読ませることにした。
自分で行っては何だが、私自身が父の教育にかなり苦労したこともあり、男が理解出来ていない箇所は、手に取るように分かった。
「私の授業は、まずこの本を読んでの自習を基本とする。読んでも分からないなら声をかけなさい。最後に今日の振り返りの試験を行ってから、間違えたところは解説する」
「……」
男は、自習であることが不満のようだったが、私の本を読んで不思議そうな顔をしていた。
「これ、どなたが書いたんですか?」
「私が書いた」
「え!?」
男は、あからさまに驚いた、という顔をした。
「へえ……。じゃあ、ヴァーミリオン様は子どもの頃から頭が良かったんですね」
「……子ども?」
男の指摘に、私は本を読む手をとめて顔を上げた。
「だって、ほら。今と少し字が違うから。今より少し幼い? というか……」
――鋭い。
まさかの指摘に、私は少し動揺してしまった。人間観察の力は、兄弟共々高いらしい。
「でも、何で子どもの頃にこんなの作ったんですか? もしかして、魔法の研究者になりたかったとか?」
「そういうわけじゃない」
そのようなこと、私が願えるはずがない。私はきっぱり否定した。
「放課後とはいえ時間は少ないんだ。はやく勉強に取りかかりなさい」
「はーい」
私が男を急かすと、間延びしたぺが帰ってきて、私小さく溜め息を吐いて、眼鏡軽くあげて再び本へと視線を移した。
第三図書館は今日も静かである。
男は思ったより、集中して私の本を読んでくれているようだった。そして――取り憑かれたかのように頁をめくって、
「すごい」
男は、そう呟いた。
「これ……すごい。すごく、すごくわかりやすいです!」
男はなぜか、感激した様子だった。
「本当に……すごく……すごく……」
まるで、ずっと探していた本に出会えたような――お気に入りの1冊を手にした子どものような顔。
そしてその瞳は、涙で潤んでいるように私には見えた。
彼とは違い、弟は感情が表に出やすい性質らしい。
誰にも相談できないのだと男は言った。大切な家族にも友人にも、迷惑はかけられないと。
――私は。
「……そうか」
未熟な私が書いた本が、誰かの助けになれたことが、心から嬉しかった。本当は妹に、一番に読んで欲しかった。
それでも才能ある妹には渡せなかった幼い私の未熟さが、今この瞬間、目の前に男に許されたような気がした。
「基礎が理解できたなら、これを解いてみなさい。解き終わったら声をかけなさい。私が採点する」
感情が男に伝わらないよう誤魔化せば、男は素直に私の言うことを聞いた。
「……ありがとう、ございます」
■
それからというのも、私は男に個人指導を行うようになった。試験の日程が近付いてきた頃、実技の訓練のために、私は男を屋敷に招くことにした。
「あ、あの……! この体勢は、本当に必要なんでしょうか」
「必要だ。ほら、ちゃんと集中しなさい。私の魔力を、そう――ちゃんと、辿って」
妹にしたように、魔力の循環を確かめる。
「や……だ。なんか、ぴりぴりする」
「我慢しなさい」
私がそういえば、男は静かになった。
「目を閉じて。心臓の鼓動を、魔力を感じて。……そう。ゆっくりでいい。それを、体に巡らせるよう思い浮かべて。そう……。上手だ。偉いな」
「……あ、あの!」
男はだいぶ悩んだような表情で、私に抗議した。
「ちょっと、その、優しく囁くみたいなのやめて貰えませんか」
「どうして?」
「なんか、よく分からないんですけど」
男は小さく体を震わせた。
「……ぞわぞわ、します」
どうやら私は彼を困らせてしまっていたらしい。私は素直に男から手を離した。
「魔力の質は悪くない。魔力も循環はできている。ただ、何故か出力がうまくいっていない。石の硬度も問題ない。なら、原因は別にある可能性があるな」
男の体を調査した結果、私はある可能性に気が付いた。
――もしかして。
「なんだこれ。石……?」
「ある意味それは、魔石の一種だ」
男の体からは、体内で生成された魔石が現われた。
「私も実物を見たのはこれが初めてだ。かなり希少な症例だが、お前の場合長く眠っている間に、身体にできてしまったんだろう。生来強い魔力を持つ人間に出来やすく、これがあるとうまく魔法が使えないらしい。その石は、お前の蓄積された魔力そのもの。耳の石同様、魔石としても使える。自分の体でできた分、その人間が使えば効果は強くなる」
彼の弟ならあり得るかもしれないとは思ったが――私の予想は当たっていたらしい。
「魔力を身体に巡らせる、さっきの感覚をもう一度思い出してみなさい」
私の指示通り、身体に魔力を込めた男は、その違いに驚いているようだった。
「あ、れ……? さっきまでとは、全然違う……!」
男の体で生成された石は、今後彼が魔法を使う際に加工することにした。
「属性に合わせた魔法の展開については改めて教える。だが今のお前なら、風だけでもすべてを破壊できるはずだ」
「はい」
「さあ、レイ・シルフィード。『本来の』お前の魔法を、私に見せてくれ」
男は深く息を吸ってから、それから再び魔法を使った。
「風」
呪文は、先ほどと同じ初級魔法。だが、威力は天と地ほど違う。
男が呪文を唱えた瞬間、五つの的は一瞬で霧散した。
「……わあ。わあああっ!」
男は、嬉しくて声を上げた。
男はすぐに、私の元に駆け寄ってきた。
「ありがとうございます。出来ました! 初めてちゃんと、魔法ができました!」
その瞳は、あの日の妹のように輝いていた。
……だから。
「……イザベラ」
私は思わず、妹の名前を口にしてしまった。
「え……? なんで今僕のこと、『イザベラ』って読んだんですか?」
男の指摘に私は口元を押さえる。
「……す、すまない! その、昔のことを思いだして――」
愚かしい。私は、なんてことを――。
この少年は、妹ではないのに。
「昔、あの子にここで魔法を教えたら、同じような顔をしていたから」
「……イザベラ様が?」
「ああ。今からは考えられないが、昔あの子は俺の後をついて回っていたんだ。だから、魔法を教えたらとても喜んで――今はもう、俺には昔のように笑ってはくれないが」
あの子には、賢い妹には、凡才の私の支えなど必要ない。
そう思うと胸が痛んだ。妹に対し劣等感を抱きながら、兄と認めて欲しいなど、馬鹿げているにも程がある。
「……これは、今日教えて貰った貴方への『ご褒美』です。コホン。ふ――……」
男はそういうと、咳払いして、深く息を吸い込んだ。
「?」
「『私に勉強を教えてくださって、ありがとうございました。お兄様!』」
「……っ!」
男が発したその声は、目を瞑れば妹と間違うほどよく似ていた。
「『どうかこれからも、私に魔法を教えてくださいませんか?』」
男は、イザベラの声を真似て私に微笑んだ。
だから。私は、思わず男の身体を抱きしめた。
うまく言葉にしようのない感情が、私の中にはあった。
――どうして。どうしてこの男が、今私が一番欲しい言葉を口にするのか。
妹は、自分で自分の人生を選んだ。もしかしたら妹の幸せは、私の考えとは違うところにあるのかもしれない。私は、妹に幸福であってほしい。だからこそ、妹の選択が、私は妹を不幸にするのではという恐れが頭から離れない。
でもそれを妹に伝えられるほど、妹の決断のすべてを肯定できるほど――今の私に妹との繋がりはなく、また私の意見もまだ揺らいでいる。
『貴方は妹のあの表情を見て、別れろと言えるんですか?』
その質問に、私はまだ答えることが出来ない。
ただ一つ言えることは、私は私の人生に後悔があるということだけだ。
あの日に戻れたら。あの日々に戻って、もっと妹と向き合っていたら――『今』は、何が違っていたのだろうか。
妹の心の空白を埋めたのがあの少女だとしたなら、その心の欠片を、私が妹から奪う権利などない。
でも、せめて。
『見てくださいましたか? お兄様! 出来ました! 初めて私、ちゃんと魔法を使うことが出来ました!』
あの日のように妹が私に笑ってくれることを、私は今も願っている。偽物の妹に、深く愛しさを覚えるほどに。
「……っちょっ! いきなり、抱きつかないでくださいよ……! は、離してください……」
公爵令息である私に、涙をこぼすことなど許されない。でも、男を抱く体が小さく震えていることは、男には分かってしまうだろう。
「……ありがとう」
私は、小さな声で男に尋ねた。
「私は……まだ私は、やり直せるか?」
「泣いているんですか? 本当、仕方の無い人ですね」
男はそういうと、私の背を優しく叩いた。
「……大丈夫。大丈夫ですよ」
■
それから数日経ったある日のこと、私は男を待っている間、図書館でとあるノートを見つけた。
それは誰かの日記らしく、少し読んですぐに誰の物か私は察した。
『○/○
二人は今日も幸せそうに話をしていた。イザベラ様曰く、マリーさんの成績は順調に上がっているそうだ。このままいけば、彼女は無事能力を認められ、王宮魔法使いとして認められるに違いない。』
中には、彼の妄想百合小説(?)込みの日記が綴られていた。
不用心にも程がある。
こんなものを学校に持ってくるなんて――少なくとも、本人以外が開けないようにする魔法を、教えてやるべきだろう。
『○/○
イザベラ様のお兄さんは、二人の関係が気に入らないらしい。そっちがその気なら、俺が受けて立ってやる。絶対に二人の関係は壊させない。』
『○/○
お兄さんとデートを尾行した。イザベラ様は、やはり素晴らしい女性だ。彼女は、誰かのために自分を変えることが出来る人だ。でも、あんなに素晴らしいデートを見せてもらったというのに、お兄さんはまだ二人の関係が不満らしい。兄として心配なのかもしれないが、俺には二人の幸せの方が大事だ。』
この辺りの文章には、私への苛立ちが多く綴られていた。
『○/○
テストの点数が悪く怒られてしまった。どうしよう。これでは、両親が悲しむかもしれない。俺は、俺のせいで誰かが悲しむ顔を見たくない。俺は、俺のそばにいてくれる人に、ずっと笑っていてほしい。』
『○/○
お兄さんに俺の成績が悪いことがバレた。最悪だ。』
『○/○
お兄さんに勉強を見てもらうことになった。なんでそうなったんだ? まあ二人を邪魔する時間はこれでなくなるわけだし、とりあえず頑張る。』
『○/○
この人は教えるのが上手い。本も分かりやすい。それだけ彼もこれまで努力してきたんだろう。もしかしたら、一人悩んでいた俺よりもずっと。悔しいけれど、この人はやっぱりイザベラ様の兄なのだ。』
ただそれは、私が勉強を教えはじめた時期から、少しずつ変わっていく。
『○/○
魔力の使い方がやっとわかった気がする。あの人のおかげ……なんだろう。少しずつ、少しずつでもいい。俺は、俺を愛してくれる人たちに、少しでも自分を誇れるようになりたい。その為に、もっと魔法が使えるようになりたい。』
『○/○
成績が上がったのを褒められて、思わず喜んでしまった。悔しい。普段自分にも人にも厳しい人だからこそ、評価されることが嬉しいのかもしれない。マリーさんがイザベラ様に褒められると嬉しそうにしている理由が分かった気がする。』
そして、それは昨日の日付で――。
『○/○
ヴァーミリオン先輩はイザベラ様と似て、不器用な人なのかもしれない。だったら俺は、二人がすれ違わない未来が見たい。HAPPYENDは、複数存在していいはずだ。
案外、今の俺は、ヴァーミリオン先輩のことが嫌いじゃないのかもしれない。』
「嫌いじゃないかもしれない……?」
私は、思わず男の文字を指でなぞった。どうやら、私の見間違いではないらしい。
そんなことをしていると、男が慌てた様子で図書館に駆け込んで、私がてにしているノートを取り返そうとした。
「それを返してください! 僕のなんですからっ!」
「やはり、お前の私物だったか」
私は、動揺を隠せていない男をじっと見つめていた。
「……お前は、よく人を見ているんだな。小説? のようなものも書いていたようだったが」
「人間観察は、文章を書くうえで大事なので……」
「お前は、書き物が好きのか?」
「はい?」
「日記以外にも、いろいろ書いていたようだったから」
男は、長い沈黙のあとにこう答えた。
「……言葉にすることで、新しく見えることがあると思うんです」
その言葉は、これまでイザベラへの感情を口にしてこなかった私には、別の意味を持つ言葉のように聞こえた。
「物語を書く中で――誰かの気持ちになって考えることで、誰かの人生を辿ることで、そうやって見えた世界が、もしかしたら誰かを変えることができるかもしれない」
男の目はいつになく真剣で、それはもしかしたら――いつもは太陽のように明るいこの男の、心の底にある言葉なのかもしれなかった。
「いつか俺が、俺の言葉が、誰かにとっての居場所になりたい」
だがそう口にした男は妙に覇気がなくなって、それが気になった私は、男にある質問をしてみることにした。
「……『俺』?」
「へ」
「今、『俺』と言ったか?」
男は、明らかに慌てた様子を見せた。
「え? あっ……。は。あはは! たぶん聞き間違いなんじゃないですかねっ?」
日記にも書いていたし、普段猫を被っているだけで、この男は本当は『俺』というのが一人称なのだろう。彼の弟――伯爵家の次男にしては粗雑な一人称にも思えたが、この男を知る今の私には、僕よりも会っているかもしれないとも思った。
「そういえば、私についても書いていたな」
「はい?」
私がじっと男の顔を見れば、男は更に慌てていた。
……もしかしたら、流石にからかいすぎたかもしれない。
「あ、あの、僕……!」
「お前は、たぶん良い人間なんだろう。妹の幸せを、純粋に願っている」
私は男のノートを見て、ぽつりそう呟いた。
「それは……本当は、貴方もじゃないんですか」
「お前は、そう思うのか?」
「――はい」
男は、静かに頷いた。
「そうか」
私は胸を押さえて、独り言のように呟いた。
「……今のお前には、そう見えるのか」
■
「妹達とまた話していたな」
「今日もまた見てたんですね」
放課後、図書館に来た男に指摘すると、すぐさまそんな言葉が返ってきた。
「本当、イザベラ様のこと大好きですよね。間違えて僕に抱きついちゃうくらいに」
「あれ、は――。お、お前が、あの子の真似をするから……!」
年下の男にからかうような口ぶりで反撃されて、私は取り乱してしまった。
――あの日の、この男を思いだして。
「へえ? じゃあここで、もう一度言ってあげましょうか?」
男はそういうと、あろうことか妹の声で私に甘える振りをした。
「『お兄様。今日もお勉強、教えてくださるんですか? いつもありがとうございます。お兄様に教えていただけて、私、とっても嬉しいです!』」
可愛い。可愛い。が――彼は妹ではなく、そもそも彼は男だ!
「『ねえ、お兄様。どうしてちゃんと、私をみてくれないんですか? もしかして私のこと……お嫌いになってしまわれましたか?』」
視線を逸らせようとすれば、逃さないとばかりに距離を詰められた。
「『お兄様に嫌われたら、私、とっても悲しいです。泣いてしまうかもしれません。お兄様……。お兄様は、私のことはお好きですよね? 世界で一番、一生愛してくださいますよね?』」
お兄様が大好きな、甘えたがりの妹ボイス。
最愛の妹の声だが、外見はこの男である。
「『ね~え。こたえて? おにいさま〜!』」
駄々っ子のように甘えられ、私はついに耐えられなくなって怒鳴ってしまった。
「黙れ! それ以上イザベラの声で喋るな!」
「『きゃあ恐いっ! 大きな声で怒らないでください。お兄様!』」
「イザベラは、イザベラは……っ」
私は、拳を強く握りしめて叫んだ。
「イザベラは、そんなことは言わない!」
私が、そう言った瞬間。男は妹の声を出すのをやめて、腹を抱えて笑い出した。
「ふふ……あはは。なんですか、それ。完全に妹過激派じゃないですか」
「お願いだから、もうやめてくれ……」
「ええ~。そうだなあ。じゃあ」
顔に熱が集まる。私は、恥ずかしさのあまり机にうつ伏せになった。そんな私の耳元で、男は囁くような声で尋ねた。
「――『降伏ですか? お兄様?』」
「……降伏だ」




